自己紹介


 教室に入った俺に待っていたのは、新入生恒例と言われる、自己紹介だった。事前に得た情報によると、これがかなり長いらしい。俺は少しだけ辟易としつつ、席へと座った。

 しかし、ここでこの自己紹介を聞き損じては、この後に控える『イベント』に差し支えると聞いていた。その理由が漠然としてわからないまま、教卓へと立つ人間を見た。

 有馬晴虎。つまり『あり』だから、出席番号順にソートしたとしても上から五番以内に入るという少しだけ悲しい立ち位置だ。後のほうになればなるほど、クラス内の空気は少しずつ冷めていくので、俺はこの位置をあまり好ましく思っていない。

 せめて『た』とか『す』の中間くらいの苗字ならば、まだクラスの雰囲気も弛緩していて話しやすかったんだろうな……と思うと、ちっぽけな悩みが大きな恨みへと組み込まれそうになった。


 何かに悶々としながらも、俺の目は依然として教卓へと向けられていた。

 担任が黒板の上下をスライドさせて入れ替える。現れた深緑色の黒板は、この清潔感あふれる教室において異様な雰囲気を示していた。

 黒板の四隅に血痕。あまりにも武力の行使がここで行われたことを強く示しすぎるそれは、クラスメイトに少なくない恐怖を与えたようだ。

 だが全体を見ると、酷く薄いそれは、気付いた人間と気付かなかった人間を確りと分けた。気付いた人間は、つまり俺と同じ能力を持っているということ。今頃は各々『特殊能力』が発動し、その血が飛び散った理由を詳細に伝えてきているころだろう。俺もそうだから。


「――静かに」


 不意に、大鐘を強く鳴らしたような、芯の通った声が響く。それが担任から発せられた声であることは間違い。その雰囲気は先程の朗らかなものではなく、ただただそこには武人の影が薄っすらと見えていた。

 スッと細められた目には、研ぎ澄まされすぎて常人では読み取れない殺気すら含まれていた。武芸にある程度通じているクラスメイト達は、例外なくその研ぎ澄まされすぎた殺気をその身に受けて硬直する。無理もない。このような殺気、そうそう受けられるものではない。有馬家でも珍しいほどの殺気の鋭さだ。それを日常的に受けていた俺も膝が笑って動けそうにないのだから、クラスメイトは相当まずい状態であるはずだ。

 俺たちが黙ったことを確認し、担任はゆっくりとその殺気をその身に収めていく。依然硬そうな態度は解けないが、それでも殺気がなくなったことに生徒たちは目に見えて安堵の色を浮かべた。

 そのまま先生はその大きな口を弓なりに歪め、人懐っこそうな笑みを浮かべる。そのまま出席番号が一番早いと思われるクラスメイトの席の前に立ち、その口を開いた。


「よし、じゃあ自己紹介を続けるぞ! ……荒木! 前に出て思いつく限りの自己紹介をしろ!」

「えっ?! は、はっはい!」


 荒木、と呼ばれた生徒はその身を壇上へと登らせて、ぺこりと一礼する。


「はじめまして、荒木あらき光一こういちといいます。得意なことは弓術と槍術です。どうぞよろしくお願いします……」

「おう、よろしくな荒木。ついでと言ってはなんだが、お前の『血界顕界けっかいげんかい』はなんだ?」

「け、『血界顕界』、ですか? ……僕の『血界顕界』は、『和弓』ですけれども……」

「ん、ありがとう! お前ら! これからやる奴は自己紹介に『血界顕界』の項目を入れとけ!」


 ……『血界顕界』。この学園に入学するにあたって必要である資格の一つであり、先天的なモノと後天的なモノが存在する。先天的なモノのほうが強力な武装に転化しやすく、日本の武に関する人間からは重宝されているらしい。この力に目覚めた者達は、もう二度とは同じ日常を過ごせないと言われている。実際このような学園に入れられていることから、大体の事情は伺えるものだ。

