第112話

〈御舟〉

 藤原義明は時太郎たちを連れ、ぎくしゃくと〈御舟〉へ向かって進んでいく。時太郎から「母親の時姫の居る場所を案内せよ」と命令されたからだ。

 強張った足取りで進みながら、義明はなぜ自分がこう唯々諾々と時太郎の命令に従うのだろうと考えていた。考えても、操り木偶でく人形と化したかのように足は勝手に動いて、大極殿への渡り廊下を歩いている。

 辺りは森閑として、人気ひとけが一切ない。いったい検非違使どもは、なにをしているのか?

 ちら、と義明は背後の三人を振り返った。

 ぞくり、と背筋が凍る。

 三人はまったくの無表情。その目は、何も映していない。あの目! あの目が義明の一挙手一投足を、じっと見つめている。

「ここじゃ……この先に〈御舟〉がある……そちの母親──時姫は──〈御舟〉に囚われておるのじゃ」

 言い終え、義明は媚びたような笑いを浮かべた。膝を曲げ、腰を落とし、時太郎の顔を見上げる。

「であるから、もう麻呂には用がないでおじゃろう? な、これからおぬしたち、勝手に──」

 時太郎は無言で義明の側を通り抜けた。まるで一顧だにしない。それを見送り、義明は「ふーっ」と溜息をついた。

 どっと音を立てて、背中に汗が噴き出すのを感じる。全身が冷や汗で滝に打たれたようになり、こちこちに緊張していた。

 時太郎たち三人が曲がり角に消えるのを確認して、ようやく義明は身を起こした。


 うおおーん……!


 聞きなれない騒音に、義明はぎくりと背後を振り返る。

 なんじゃ、あの音は?

 見ると、御所の入口から二輪車うまに跨った武士が一人、猛速度で突っ込んでくる。真っ赤な皮の陣羽織、群青色の着物に、錆び色の袴という派手派手しい装束の男である。

 男は二輪車の後輪あとあしを滑らせるようにして停止させると、がちゃんと乗り捨て、そのまま真っ直ぐ義明に向かってくる。

 ひらりと庭から土足で渡り廊下に踏み込み、ずかずかと大股に歩いてくる。その顔に、見覚えがあった。

 確か、木戸甚左衛門……。

 緒方上総ノ介の家来である。

「義明殿! 藤原義明殿で御座るな!」

 あたりも憚らず、大声を上げる。

 義明は耳を塞ぎたい気分であった。上総ノ介といい、この甚左衛門といい、武士もののふという奴輩は、なんと無作法な連中なのか!

 甚左衛門はぐっと義明に詰め寄り、喚くように大声を上げる。

「〈御舟〉へは、どう行けばよい? 道を教えろ!」

 普段の甚左衛門とは一変していた。義明の記憶では、甚左衛門はついぞ、このように荒々しい声を立てる人間ではなかったように思える。

 今、この男は仮面を脱ぎ捨て、本来の粗野な地金を出しているのに違いない。甚左衛門の勢いに、義明は真っ青になった。

「お、〈御舟〉は……麻呂ら公卿しか訪れることを許されぬ……禁断の場所で……」

 甚左衛門はすらりと刀を抜き放ち、刃を義明の首に擬した。義明は恐怖に「ひいっ」と悲鳴を上げた。

「教えろ、とおれは言っているんだ、この唐変木ブロックヘッド!」

 甚左衛門の目付きは真剣である。

「わ、判り申しておじゃる……」

 がくがくと義明は頷く。

 下穿きが、なにやら異様に暖かい。

 目を落とすと、足下に黄色い染みが広がっていく。失禁したのだ。

 甚左衛門は鼻筋に皺を寄せ、せせら笑った。

「唐変木公卿といえども、死ぬことは怖いと見える。さあ、案内せよ!」

 義明はくるりと背を向け、歩き出す。

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