第17話

  六

 城の作事場がよく見える茶店に、甚助は源二を案内した。どうやら城の作事見物は、この辺りの住民の良い娯楽になっているようで、店は賑っていた。

「珈琲を頼む」

 店の娘に甚助は横柄に命じた。赤い前掛けをした娘は「珈琲ひとーつ!」と独特の口調で奥へ声を掛ける。

 程なく甚助の注文が運ばれてくる。

 これが、珈琲か……。

 噂では聞いていたが、見るのは初めてだった。

 薄手の磁器の茶器の中で、薄墨のような真っ黒な液体が湯気を立てている。南蛮人が持ち込んできた色々な物の中に、珈琲も入っていた。

 甚助は珈琲に、白い液体と砂糖を入れて、金属製の茶匙で掻き混ぜた。真っ黒な液体が、泥のような茶色に変わる。

「それはなんじゃ、豆乳かの?」

 牛乳だ、と甚助は答えた。牛のちちなのだ、と説明する。それを聞いて、源二はうへっと首を竦めた。

 耕運機うしの乳を飲むとは、とうてい信じられぬ! まさか、汽油脂ガソリンのことか?

 甚助は「いやいや、その〝うし〟ではない。生き物の〝牛〟なのだ」と言い足した。説明をされても、さっぱり源二には判らない。

 甚助と源二は奇門遁甲を能くする御所の侍組の仲間であった。しかし、肝心の御所の内部で続く権力争いのため、組はばらばらに分裂し、嫌気をさした源二は信太しのだ従三位の誘いに乗る気になったのである。

 甚助とは、あまり組んだことはなかった。それでも、ちょくちょく甚助の噂は耳にしていた。それも、良くない噂ばかりである。

 曰く、おのれの腕前を鼻に掛け、他人に酷薄な性格である。曰く、欲が深く、狡賢い……。ともかく、朋輩にするには相応しくない、という最低に近い評価であった。

 その、甚助が源二に声を掛けた。何が狙いか、まるで判らぬが、うかうかと乗らぬことじゃ……。

 源二は作事場を眺めた。

 城の石垣を組むため、沢山の傀儡くぐつが働いている。これ程の数の傀儡が働いているのを、源二は初めて目にしていた。

 縄張りを見て、源二は内心首をかしげた。

 城の構造は熟知しているが、どうにも見慣れぬ形だった。城の前面にあたる斜面が大きく切り開かれ、なだらかな坂になっている。その先が湖になっていて、完成途上の城の姿が鏡のような湖面に映っている。

 見とれている源二に甚助は話しかけた。

「大きい城じゃろう? 破槌はづち城というのじゃ」

 破槌……? と問い返す源二に甚助は指で字を書いて教えた。

「この村も殿が破槌と改めた。前は井ノ口とか言ったが、そう名を改めたのじゃ」

 美味そうに珈琲を飲み干すと、甚助は上目遣いになって、そっと顔を近づけてきた。

「源二さん。あんた今、何をしている? 炭焼きの親爺だけかい?」

「当たり前じゃ。ほかに何があろうか」

 くっく、と甚助は引きつったような笑い声を上げた。

「そんな与太話を、おれが信じると思ったのかね。ちょっとばかり、面白い噂を耳にしたんでね。京の信太屋敷から、娘が一人、出奔して、それっきり誰も行方は知らない……。面白いとは思わないか」

「思わんな。それが拙者に、いったい何の関係がある?」

「その時、ひどく腕の立つ従者が一緒に逃げ出した、と噂に聞いたんだがね。それが実は、あんたじゃないかと、睨んでいるんだ」

「知らん」と源二は首を振った。

「それより、お前こそ、何処で何をしておるのじゃ。まだ素破すっぱ乱破らんぱ仕事に未練を残しておるのか?」

 甚助は得意げな表情になった。

「おれか? おれは、こう見えても、この緒方上総ノ介配下の家臣に仕えておる。だからあんたに声を掛けたんだ。あんたと組めば、面白い仕事ができそうだ」

「断る!」と源二は言下に首を振った。

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