 それに、何らかの超常の技能を得る。俺が知ってることはこれくらいだろうか。詳しい説明は入学式に聞いたんだが、いかんせん修行の日々が体に疲労を残していた。眠気をどうにかしていて、それどころではなかったのだ。

 そして、自己紹介を聞いていてなるほどな、と理解した。

 聞いておいた方がいいというのは、つまるところは対策をたてやすい、ということだ。どのような戦術を取るかも、相手の様々な状態から読み取れということだろうか。

 武器の紹介をさせたということは、その特性や相性をきちんと理解して、その上でどのような対策を取るか考えろということだろう。なるほど、なかなかどうして先人の言葉は無視することができない。

 それにこの自己紹介には別の目的があるようだ。俺は荒木、と名乗った生徒の性格や所作、体つきを事細かにメモ帳へと記入していく。こうやって一人をまじまじと見ることができる機会は稀だ。つまり観察も目的の一つ。

 ちょうど荒木のことに関して情報を整理できた頃、彼は教壇を降りて、自分の席へと着席した。それを確認した担任は、俺のほうを見て、苦笑を浮かべた。


「次は……遅刻魔か」

「遅刻魔ではないですよ! まだ一回しか遅刻してませんし」

「入学早々、しかも入学式の後だっていうのに遅刻するアホが居るか? いないよなぁ。まぁ自己紹介、よろしくな!」


 にかっと歯を光らせて笑う担任が、俺を壇上へと手招きする。ゆっくりと席を立ち上がり歩き出して壇上に立つと、全員の姿が見えた。

 髪を金色に染めた男、髪を栗色に染めた女、髪を金色に染めた男、髪を茶色に染めた男。それにもともと黒髪が地毛ではないような男女――。クラスメイト五十人のうち、黒い髪をしている生徒が少なかった。先ほどクラスに入るときにもふと思ったが、黒髪の少なさは日本の中学と比べると、少しの驚愕を覚えた。

 ……色々と思うことはあるが、それは胸へとしまう。まずは、自己紹介をすることにした。


「俺は有馬晴虎。得意なことは……当身と双剣術くらいかな? 血統顕界は双剣だ。まぁ、よろしく」


 当たり障りのない挨拶をできたとは思う。クラスメイト達がこちらへと興味があるような視線を向けてくる。……が、俺の姿を見て、急に興味を消した。なぜかは大体理解していた。

 そんな彼らを壇上で見渡しながら、一つ礼をして着席した。


「おう、ありがとな。にしても双剣とは、また難儀な武器になっちゃったもんだなぁ。次は――」


 担任が自己紹介を促していく。俺は名前と武器の特徴、性格、体つきなどを一致させて、記憶にとどめておくと共に、手元にあるメモにも書き留めておく。こうして情報を残しておくことは、いざというときに役立つ。対策がある作戦とない作戦では、その成功率が大きく変わってくるからだ。

 そのままたっぷり数十分を自己紹介の時間に費やす。全員分の自己紹介が終わり担任が一つ大きく笑うと、チャイムが鳴った。


「おっ、ピッタリだな! 十分間休憩したあと、帰りのホームルームだ。遅れるなよ、遅れただけ帰る時間が遅くなるんだからな! 俺も!」


 担任に指示された荒木が授業終了の音頭を取り、十分間の休憩となった。俺は机に頬付きしながら、その瞼を閉じた。まだ少しの眠気が残っていたからだ。そのまま眠りにつこうとして。


「有馬晴虎くん……だっけ?」


 ふいに声がかけられた。それは女性の声だった。少しだけ声は高め。この声は確か……。


「ああうん、そうだけど……。たしか君は、風浜かざはまさん……だったっけ」

「よく覚えてるんだね。記憶力とかに自信あるタイプだったりするの?」

「いや、そういう訳じゃないんだけど、メモを取っていてね」

「……なるほど」


 そういいながら、メモをひらひらさせる。

 風浜は、そのメモを丁寧に受け取った。そのままメモにさっと目を通して、感嘆の声をところどころで上げていた。最後まで目を通して顔を上げた時には、その目を見開いていた。


