帰りのホームルームはかなり短く、淡々と、かつ簡単に行われた。担任の態度がとても面倒くさそうだったので、たぶん巻いていったんだろう。

 本校舎から出て、寮へと向かっていた俺は、帰りのホームルームに渡された、桜満学園で必要な知識が事細かにかかれた資料――辞書並みの厚さがあるものだ――をパラパラと読んでいた。

 項目は少しだけ面白おかしくコミカルにかいてあるようで、教師たちの粋(?)な計らいが垣間見える。例えば、血界顕界けっかいげんかいについて。


『あるとき急に発現した特殊能力。先に発現するヤツと、後から発現するヤツがある。ぶっちゃけ先に発現したヤツの方が強いが、どうとでもなる』


 ……と、ちょっとコミカルになっているが、いまいち固さが抜けない。娯楽小説の一人称における口語体のようだ、と遥菜はもらしていた。

 まぁそれはおいといて。現在俺は、そのパンフレットのマップを見ながら自分の寮を探していた。渡された紙には『第四舎』と書かれてはいるが、肝心の場所がわかっていないから地味に焦っている。いや、焦りまくっている。なにせ、マップに書いてある第四舎へと向かったところ、そこはだだっ広い練習場だったからだ。

 だが練習場だったということはむしろラッキーだったかもしれない。

 この学園の性質上、ひっきりなしに練習場は利用される。入り口で出待ちをしておけば、いずれは人が通りかかるのは道理だ。というわけで、俺は練習場の入口横にこれみよがしに置かれたベンチで、人を待つことにした。


「……おや、見ない顔だね。新入生かい?」

「はい、新入生の有馬といいます……」

「ふむ、有馬………。有馬くんか。それで、どうしてこんなところにいるんだい?」


 練習場から出てきた爽やかそうな男性が話しかけてくる。体からのぼる湯気と額から流れる汗の滴が、彼が今までトレーニングをしていたことを如実に表していた。

 そんな男性から問われた言葉に、実は……。と前置きして要約して話を伝えた。

 俺の話を聞いてその男性は、ふむ、と少しだけ息を漏らした。そして続けざまに一言。


「とりあえず案内してあげよう。僕は三年のひいらぎ空人そらと。よろしくね、有馬くん」

「ありがとうございます。よろしくお願いしますね、柊先輩」


 おうともさ、と一つ笑みをこぼしながら、歩を進める柊先輩。端から見ても綺麗な歩き方をするが、なんと言っても、この人には隙と言うものがあまり見つからない。

 ……この『あまり』というのが存外重要で、実際俺もこう言う『技術』に引っ掛かり、敗北を喫したことがあった。

 三年生がこれなのだから、最上学年の六年生などどうなっているのだろうか。今から模擬戦などを見る機会がきっとある。しっかりと見て研究しておかなければならないだろう……。


「そういえばさ」

「はい?」

「有馬くんって確かワーストワンだったよね、入学試験の総合成績」


 何でこの人そんなこと知ってるんだ? と内心首をかしげる。しかしそんな俺の胸中を読み取ったのか、柊先輩は笑って切り返してくる。


「ああ、この学園を受験した人の成績は、一般公開されるんだよ? もしかして知らなかった?」

「……知りませんでした」


 だからか。だから『宗家』は俺に最下位をとらせて、遥菜にトップの座を与えたのか。宗家と分家の格の違いを世間に知らしめるために。

 そう思うと、『宗家』のあの意味不明な指示にも合点がいった。


「まぁそういうわけで知ってるんだけど……たぶんだけど、君嘘をついてるでしょ」

「嘘、といいますと」

「歩法、呼吸、雰囲気、気配の配り、視線、体勢……。不自然に『なさすぎる』んだよね。紛いなりにも、あの『有馬』ならもっとあってもいいと思う技術――いいや、なければいけない技術が君には感じられない」

「勘違いという線は」

「これでも第三学年上位なんだ。目にくるいはないよ」


 はは、と軽い微笑を浮かべて柊先輩は再び歩き出した。だけれども柊先輩の見解はちょっとばかり外れている。何故なら、『なくしている』のではなく『なくさせられている』が正しいのだから……。


「まぁ人には事情ってもんがあるよね。詮索してごめんね」

「いえ、大丈夫です」

「……話を切り替えて。そういえば一位にも有馬っていたけど、もしかして知り合いだったりする?」

「ああ、遥菜のことですね。私の腹違いの妹です」


 腹違い。その言葉に柊先輩は顔を少ししかめるが、直ぐ様元の顔に戻って、おどける。


「ふむ……。それじゃあ結婚できるわけだ」

「できますね。と言うか順調に進んでしまえば結婚すると思います」

「………すまない。今日は朝にしか耳の掃除をしていないもので、耳が聞こえなかったみたいだ。もう一度言ってくれるかい?」

「順調に進んでしまえば、結婚すると思います」

「はぁ?!」


 そうだよな、普通の人はそんな反応をする。

 俺と遥菜の関係は、平たくいってしまえば許嫁だ。俺は遥菜に子供を産ませる種馬。遥菜は優秀な子供を産むため、そして有馬家の血筋を守るために俺と……深く通じ合う必要がある。

 つまるところ、有馬家とは近親婚で血を保ってきた家庭であり、家系図をたどると、妹と兄でまぐわった記録さえも見つかるお家なのだ。……いや、寧ろ近親でしかまぐわっていないんじゃないか、とさえ疑うほどの夥しい数のいかがわしい記録だった……。


「……色々すごいな、有馬は」

「そこは概ね同意です」


 たはは、と軽く笑って同意をする。柊先輩は驚いたような恥ずかしいような顔をして、俺を変わらず先導してくれる。

 二人の間を静寂が支配して数分がたった頃。やっとのことで第四舎へと俺たちは到着した。


「ありがとうございます、柊先輩」

「困ったときはお互い様だよ。有馬くんも、僕が困っていたら助けてくれよ?」


 まぁ「その時」はかなり遠いと思うけどね、と軽く笑う柊先輩。何となく俺は、柊先輩がすぐにトラブルを持ってきてしまいそうな気がしたのだが、とりあえずは黙っておくことにした。

 そんな感じで他愛ない会話を続けていると、こちらへと走ってくる影が玄関から揺らめいた。そしてかなりの速度を維持したまま俺の腕をポールのようにして、その場に停止する。


「……むぅ。にぃ、遅い」

「ごめんごめん……。場所がわからなくて訓練場までいってたんだわ……」

「もしかして、このお嬢さんが件の?」


 柊先輩は未だにこわばっている表情を必死に取り繕いながら遥菜へと目線を向けた。その視線に遥菜は少しだけ訝しむような表情をすると、そでをくいくいっと引っ張って耳に口を近づける。


「……この人、だれ?」

「三年の柊先輩だ。多分強い人だから粗相のないようにな」

「……んっ、りょーかいした」


 遥菜の着地音が聞こえ、遥菜は心なしか緊張感を漂わせながら、軽く会釈をした。


「………有馬、遥菜です」

「あっ、これはご丁寧に。柊空人という者だ。三年生で、君たちの先輩ってことになるかな」


 少しだけびくびくしながら、柊先輩がそう答えると、その様子を無表情で見ていた遥菜から吹き出す音が聞こえた。これだけの好青年……世間一般で言えばイケメンやそれにカテゴライズされるタイプの人間がこんな感じで挙動不審になっているのだ。しかも柊先輩から見たらかなり背が低いはずの遥菜に対して。そのギャップにクスッと来るのは何らおかしいことではない。……おかしいことではないんだけれども、失礼じゃないか……?

 案の定柊先輩は苦笑いだ。あはは、と笑う声が練習場の時の声とは比べようもないくらいかすれていることがわかる。


「すみません、遥菜が」

「いや、いいんだよ有馬。なんだ、その、あれだ。近親婚をやっていると聞いてビクビクしていたのは僕の方だからね。笑われても仕方がない」


 柊先輩はそこまでいうと、息をゆっくりと、深く吸い込んだ。そして先程の苦笑いから一転、最初に出会った時の凛とした表情へと戻る。


「すまないが僕もそろそろ行かなければいけない場所があってね。お暇させてもらうよ」

「あ、そうですか。引き止めてしまって申し訳ございません」

「いや、いいんだよ。面白いものも見れたしね? じゃあ、またいずれ、機会があれば!」


 そう言って練習場の方向へと走り去っていった柊先輩。その走るスピードは俺や遥菜のソレ以上に早い。……いや、遥菜はフィフティ・フィフティかもしれないな。血統顕界の身体技能向上の恩恵が、俺達以上に馴染んでいる様子が見られる。ともすれば、やはりこの学園の上級生という人間は……。全員化物、なのではなかろうか。

