第79話

  二

「刑部狸……」

 おみつ御前は忽ち冷静さを取り戻した。千代吉を抱えていた手を離す。千代吉は地面に落下し、鉄の茶釜の体のせいで、がちゃんと音を立てた。

「来ていたのかい。随分と手回しがいいもんだね」

 刑部狸は頷いた。

「ああ、お前が危険な大量破壊兵器を隠し持っているという連絡があってな。真相を確かめるため、わざわざ出張ってきたのだ。どうやら、その報告は確かのようだ」

 刑部狸の視線はもくもくと黒煙を上げている土蔵の残骸に向けられている。おみつ御前は「くっ」と怒りの声を上げた。

 時太郎は刑部狸が狸御殿の兵を連れていることに気付いた。さらに芝右衛門も控えている。

 ざざっ、と足音を立て、狸穴の狸たちが武器を構え、狸御殿の兵隊たちに立ち向かう。

 一触即発の空気が張り詰める。

「お待ちあれ!」

 さっと両手をひろげ、芝右衛門が急ぎ足になって睨み合う刑部狸とおみつ御前の真ん中に駆け込んできた。

 待たれよ、待たれよと繰りかえすと、おほんと咳払いをする。

「双方ともここで戦えば、多数の死傷者が出ることは必定。そこで、この芝右衛門、一つ提案したい! この際、古法に則り、双方の代表者が戦うということでは如何かな? つまり、一騎討ちで御座る!」

 おみつ御前はいきなり爆笑した。

「ははははは……! 一騎討ちだって? 面白いねえ……。つまり、あたしとそこの刑部狸で雌雄を決するという訳だ。文字通りね」

 刑部狸は微かに眉を顰め、芝右衛門を見つめた。芝右衛門はわざと明後日あさっての方向を見て、刑部狸と目を合わせない。その様子に何か考えがあるのらしいと見当をつけたのか、刑部狸は頷いた。

「いいだろう、お前とおれとで決闘だ!」

 応諾の言葉を聞くや、おみつ御前は羽織っていた内掛けを脱ぎ捨てる。

 刑部狸は腕をぶるんぶるんと回転させ、首の関節をごきごきと鳴らす。

 その真ん中に芝右衛門が立ち、宣告した。

「勝負は三本! どちらかが、参ったと言うまで! それでは始めよ!」

 その声を待たず、おみつ御前は「うおおおっ!」と雄叫びを上げて刑部狸に突進した。

 がつーん、と音を立て、おみつ御前と刑部狸の頭蓋骨が激突する。

 くらくらっと双方とも一瞬、気が遠くなったのか、足下が頼りなくよろめいた。

 が、同時に我に帰り、さっと両手を前へ突き出し組み合った。

「ぐぐぐぐ──っ!」

 お互い歯を食い縛り、全身の力を込め、相手を押しやる。しかし双方の力は互角のようで、踏ん張った足下の地面が深く抉れ、土が盛り上がる。

 ぐわっ、と口を開き、おみつ御前は刑部狸の肩に食いついた。

「ぐあ──っ!」

 刑部狸は怒りの咆哮を上げた。

 足を飛ばし、おみつ御前の踵を払う。態勢が崩れていたおみつ御前は踏鞴を踏んで堪えた。だが、刑部狸に食いついていた口は、堪らず離してしまった。

 ふーっ、ふーっと息を荒げ、双方は睨み合った。

「むん!」とばかりに刑部狸が拳を飛ばし、おみつ御前の頬げたを張り飛ばす。

 ごきん! と音を立て、おみつ御前は横を向く。おみつ御前は殴られた頬を押さえ、歯の噛み合わせを確かめるように顎を動かすとにやっと笑い、今度は刑部狸の頬げたを張り返す。

 刑部狸の頬が「ぼくっ」と低い響きを立てた。

 にやりと刑部狸も笑い返す。

 殴り合いが始まった。

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