「ふぅん、すごいね。名前と武器を……。もしかして、クラス代表とか狙ってたりするの?」

「……まぁ、そうだな。狙ってたりする。風浜は……あ、風浜さんはどうなんだ?」

「同級生なんだし、呼びやすい方でいいよ。私も有馬って呼んでいい?」

「いいよ。むしろそっちのほうが気が楽だ」


 軽く笑うと、風浜も笑い返してくる。

 風浜は、一言で言うと活発そうな女の子だ。小動物のような背丈で、栗色の髪の毛――おそらく地毛だ――をかきあげてとてとてと近寄ってくる姿は、やはりかわいらしい。それにスポーティーな印象を受ける。

 ……だが、そんな印象とは裏腹に、足運びが油断ならない。隙がないし、何時でも回避、反撃が可能なように重心を置いている。

 この見た目で何人狩られてきたかと思うと、ちょっとだけ悪寒が背中を走る。だが、そんな足運びだけで危険だと判断していては、できるものもできないのだ。友達……交友関係は無くてはむしろ困る。

 できるだけ自然な会話を心がけることを念頭に置き、話し始める。


「そういえばさ、当身得意だって言ってたよね? どこの流派なの?」

「……あー。すまん、流派とかはなくて、我流なんだ」

「我流?!」


 やはり、か。

 この反応はだいたいわかっていた。なにしろ、この桜満学園は武術を修めた人間が多数通う学校である。むしろ修めていない人間などいないに等しい。と、いった本当に物騒な環境下で、我流の武術など揶揄されることは目に見えていたのだ。

 ……実のところ、俺のそれは我流ではない。きちんとした流派で学び、そこで師範の及第点はもらっているのだ。だが、事情でそれをこうだと明確に示せない以上、どうしても我流で、という回答しかできない。下手にほかの流派を騙ると、ぼろが出ることは自覚しているし。

 風浜は驚きに目をぱちくりとさせた。そのまま自分の軽はずみな行動と言動に気付き、ばつの悪そうな顔をして頭を下げた。


「……お、おうふ。なんかゴメンね。我流ってこの学園じゃ肩身が狭いって知ってたのに叫んじゃって……」

「いや、いいよ。むしろ俺から公開してやろうと思ってたし……。まず公開したところで何かデメリットがあるわけでもないしな」

「そっか……。もしかして有馬って、割と負けず嫌いだったりする?」

「さぁ、どうでしょうかね……」


 少しだけはにかんで目をそらす俺に、風浜は頬を膨らませそっぽを向く。……なるほど、風浜の性格は他人のことを深く知りたいタイプの可能性がある。こういった人物は集団行動と連携において類まれなる才能を発揮することが多い。経験則なので確かなことは言えないが……。

 メモに断片的に情報を書き込んで風浜を宥めようとしたときだった。


「……なんだ、もう女の子引っ掛けてたのかぁ」

「――あのな、そんな誤解を産むような発言はやめてくれないか、青龍」

「いやだってさ、性格まで書き込むなんて、やっぱり狙ってるんじゃないの?」


 机のサイドからひょこっと出てきて、唐突に俺を揶揄し始める青龍。うざったらしくてたまらないが、こんなのでも俺の修行相手だ。青龍は怪訝な目付きを一旦俺に送り、次に気障ったらしい笑みを浮かべて、風浜の方へと軽く会釈をした。


「えっと、風浜さん……だっけ?」

「あ、え、はい」

「俺、堂間どうま青龍せいりゅう。Dクラス……、つまりこのCクラスの隣のクラスの人間だよ。よろしく!」

「ついでに言うと女には目がない猿だ」

「晴虎には言われたくないなぁ。朴念仁の晴虎くんには、ね?」


 思考がフリーズする。朴念仁って確か、他人の気持ちに気付かない人間って言う意味だったはず。だったらなぜ俺がそこにカテゴライズされるんだ……?