 そう想像して、ゾクリと背中に悪寒が走る感覚を覚えた。まるで冷たい殺気を首筋につきつけられたかのような、そんな感触。と同時に、心の何処かで熱く燃え上がるものも感じられる。……俺はこの感情を知っている。戦いたくて戦いたくてたまらない時の、言いようのない昂ぶりだ。


「……にぃ、もしかして」

「言うな遥菜。お前も同じだろう?」

「んっ……」


 ぐっ、とその細い腕を正眼に持って行きながら、その目に炎をくべる遥菜。春特有の瑞々しい風が、今はどこか俺達の火を煽るように吹いているように感じられた。

 武人は目指すべき峰があると燃え上がるものだ。俺の師匠が言っていたことが、今になって理解できる。なるほど、こんな感触か。こんなに気持ちが昂ぶるのか!

 俺はなんだか嬉しくなって、柄にもなく闘志を燃やしていた。いや、仕方がない。こうやって全力で闘える環境なんて、そうそうなかったのだから。『宗家』の指示で大立ち回りはできないが、それでもいくらかの強い人間との対戦はできるだろう。心が踊る。


「……楽しみだな」

「んっ」

「取り敢えず部屋に戻るか。体が冷えて体調でも悪くしたらたまったもんじゃないしな」


 遥菜は短く頷くと、さっと俺の手を取った。遥菜の手は温かくて、対象的に俺の手は冷たい。だから二人の体温が交じり合って、ちょうどいい温度になる。そのことを知っているから、遥菜は事あるごとに俺の手を握ってくる。俺の手のどこがいいんだか、と思うのはこの際仕方ないことだろう。何度も思って口に出したところで、帰ってくる答えは「安心するから」という一言のみなのだから。……うん、でもその気持ちもわからないことはない。俺もちょっとだけ、安心してしまっている。


「あーっ!! 有馬が、遥菜ちゃんと……手を結んでるっ!!」


 ……まぁ、そんな温かい気持ちも、こうやって壊されちゃ台無しだよな、うん。

 そんな俺の気持ちをよそに、風浜は大手を振ってこちらへと駆けて来ている。そこまで息が上がっていないところを見ると、割と体力はある方らしい。華奢な体の中には元気がたくさん詰まっているのかもしれないな、と心のなかでふと思った。

 そんな風浜を見て、遥菜は握っていた手を解いて、何故か腕へとしがみつく。以下に幼児体……ごほん、肉付きがあまりよろしくない遥菜とは言え女の子だ。余りそういうことをするのは褒められたものではないのだが……。とは思ったものの、よくよく考えてみればいつものことなので、なんかどうでも良くなってきてしまった。


「……ねぇ有馬、本当に有馬と遥菜ちゃんって、兄妹なのよね?」

「義理だけどな。まぁ兄弟であることに違いはないさ」

「んっ」


 短く頷き肯定する遥菜。その表情は陰になって確認できないが、何を当然のことを、というような顔で風浜を見ていることは間違いない。

 しかし、まだまだ信じられない様子の風浜。柊先輩も割りとウブというか常識的なんだが、多分風浜のソレは柊先輩の上を行くだろう。……よって許嫁云々の話は、多分風浜のキャパシティをゆうに超えることが推測される。よって、この話をすることはなしだ。

 しかしどう説明しようか……。と、そのとき、遥菜が口を開いた。


「にぃと僕は、元の源流が同じ、家柄の子供同志。お互いの武術の腕を高め合うために『強制的に仲良く』させられた。……ありていに言うなら、傀儡」

「……え、もしかして割りとブラックな話だったりするの?」

「んっ。割と話す人には引かれる話。それで僕とにぃはこうやって、一緒に行動することを強いられている。最も僕はにぃのこと、煩わしく思ったり嫌になったりはしてないけど」


 こういう時は遥菜は饒舌だ。お家に関することの説明は、長らく遥菜がやってきたことなので、よどみなくすらすらと説明してくれる。口下手で何をいっていいか、何を言ってはいけないのかを理解していない俺ではやれないことを、遥菜は平然とやってのけるのだ。とても感謝している。

 それで、そんな多分ブラッキーな話を聞いた風浜は、両手をわなわなと震わせて俯いていた。情緒豊かな女性だなぁ、とは思ったけれども、想像以上に感情的で面白い人だ。この人と友だちになった暁には、楽しい学校生活を送れることだろうな、と頭の隅っこで思った。そんな風浜は、十数秒のためのあと、うがーっ! と顔を天に振り上げ、叫んだ。

