第3話

          三

 蓋が閉まって、あたりは真っ暗になった。

 手さぐりで縄梯子を降りていく時姫は、ただ機械的に手足を動かすことだけに専念する。

 やがて、足先が底に着いた。ほっと溜息をつき、時姫は手をのばして、そっと井戸の内側を探る。

 源二の言っていた抜け穴がある。

 時姫が腰を屈め、四つん這いになってやっと通れるほどの高さである。頭を低くし、手を地面について、姫は這い進んだ。

 空井戸とはいえ、湿気があるのか、妙な匂いが籠もっている。地面はじっとりと湿っていた。

 やがて行く手がぼんやりと明るくなった。抜け穴の出口だ。

 ぽかりと時姫の頭が穴の出口から突き出される。穴は斜面に開いていた。まわりは、一面の茂みである。背の高いススキの穂先がかすかな空気の動きにそよいでいるのが、月明かりに見てとれる。

 ここで待つようにと源二は命じていた。

 その言葉を守り、時姫は膝を折り、その場に座り込んだ。静かな月夜に、かすかに虫の音が聞こえている。

 ここは、どの辺かしら?

 時姫はぼんやりと周りを見わたした。

 茂みの向こうに一筋、川面が見えている。どうやら鴨川の川原のようだ。

 その川越しに、月夜に照らされ、御所の建物が遠く見えている。巨大な〈大極殿〉の大屋根があたりを圧するようにそびえ、その背後に一つの塔が天を突き刺すように高々と立っている。

 塔の表面は銀色の金属で、それはどんな雨にも風にも風化しない不思議な素材で造られていた。紡錘形の塔の先端は鋭く尖り、下に行くと魚の鰭のような羽根が四枚、塔を地面に支えている。塔は〈御舟みふね〉と呼ばれている。

 信太一族には言い伝えがあった。〈御舟〉は昔、空を飛ぶ船であったという。船にしては、奇妙な形をしている。

〈御舟〉から降り立った人々が、ここ京の都を作り、徐々に広がっていったと、言い伝えられているが、詳しいことは判らなくなっている。

 時姫はまだ母が生きていた幼いころを思い出していた。母は病弱であったが、時折気分のいいときは、さまざまな昔語りをしてくれた。その中に、〈御舟〉の昔語りも混じっていた。

 御所から目を逸らし、時姫は気息を整えた。背筋をのばし、時姫は目を閉じる。

 そのまま、じっと待つ。

 ほどなく〝声〟が聞こえてくる。

 ただし、常の人の耳に出来る〝声〟ではない。時姫のみが聞くことのできる〝声〟なのだ。

 これが信太一族に伝わる〈聞こえ〉のちからである。この能力あるため、時姫は源二が報告をする前に敵の軍勢に気付くことができたのである。

 世には〝声〟が満ちている。それは姫のほかには誰にも耳にすることの出来ない、ひそやかな囁きであった。だが、時姫が耳を澄ませると、聞くことができるのである。

 川のせせらぎ、風のそよぎ。すべてに〝声〟がある。その〝声〟に時姫は耳を傾けた。

〝声〟の中でもっとも強いのは、御所の〈御舟〉から発せられるものであった。〈御舟〉は一日中〝声〟を周囲に向け発している。

 その中から、時姫は信太屋敷から聞こえてくる〝声〟を聞き分けた。屋敷を取りまく軍勢の敵意に満ちた〝声〟。

 時姫は眉をひそめた。

 聞き慣れない〝声〟が聞こえる。

 これは、なんだろう? ひどく単調で、感情がまったく感じられない異質な〝声〟。

 時姫は目を見開いた。

 これは傀儡くぐつだ!

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