 ……そういった思考をはたらかせているのを悟ったのか、青龍は再びその口を歪めて、ニヤニヤとしながら話し出す。


「だってさあ、はるな――」

「――それ以上は、しゃべっちゃダメ……っ!」


 瞬間、青龍の体が真横に吹っ飛ぶ。形容でもなんでもなく、吹っ飛んだのだ。

 しかし青龍は唐突のことでよくぞ、と誉められるくらいのきれいな受け身をして、教室を転がる。

 先程まで青龍がいた場所には、俺より頭二つほど小さい少女がいた。濡れ羽の鴉色の長い髪の毛が日光に照らされ、天使の輪が輝いている。そんな長い髪の毛がふわりと浮かんで、そして静止。腕をそのままに残心。油断なく青龍が吹き飛んだほうを見つめている。

 そして遥菜の中で何らかの確認が取れたのか、残心が解かれる。そのまま、その少女はこちらを向いて、薄く開かれた目でこちらを見据えていた。


「ん、にぃ。しょっぱなからのは……」

「あ、ああ、ごめんな遥菜。だけど遅刻には深い理由があってだな?」

「……んっ、知ってるからだいじょーぶ」


 ぐっと親指を立ててこちらへ薄く微笑みかける遥菜。……この華奢な体のどこから、青龍を吹き飛ばす力が出ているのかは、俺にも、『宗家』の人間にもわかっていない。だがきっと、訓練のおかげだろうと俺は考えている。


「ちょっ、ちょっと! 大丈夫堂間くん?!」

「まぁ、いつものことだし、大丈夫だよっ……と」


 風浜に心配されながら、ひょいっと体を起こして、制服についた塵をはたき落とす青龍。それを少しだけで冷めた目でみる遥菜は、その薄い桜色の唇を開く。


「……二週間。それだけあった。……なまった、ね?」

「いや、遥菜ちゃんが強くなりすぎてるんだよ!」

「……そうか? 遥菜は確かに強くなったけど、そこまで劇的に強くなってる訳じゃないんだがな」


 俺は実際に遥菜と鍛練を重ねていたからこそわかる。遥菜の強さは確かに上がってはいるが、青龍がそういうほど強くなっていると言うわけではない。であるからにして、俺の意見は遥菜と概ね一緒だ。


「あ、あの。有馬、ちょっといい?」

「なんだ、風浜?」

「堂間くんを吹っ飛ばした……この子。もしかしなくても、知り合い?」


 風浜がゆっくりと近寄ってきて、同じくらいの背丈の少女を軽く目で追う。その視線に真っ先に気づき、こちらへよってきたのは遥菜の方だった。


「んっ。知り合いもなにも、僕はにぃと兄妹。そこに転がってる青龍とは、修行仲間」


 無表情のままゆっくりと語り始めた遥菜だったが、次の瞬間、授業開始二分前の予鈴が鳴る。少しだけ残念そうな顔をしながら……最後に爆弾を放り投げていった。


「むぅ、まだ話したりないけど……。にぃと同室だから……あとでゆっくりと話せる。ん、じゃあね、にぃ」


 その一言は、ゆっくりとクラス内に浸透していき、次第にざわざわとした話し声が聞こえてくるほどになった。

 異性と同室……。あんな冴えない男があんな可愛い娘と一緒に……。などといった、どんよりと暗い声が聞こえてくる。しかし、事実である以上下手に否定は行えない。俺としては「宗家の指示なんだもん。しかたないじゃん」としか言いようがないのだ。


「……ねぇ、有馬」

「なんだよ、風浜」

「有馬ってさ、割とトラブルメイカーの素質あると思うんだけど、心当たりとかあったりしない?」


 心外だ。――いや、よくよく考えてみるとそんな気がしなくもないが……?

 いや、もうそんな考えはよしておこう。思考を切り替えて、俺は風浜に最大限の笑顔を浮かべながら、こう言った。


「うん、俺、トラブルメイカーだわ!」

「やっぱりね」


 教室に本鈴が鳴り響いた。




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