 遥菜はその様子に危機感的なものを感じたのか、何時でも『血統顕界』を発動できるように構えていた。俺も無意識のうちに両手を腰のあたりへと持って行っていたのだから、本能が危機的な何かを感じたのだろう。

 風浜はその頭をまっすぐこちらへと向け、俺達を怒気にあふれた目で見据えていた。なんだかいつもの風浜(といっても出会ってまだ数時間なのだが)とは違う雰囲気に、少しだけ冷や汗が流れるのを感じながら、俺は何があっても動けるように構えを強くする。


「ふ……」

「ふ?」

「ふざけるなぁッ!! なにソレ!! まるで噂に聞く政略結婚じゃない!!」


 次の瞬間、風浜は小動物へと戻っていた。そのままうがーっ! ともう一度可愛らしく叫ぶと、おそらく自分の胸中にあるであろう感情を吐き出した。

 ……だけど、なんでこんなに俺達の事を気にしてくれているのだろうか。ちょっと気になるところではあるのだが……。


「うがーっ!!」


 そんなことは、どうでもいいんだろう。風浜は多分、ばかみたいに俺たちを思ってくれてる。それが痛いほどに伝わってきて、俺の胸は温かいものに包まれた。


「か、風浜?」

「……はっ! ごめんなさい、ついいつもの癖というかなんというか……」

「いや、怒ってくれてちょっと嬉しかったよ。ありがとな、風浜」


 俺がお礼を言うと、風浜は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、こちらを呆然としながら見ている。 その顔になんだか苛つきにも似た感情を抱いた。

 すると突然風浜が笑いだした。まるで火をつけた火薬のように爆発する風浜の笑い声。俺はともかく遥菜は戦々恐々といった様子で、俺の後ろへと隠れていた。まぁちょっと怖いもんな。しかたないしかたない……。


「あはははは……ふぅ。有馬って、人を笑い殺す才能があるよ! 芸人とか目指したらどうかな?」

「それは煽りと捉えていいのか? 喧嘩は絶賛買取り中だぞ」


 ひぃひぃ言ってお腹を抱えていた風浜は、ゆっくりと深呼吸して、俺へと向き合う。その表情は先程のものと打って変わって、真剣そのものだ。

 夕日が第四舎の背に入って、風浜の顔に影をさした。その様子がとても寂しげに見える。


「……冗談抜きでね、そういうのに憤りを覚えるよ」


 ゾクッとするような、寒気。暗く少しばかり冷たいこの場でもはっきりとわかるレベルの冷たい殺気にも似た何かが、風浜から放たれる。


「……まぁ、それで仲良くなった兄妹がいるなら、それもいいかもねって思っちゃうけどっ!」


 またも表情を転じた風浜は、俺たちに背を向けて歩き出す。いくら表情が変わると言っても、さすがにこれは変わりすぎではないのかと思ってしまう。

 ……多分これは、風浜の心の奥にある何かが問題なのだろう。と、踏み込んだことを考えようとした思考を、何とかして引き留めた。


「それは風浜の問題だしな……」


「え、何が?」


「忘れてくれ。それよりも、そろそろ寮の門限なんじゃないか?」


 俺が時計を見やると、その視線につられて風浜も視線をそちらへと向ける。独特の機械音を鳴らしながら、時計はちょうど六時二十八分を指し示した。

 ちなみに、俺が記憶している入寮時間は六時半。つまりあと二分しかない。風浜の入寮しているところがどこかは知らないが、ここではないことは確かだろう。何せ荷物を含めて、何も持っていないのだから。さらに、ここから他の寮へと行くにはダッシュで二分かかる。


「ほら、放心してると遅れるぞ。あと一分と四十八……あ、いま四十七になった」


「ああああああああ!! また明日ね、有馬に遥菜ちゃあああああん!!」


 ダッシュで駆け抜けていく風浜。走りながら発言しているため、声がまるでビブラートみたいに揺らいでいた。そしてそのまま、少し遠くに見える林道に隠れて、その姿は見えなくなっていく。……あの方角は、反対側の第五舎だな。ご愁傷さま、風浜……。


「にぃ、僕たちも入らないと。寮母さんが手招きしてる……」


「ああ、そうだな」


 そういって俺たちは、かなり影ができてきた道を進んで、柔らかい光に包まれている寮へと足を踏み入れた。

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