第111話

  五

 時姫は瞳を上げ、立ち上がった。

〈御門〉の〝声〟が絶えている。

 それだけではない。

 時姫の周りを取り囲む力場そのものの〝声〟も消えていた。

 もしかしたら……。

 時姫は恐る恐る、手を力場バリアに伸ばした。

 円の外側に手の平が出ても、衝撃は全然ない。

 やはり〈御門〉は、この〈御舟〉を離れているのだ。

 時姫は円の外側に足を踏み出した。しかし、回りにいる検非違使たちはまるで注意を払うことなく、黙々と〈御舟〉の内部の壁面に備えられている装置を見守ったり、操作をするのに余念が無い。

 時姫は、ある決意をしていた。

 この長い年月、ずーっと〈御舟〉の中に閉じ込められ、その間たゆまず〈御舟〉が立てる様々な〝声〟に耳を傾けていた。

 最初は、まるで意味が判らなかった。だが、徐々に慣れ、内容を把握していった。

〈御舟〉の装置は、刻一刻と変化するこの世界のあらゆる出来事を倦まず、報告し続けている。星が進む軌道、位置、様々な変化。

 その中には、恐るべき内容の報告があった。

 藍月が遠ざかり、紅月に衝突しつつあることを。その結果、紅月は軌道を変え、この世界から消えてしまう、ということ。その後の壊滅的な変化を。

 時姫は内部の昇降機エレベーターの前に立った。

 引き戸のような扉が、両開きに開く。内部は、いとも素っ気ない小部屋になっている。時姫はその中に進み、声を上げた。

操舵室コントロール・ルームへ!」

 時姫の声に応じ、昇降機は即座に上昇を開始した。

 上昇を続ける昇降機の中で、時姫は思った。

 なんとしても、この世界を救わなければならない! そのために自分が死ぬことになっても。

 扉が開く。操舵室である。

 部屋の構造は、時姫の理解を超えていた。操舵室であるに関わらず、船の舵輪というものが見当たらない。〝声〟の中に度々出てきたので重要な場所であるとは判っていたが、操舵室という言葉から、船の艦橋ブリッジを想像していたのである。

 ここは〈御舟〉の天辺近くに位置しているらしい。丸い円形の部屋に様々な機械がひしめいている。その機械に幾人かの検非違使が取り付き、下で見たような光景を繰り広げている。

 時姫の姿を見咎め、一人の検非違使が足早に近寄ってくる。金属的な声が検非違使の仮面から響いた。

「ここは、一般乗客の立ち入り禁止区域である。すぐ元の場所へ戻りなさい」

 検非違使の声は無表情で、平板だった。まるで抑揚というのが感じられなかった。

 時姫は首を振った。

わらわは、この場所に用があるのです。そなたこそ、どきや!」

 検非違使は時姫の言葉には反応せず、ずいと一歩前へ進み出る。力任せに時姫を昇降機へ押しやろうとする。それを察し、時姫は叫んだ。

「臨!」

 叫ぶと同時に手の指を組み合わせ、九字の印の最初の一文字を形作る。ぎくり、と検非違使の動きが止まった。

「兵!」

 他の検非違使たちは、時姫を凝視している。

「闘!」

 時姫は次々と叫んだ。

「者・皆・陣!」

 部屋の中心に進む。検非違使たちは、ぴくりとも動かない。

「裂・在・前!」

 時姫はその言葉をもう一度、はっきり早口に繰り返す。

「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前!」

 しーん、とした静寂が支配した。

 時姫は周りの検非違使を見回し、静かに宣告した。

「聞いたであろう。この言葉を発する妾こそ〈御舟〉の真の支配者であることを。よいか、皆の者、妾の下知に従え!」

 検非違使たちは、しずしずと頭を下げ、時姫に忠誠を誓う。最初に声を掛けてきた検非違使が、再び声を上げる。

「なんなりと、ご命令を……」

 時姫は頷いた。

 これこそ〈御門〉が切望していた信太一族がひた隠しにしていた〈キーワード〉であった。

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