第78話

決闘

 毒々しいほどのあかね色の夕焼けが辺りを染め上げている。背後の光を受けたおみつ御前の輪郭が金色に彩られていた。

 おみつ御前の後ろからは、数十匹の狸が、手に手に竹槍や棍棒を持ち、じりっ、じりっと迫ってきている。ゆっくりと顔を振り、わざとらしい上機嫌を装って、おみつ御前は語りかけた。

「なあるほどねえ……、どうも近ごろ五郎狸の様子がおかしいと思っていたが、まさか刑部ぎょうぶ狸らと通じていたとは、夢にも思っていなかった。南蛮人との打ち合わせが済むと、あたしが見張りを命じていた狸がふらふら帰ってくるじゃないか。訳を聞いて、あたしゃははん、と思った訳なのさ」

「ご、御前さま、これには訳が……」

「そうだろうともさ!」

 慌てて弁解しようとする五郎狸に、おみつ御前はぴしりと言い返した。

狸穴まみあなを裏切って、いったいどんな見返りを刑部狸は約束したのかね? お前は汚い、裏切り者だ!」

 ぐっと指さし、怒鳴る。

 おみつ御前はさらに千代吉を睨んだ。

「千代吉! なんでお前は、こんな奴とつるんでいるんだい? そんなに狸御殿のお姫さまが恋しいのかえ? あんた知っているのかい、あの姫さまは、とんでもない淫乱狸だってことを? 刑部狸の部下を、今まで何匹も咥え込んだって噂は聞いていないのかえ?」

 千代吉は俯いてしまった。

 時太郎は前へ出て口を開いた。

「おい、あんた千代吉の母親だろ? 自分の息子に、その言い方はないだろう!」

 すう──、とおみつ御前は息を吸い込む。

「おだまりっ!」

 おみつ御前の大音声に、土蔵の屋根の瓦が二、三枚からからと音を立てて落ちていった。

 きいーん、と時太郎とお花は耳鳴りに一瞬、頭の中がぼうっ、となっていた。まわりの狸たちは、おみつ御前のこの大声を予感していたのか、早手回しに両手で耳を押さえて無事であるようだ。

「やっぱり、お前たちは狸御殿からやってきた諜者スパイなんだ! 諜者は見つけ次第、死刑と狸穴の掟だよっ! おいっ、こいつらを殺しておしまいっ!」

 おみつ御前の命令に、今まで武器を構えて控えていた狸たちが一斉に動き出した。

 はっ、と時太郎は身構える。全身の筋肉が戦いに備え、張り詰めた。

「動くなっ! これが見えないのかっ!」

 その時、甲高い声があたりを圧し、思わず全員が動きを止めた。

 全員が声の方向を見上げる。

「わっ!」とばかりに、おみつ御前が立ちすくんだ。

 なんと荷物の天辺に豆狸まめだがすっくと立ち上がり、その左手に握っているのは一本の震天雷ダイナマイト! しかも、右手には燐寸マッチが!

「お、お、お、お前……何をする気だい!」

 おみつ御前が喚く。

「こうするのさ」

 豆狸はしゅっと音を立て、燐寸の先を荷物の表面に擦り付けた。ぱちっと火花が散って、燐寸の頭が燃え上がる。ぼうっ、と燃え上がる焔の先を、ゆっくりと震天雷から伸びている紐に近づけた。

「や、や、や、やめろっ! 馬鹿な真似はおよしっ!」

 おみつ御前は悲鳴を上げた。

 豆狸は笑った。

「馬鹿な真似? いいや、馬鹿な真似じゃありません。こんなものは、さっさと始末するに限ります!」

 豆狸は燐寸の炎を、紐に近づける。

 ぱちぱちぱち……

 紐が細かな火花を散らし、燃え上がった。

 すかさず、火が着いた震天雷を、豆狸は先ほど南蛮人が蓋を開いたままの箱へぽいとばかりに投げ入れる。

 忽ち、箱の中に並べられた震天雷の紐に火が燃え移った。

「ひいいい~~っ!」

 おみつ御前は喚くと、さっと千代吉に近づき、片手でひっ攫うと、脇目もくれず、脛を飛ばして走り出す。

 時太郎も、お花と五郎狸に向かって叫んだ。

「何してるっ! 逃げるぞ!」

 お花と五郎狸は、びくっと我に帰った。三名は、武器を構えたままの狸の群れに突進する。

 狸たちは「はっ」とばかりに身構えたが、時太郎たちはそれらに目も呉れず、足音を立て駆け抜けてしまう。狸たちは、呆然と三人を見送っていた。この狸たちは震天雷の威力を目にしていない。

 そうと気付いた時太郎は振り向き、叫んだ。

「お前たちも逃げろっ!」

 狸たちは只事でないことを悟ったのか、慌てて時太郎たちの後を追って走り出した。すでにおみつ御前は息子の千代吉を脇に抱え、一心不乱に遠ざかっていく。

 奇妙な追いかけっこが始まった。

 先頭はおみつ御前、その後を時太郎たち三名、殿軍しんがりに、武器を構えた狸たち。

 走りながら、お花は時太郎に話しかけた。

「豆狸、どうなっちゃうのかしら? あいつ、あそこから逃げ出せたかしら?」

 時太郎は短く首を横に振った。

「知らねえっ! とにかく、おれたちが危ないんだ……!」

 時太郎が言いかけたその時、不意に背後から空気の塊といった感じの熱風が背中を打った。

「わっ!」とばかりに倒れこむ。

 ついで「どお~んっ!」という爆発音が鼓膜を打つ。同時に、ずし~ん、と腹に響く震動。

 地面に倒れこんだ時太郎は、振り返った。

 見ると、土蔵のあった場所から、真っ赤な夕空に向かって、もくもくと黒煙が立ち上っている。

「豆狸ちゃん……。可哀相……」

 お花は涙ぐんでいる。

 ひいいい──

 甲高い悲鳴が空から降ってきた。

 なんだと見上げると、ぽつんと小さな黒い塊が落下してくるところだった。塊には手足が生えている。

 思わず時太郎は両手を捧げて、それを受け止めていた。

 豆狸だった。

 全身の毛がちりちりに焼け焦げ、火薬と毛の焦げる匂いが漂っている。

「ぷう……」

 豆狸が溜息をつくと、口からぽあっ、と白い煙が吐き出される。

 お花は覗き込み、呟いた。

「よかった、生きてる……」

 時太郎は耳を近づけた。

 豆狸は、時太郎の手の平で小声でなにか唄っている。


 震天雷がよ~

 震天雷がよ~

 震天雷が百五十本……

 畜生、狸穴なんか、ぶっ飛ばせェ!


「歌なんか唄って、呑気な奴だ」

 時太郎とお花は顔を見合わせ笑った。

「お前ら……許さないからねっ!」

 そちらに顔を向けると、おみつ御前が怒りに震え立っていた。

「よくも、あたしの震天雷を……もう、我慢できないよっ!」

 おみつ御前は吠え立てた。

「なにを許さないんだ?」

 そのおみつ御前の背後から、野太い声が聞こえてくる。

 おみつ御前は、ぎくりとなって振り返った。

 そこに立っていたのは刑部狸だった。

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