第14話

  三

 廃寺に二人が住まうようになって幾月かが過ぎ去った。茹だるような夏は、冷んやりとした秋口の日々に席を譲った。

 山の中に山菜を採りに行った帰り、源二は寺の庭に姫が座り込んでいるのを目にした。

 姫の屈みこんでいる前には、一匹の獣がうずくまっている。小さな、猫ほどの大きさの生き物である。

 しかし、すらりとした獣の姿は、猫ではない。白に近い茶褐色の毛並み、くりくりとよく動く目。鼻先は尖り、髭は忙しくぴくぴくと動いている。

 管狐くだぎつねであった。

 形は狐に似ていたが、ただ一点だけ狐と違うのは、耳の形状がひどく人間に似ているところだった。ピンと立った狐の耳ではなかった。

「そう……そんなことがあったの……」

 姫は管狐に話し掛け、時折けらけら弾けるような笑い声を上げていた。管狐は姫になにか報告するように手足を激しく動かし、尻尾をぱたぱたと振っている。

 背中に背負った山菜の籠を下ろしながら、源二は時姫に声を掛けた。

「〝くだ〟をお呼びになられたのか……」

 源二の言葉に姫は顔を上げた。うん、とうなずいて立ち上がる。

 そんな姫の顔を、源二は眩しく見つめた。

 時姫はこの山寺で暮らし始めて、大きく変わりつつあった。

 抜けるような白い肌はそのままだが、血色が良くなり、頬に赤みが差している。動作は機敏になり、よく笑うようになった。

 日差しの中を歩き回るのが良かったのだ、と源二は満足げにそんな姫の変わり様を嬉しく思っていた。

「京の様子を聞かせて貰っていたのです。関白殿がお替りになられたとか……」

 管狐は人間の言葉を理解する。しかしその言葉を聞くことができるのは〈聞こえ〉の力を持つ信太一族の者に限られていた。自分の用が済んだと判断したのか、管狐はぴょんと跳ねて、茂みに姿を隠してしまう。

 管狐の後姿を見送り、源二は話しかけた。

「京が恋しゅうござるか?」

 ううん、と姫は首を振った。

「京にいたころは、妾はずっと籠の鳥みたいなものでした」

 籠の鳥……。そんなことを考えていたのか。源二は改めて、姫の変化を痛感していた。

 時姫は源二の手に持っている枝に目を止め、指さした。

「それは、なに?」

「ああ、これでございますか。五加皮うこぎの枝でござりますわい。これを火にくべ、湯に入れて煎じれば、茶になり申す。胃の働きが良くなり、通じも楽になりまする。山菜採りの合間に目にし、五加皮茶でも点てましょうかと参じました」

 まあ……と時姫は笑顔になった。

野点のだて、ですね。源二も、風流なところがあるのですね」

 時姫は寺に入り、さっそく茶の用意をする。用意を待つ源二は、縁側に腰を下ろした。

 のんびり景色を楽しむうち、ひょろりとした影を見つけ、微かな不安が胸に湧いた。影は、三郎太であった。

 背中に日差しを受け、半身が影になっている。手にはそこらで掘り返したのか、土のついたままの長薯を下げている。

 三郎太は、ちょくちょく訪ねるようになっていた。訪問するたび、木の実だとか、川魚だとかを手土産に持ってきてくれるので、それは有難かったが、源二は微かな疑惑を三郎太に抱いていた。

 無言で近づくと、長薯を持った手をぐいと突き出した。源二は顔を顰めた。

「まあ、三郎太!」

 背中で時姫の弾んだ声がする。振り向くと、姫は目を輝かせ、三郎太を見つめていた。

 縁側から庭に降り、草履を履くと、いそいそと三郎太に近づいた。三郎太の持っていた長薯に気付き、袂で受け取った。

 くるりと源二に振り向き、口を開いた。

「源二、三郎太が長薯を持ってきてくれました! 夕餉は、とろろにいたしましょう」

 源二は無言で頷いた。

 秋の日差しに時姫と三郎太が並んで立っている。その光景に、源二の胸のうちに、小さな氷に似た疑惑が育っていた。

 まさか、な……。

 源二は急いで淡い疑惑を打ち消した。

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