第29話
三
河童淵を取り囲む崖の裏側を河童たちは「お山」と呼んでいる。
がさがさと下生えを踏み分け、時太郎とお花は山の中を歩いていた。
山の中をちょろちょろと細い小川が流れている。二人は上流に向かっていた。
「まだかい?」
時太郎の問いかけに、お花は短く答える。
「もう、ちょっと」
上流に向かうと、辺りはごろた石が目立ってきた。下生えが少なくなり、ごつごつとした岩が突き出している。
岩にぴたりと寄り添い、お花は時太郎を振り向いた。
「こっち」と口だけ動く。指を唇に当てている。声を出すな、ということらしい。
そうっ、と時太郎はお花の隣に並んだ。
いるいる……。数人の人間が歩き回っている。
百姓には見えない。
手甲、脚絆で手足をしっかりと固め、蓑笠を被っている。蓑笠には面隠しの
「何してんだろう?」
小声で時太郎はお花に囁いた。
判らない、とお花は首を振った。
見たところ、何か探しているらしい。時々立ち止まり、地面に顔をくっつけるようにして小石を引っくり返したり、草を手折ってしげしげと見ている。
やがてお互いうなずきあった。
背負子を下ろし、中から何かの道具を取り出した。鋤のような形をしている。組み立て式で、手にしっかりと握りしめ、ぐさりと地面に突き刺した。
しばらく無言で、その作業を続けている。
やがて動きが止まった。
顔をあげ、お互い見合った。
「どうじゃ?」
「どうも違うようじゃ」
「わしも、そう思う。やはり、もそっと奥に分け入る必要があるな」
道具をもとに戻すと、斜面を登り始めた。
時太郎はもっとよく見たいと身体を乗り出した。その瞬間、ぽきり、と足が小枝を踏みしめた。
ぎくり、と男たちの動きが止まった。
「だれじゃ!」
さっと振り向く。時太郎と男たちの視線が、真っ正面から合ってしまった。
まずい、と時太郎は首を竦めたが、もう遅い。
ざざざざ……と男たちは飛ぶように斜面を駆け下り、あっという間に時太郎を取り囲んだ。
お花は……すでにいない。
時太郎は、どうしていいか判らず、立ちすくんでしまっていた。
男たちの緊張が僅かに緩んだようだ。
「なんじゃ、子供でないか」
「おぬし、どこから来た? この辺りの童っぱかの? 年はいくつじゃ? 名前は?」
問いかける男たちの口調は、厳しいものではなかった。
「待てまて作蔵、そんな矢継ぎ早に尋ねるものではない。見ろ、怯えておるぞ」
どうやら男たちの一人は作蔵、という名前らしい。作蔵と呼ばれた男は、蓑笠の直垂を取った。
日焼けした、人のよさそうな表情が現れる。柔和な笑みが、目じりに浮かんでいた。
「済まぬ! つい、急いてしもうたわい」
「お、おれ……時太郎……」
やっとのことで、時太郎は自分の名前を告げた。うむ、と作蔵はうなずいた。
「時太郎、か。おぬし、この辺りに住んでおるのか?」
時太郎がうなずくと、作蔵は膝を折って、辺りの草を毟り、差し出した。
「このような草を、ほかでも見ぬか? ぜんまい、わらび……そういった草じゃ。こういった草が沢山わさわさ生えておるところを知っておったら、教えて欲しいのじゃ」
さりげない口調を装っていたが、目は真剣だった。
「わしらは山菜採りよ! この辺りの山は、まだ入ったことがないのでな。色々と教えて貰いたいと思っているのだ。教えてくれれば、ちゃんと礼をいたすぞ」
作蔵の背後の男が声を掛けてきた。
俄かに時太郎の胸に不安が湧いてきた。
違う……、こいつら嘘を言っている!
理由もなしに、直覚する。
時太郎は、他人の嘘が判る。どんなに上手に喋っていても、時太郎には相手が本当のことを言っているのか、嘘を言っているのかすぐ判る。時太郎には〝声〟が聞こえるのだ。
たっ! と、時太郎は走り出した。
「あっ、待てというに……!」
背後から声が追いかけてくるが、無視して駆けていく。
ちらりと振り返ると、男たちは時太郎を凝視していた。さっきの柔和な眼差しは欠片もなかった……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます