第71話

「こいつらかい、簡便手押式台車トロッコを台無しにしたっていうのは?」

「はい、左様で。一人は人間の小僧、もう一人の娘は、どうやら河童らしく思えます」

「目を覚まさせておやり。訊ねたいことがある」

 そんなやりとりが聞こえ、いきなり「ばしゃっ!」と大量の水を掛けられ、時太郎は跳ね起きた。

「うわっ! なにしやがる……」

 けほけほと咳き込み、顔を上げると、巨大な狸の顔と向き合っていた。

「お前かい、あたしの大事な簡便手押式台車を壊したのは!」

 島田髷に、派手な色合いの打掛を羽織っている。胸元には巨大な双つの乳房が突き出し、どうやら、この狸は牝らしい。

 それにしても、巨大である。相撲取りにも、こんな大きさの人間はいまい。狸御殿の刑部狸と、いい勝負だ。胡坐をかき、どってりと座っている姿は、ちょっとした小山のようである。

 きょろきょろと辺りを見回すと、隣にお花が目を覚ましたところで、ぼんやりとした表情を時太郎に向けていた。

 簡便手押式台車の鉄路も見える。小屋の近くに、時太郎とお花の二人は寝かされていたようだ。

 周りには、先ほどの巨大な狸とともに、数匹の狸たちが取り囲むように並んでいる。その場には明白な敵意が満ちていた。狸たちは皆いずれも手に竹槍を持ち、油断無く身構えている。

「おい!」

 さっきの牝狸が声を上げた。

「あたしが質問しているんだ! 答えないつもりかえ?」

 表情には怒りが差し上っている。眉が寄せられ、鼻筋に皺ができていた。

 ぐっ、と時太郎は鳩尾みぞおちに力を入れた。

「ああ、悪かった。つい、面白くて速度を上げすぎた。あれを壊すつもりは、一切なかったんだ。御免よ」

「つい面白くて……だってえ!」

 狸の声は甲高くなった。

「おみつ御前ごぜんさま。ま、ここは手前にお任せくだされ」

 物柔らかな口調で一匹の狸がしゃしゃり出た。小柄であるがでっぷりと肥満し、眉が太い。背中に蓑笠をしょっている。

 おみつ御前と呼ばれた牝狸は、ふんぞりかえって頷いた。

「よかろう、五郎狸。お前に任せる」

 先ほどの五郎狸と呼ばれた狸が時太郎に顔を向けた。

「さて、話を聞かせてもらおうか。まず、あんたらの名前だが──おお、わしの名前を名乗るのが、まだだったな。わしは五郎狸と申して、この狸穴まみあなで、色々な面倒を引き受ける役目を仰せつかっている。ま、何でも話してくれれば、わしが悪いようにはせぬぞ」

 この五郎狸の言葉には嘘がないようだ。時太郎には相手が嘘を言っているか、どうか瞬時に判る。

「おれは、時太郎。河童淵から来た」

「あたしは、お花。時太郎と同じで、河童淵から来たの」

 五郎狸は「ふむふむ」と忙しく頭を動かした。

「その河童淵から遠路はるばる、なんでまた、この狸穴にやって来たのかな? わしの記憶が確かなら、河童淵はかなり遠いが」

 時太郎とお花は素早く目配せをしあった。お花が頷き、口を開く。こういう場合、お花のほうが話をしやすい。

「実は、わたしたちの仲間が狸御殿に引き止められてしまって。その仲間を取り返すには、この狸穴と狸御殿の間で進められていたご婚儀を元通りにしなくてはならないことになったんです。この狸穴には、狸御殿のお姫さまに婿入りなさるお方がいらっしゃるんでしょう?」

 すらすらとお花は話した。しかし、翔一が狸御殿のお姫さまに無理やり結婚を迫られたことは伏せている。狸御殿という言葉に、背後で控えているおみつ御前の目が、ぎらりと光った。

 お花の言葉に、五郎狸は目を丸くした。

「狸御殿から! ふーむ、確かにご婚儀の話しは進められておったが、承知のようにご破算になってしもうた。おぬしらの仲間には悪いが、千代吉さまは御殿にはまいらぬよ」

「その、千代吉さん、てのが、お婿さん?」

 お花の質問に、五郎狸は大きく頷く。

「左様じゃ。そこのおみつ御前さまの一粒種でな。さらに言えば、おみつ御前さまは、この狸穴を治めておられる女帝エンプレスで、息子の千代吉さまは若様プリンス、ということになる」

 お花は身を乗り出した。

「それで、どうしてご婚儀の話が駄目になっちゃったの? 千代吉さんが、お婿さんになるのは厭だって言ったの?」

 五郎狸は首を振った。

「いや、そのようなことはないが……」

 言葉を濁す。

 すると、それまで黙っていたおみつ御前が口を開いた。

「あたしが話を取りやめさせたのさ! あの刑部狸には、つくづくがっかりだよ。おおかた老いぼれて、意気地がなくなったんだろうね。せっかくのあたしの提案を、にべなく断ってくるんだから。だからあたしゃ、この婚儀もご破算にしたのさ!」

 忌々しげに言うと、太い腕を胸の前に組んだ。それを見て、五郎狸は困ったような表情になる。おずおずとおみつ御前に向かい合い、口を開いた。

「しかし、御前さま。この婚儀は狸穴と狸御殿の間を取り持つ大事な縁と申せましょう。あのようなことで取りやめにするには、惜しすぎる話で御座います」

「うるさいっ! もう決めたことだよ」

 叫ぶと、じろりと五郎狸を睨み据える。恐れ入った五郎狸は首を竦め、黙り込んだ。

 おみつ御前は、時太郎たちに向き直った。

「あんたら、狸御殿から来たとお言いだね。間違いないね?」

 念を押すおみつ御前に対して、時太郎とお花は頷いた。

「それで、目的は、千代吉の婿入りの話を元通りにするってことかい?」

 再び二人は、こくんと頷く。

 おみつ御前は、にやりと笑いを浮かべた。微かに開いた口許から、白い牙が覗く。

「嘘だね」

 その言葉に時太郎はかっ、となった。

「嘘なもんか!」

「いいや、嘘だ。お前ら、狸御殿の刑部狸から頼まれ、この狸穴に諜者スパイとして入り込むため、やって来たのさ!」

 お花は、ぽかんと口を開け、囁くように呟く。

「ど、どうして、そんな解釈になるの? あたしたちが諜者だなんて」

 おみつ御前は立ち上がった。立ち上がると、さらに巨大さが強調される。

「報告ではお前たち、狸御殿の豆狸まめだを伴っていた、とある。しかし、その豆狸、どこに居るんだい? 姿が見えないじゃないか!」

 時太郎とお花は顔を見合わせて「あっ!」と叫び合った。

 そうだ、すっかり忘れていたが、豆狸の姿が見えない。いったい、どこで何をしているのか?

「こいつらをふん縛って閉じ込めておきな! なんとしても白状させてやる。いい機会だ、この際、狸御殿の刑部狸に眼にもの見せてやるさ……」

 その声に周りの狸たちが手にした竹槍をざっ、と水平に構え、時太郎とお花を取り囲んだ。

「抵抗するな! 妙な真似をすると、ぶっすり行くぜ!」

 竹槍の先で歩くよう指示する。

 時太郎は思っていた。

 二度あることは三度ある。三度あることは四度ある。四度あることは果てしなく無制限にある……。

 冗談じゃない!

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