第16話

  五

 年が変わり、春になって、源二は里へ降りて行った。背中に薪炭しんたんを背負っている。冬の間、源二は山で炭焼きをして過ごしていた。この炭を村で売るつもりである。

 金子は京を脱出する際に笈に用意してあったが、うっかり更の永楽銭を詰めてきたのが間違いであった。

 この辺りでは縁の欠けたり、表面が罅割れた、いわゆるびた銭をやりとりするのが普通で、新鋳の銭など見たことのない人間が圧倒的大多数である。そんなところで水を求めるため新品の永楽銭を使ったのが裏目に出て、あの山狩りとなった。

 源二は炭焼きで生計たつきの道を立てるつもりであった。それに、炭焼きの親爺となれば、他人の詮索の目を引きにくい。

 月代はわざと剃らず、髭も伸び放題に伸ばしている。背中に負った薪炭の重みが、自然と背中を曲げ、北面の武士としての堂々とした振る舞いも隠してくれる。まさに、むさ苦しい炭焼きの親爺の姿であった。

 村に入って最初の驚きは、関所がないことであった。普通、関所は様々な所に設けられており、通過するたび関所役人に何がしの礼金を献上しなくてはならないのだが、領主の緒方上総ノ介は総ての関所を全廃させたと聞く。

 理由は、関所があるために商人が集まりにくく、上総ノ介は自国を富ませるため関所を全廃させたのだそうだ。

 村に入ると、市が立っていた。それも、相当に大規模なもので、京の都でもこれほどの人出は、源二は目にした記憶がなかった。

 これは〝楽〟というものに違いない……。

 市を立てるために鑑札が必要である。鑑札を発行して貰うためには膨大な運上金が必要だが、その鑑札も上総ノ介は全廃させていた。

 上総ノ介の狙いは見事なまでに図に当たり、商いを求める商人は領内に続々と集まってくる状況になる。

 村を見下ろすようにして、山の中腹に城が建設途中の姿を見せている。落成途中であったが、源二の見たことのないほどの規模で、幾人もの大工が足場を組んで盛んに作業をしている。緒方上総ノ介支配の豊かさを象徴するような巨城であった。

 市の端に源二は荷を降ろし、地面に座り込んで客待ちをすることにした。煙管を取り出し、口に咥える。

 表情はわざと緩め、ぼんやりとした体を装っているが、源二の目は機敏に動いて、辺りに気を配っている。

 ほどなく客がついて、源二の炭はたちまちに売り切れた。市には物を売るだけでなく、様々な料理を出す店が並んでいて、それらの主人が薪炭を求めていたのである。

 代金を懐に捻じ込み、源二は立ち上がった。冷やかしの客を装っているが、その心中には嵐が巻き起こっていた。

 姫はあれから腹が目立ち始め、すでに臨月を迎えていた。源二は堕ろすべきだと説得したが、時姫は頑として聞き入れなかった。

 どのような赤子ややこが生まれてくると思し召す……。源二の言葉に、姫は頭を振って答えた。

「どのような赤子でも、三郎太様の子供です。妾は命に懸けても、守ります……」

 きっぱりと答える姫の顔は誇りに満ち、幸せに輝いていた。

「三郎太様」と姫は呼んだ。その言葉には限りない愛情がこもっている。

 どうすればよい……。

 懊悩が源二の注意力を削いでいたようだ。肩をぽん、と叩かれるまで、その男の接近に気付かなかったのは、迂闊と言うべきだろう。

ましらの源二さんじゃないか?」

 ぎくりとして、源二は声の方向に身体をねじ向けた。

 ひょろりとした痩身の男が薄ら笑いを浮かべて立っている。やや猫背の男は、覗き込むような目つきで源二の顔を穴の開くほど見つめていた。

 身につけているのは着流しに、だらりとした綿入れで、月代は剃らずむしりにしている。細身の刀を落とし挿しにして、遊び人風であった。

 男には頬に目立つ傷跡があった。その傷跡のせいで、男は常に引き攣ったような薄笑いを表情に刻ませていた。

 源二は一瞬にして、男の問いかけをはぐらかすことの無意味に気付いた。すでに相手は源二の正体を見抜いている。

啄木鳥きつつきの甚助だったな。確か」

 にやり、と甚助と呼ばれた男は笑いを浮かべた。微かに顎を挙げ、連れ立つように合図をすると背中を向け歩き出す。

 源二は、その後に続いた。

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