寮での一幕
夕陽と同じくらいに柔らかい笑みを浮かべる寮母さんへと軽く会釈をしながら、俺たちは割り当てられた部屋へと歩き始める。
荷物は有馬家のほうからすでに送られてきている。こういうときは非常に便利の一言に尽きる。
割り振られた部屋へと進んでいると聞こえてくる談笑の声。寮の部屋は完全にランダムで振り分けられるので、こういう初手でのコミュニケーションが大事だ、とか青龍が言っていた。
しかし、こと俺たちに限ってはランダムではない。家の力が強いのか、俺と遥菜は同室であることが最初から決定していた。そして今はその部屋まで向かっているのだが……。
「ん、にぃ、ここ」
「……端なのか」
隣の部屋から、軽く三部屋分飛んでいるのが俺たちの部屋だった。
なんだか事情を知っている学園長の微笑ましい笑みを幻視してしまう。
……多分、そういうことなんだろうな。学生のうちはしないつもなのだが……。いや、遥菜から求めてきたらそれは別ではある。家からの命令だしな。
「とりあえず入って休むか」
「んっ」
遥菜は短く返事をして、俺の左腕へと抱き着いてきた。その様子にほっこりとした何かを感じつつ、右手でドアをかちゃりと開く。
部屋の中はワンルームマンションのような造りになっていた。冷蔵庫とキッチンがあって、部屋の中央にはシングルベッドとソファー、テレビがちょこんと存在している。ドアのすぐ右手にはトイレ、左手には浴室があった。
生活する分には申し分ない。うん、申し分ないんだが……。何でシングルベッドなんだよ………。
「んっ……!」
はた、と止まって遥菜を見ると、両手で軽くガッツポーズをしていた。そういえば遥菜、二人で寝ることを楽しみにしてるっていってたもんなぁ……。
「まぁ、いいか……」
遥菜と一緒に寝ること自体は今に始まったことではない。そういう風に考えて、手に持っていた荷物をベッドのわきに放り投げる。そのままごろんと転がる。深い包容力で、ベッドは俺のことを包んでくれる。
そして、まるでそんな俺を待っていたかのように、隣に寝転がってくる遥菜。遥菜の頭を撫でてやると、可愛らしい声をか細く発して、ぐりぐりと自分の頭を俺の手に押し付ける。
「夕食の時間まではかなりあるから、ちょっと寝てもいいかもな」
「じゃあ……おやすみなさい?」
「そうだな。じゃあ仮眠と洒落混むか……」
そう言って、俺はゆっくりと瞼を落とす。体に密着している遥菜の体温がほどよく暖かい。人肌の温もりを感じながら、意識を眠りの泥沼へと沈めていく。
それも、勢いよく開かれる扉の音さえなければ、きっと沈みきっていただろう。
「ん、あれ、ドアが開いてる。遥菜さん! お迎えに上がりました……よ?」
「んぅ……。あ、そうだった」
「………………」
長い沈黙が、部屋を支配した。
扉の前にたっている男子はポカンと口を開けたまま呆然としていた。そう、あたかも昼ドラで、浮気相手の男を見てしまった旦那のような、そんな表情。
「は、遥菜さん! なんですかこの男は!」
「何って、僕の……大事なヒトだけど」
「大事な……ヒト」
何やら尋常ではない気配を、扉の前の男は放っている。まるで以前見た昼ドラで、浮気相手の男を睨むような……もうこの例えはやめとこう……。
「……お前、名前はなんだ!」
「まずは自分から名乗るのが礼儀だと思うんだが」
「礼儀知らずに礼儀など必要ないッ!」
「あっはい……。俺は有馬晴虎、遥菜の義兄だ」
「……何故義理の兄なのに遥菜さんと一緒にベッドに寝ているんだ!」
その男の子は眼鏡を怒りか何からか曇らせて、俺と遥菜のほうを見ていた。……確かに、世の男子がこの光景を、俺たちの置かれた状況下を理解せずに見たら、きっとそういうことを思い浮かべるだろう。
しかし俺たちは兄妹だ。たしかにそういうことはいずれする間柄ではあるのだが、ただ仲良く一緒に寝る事の何が悪いのか。俺にはその理由がわからなかった。
「一応誤解のないように言っておくと、兄妹で昼寝してただけだからな? やましいことなんて何もないからな?」
「それが信じられないって言ってるんだよ!」
「克之、それ以上は黙って」
遥菜の一括によって、克之と呼ばれた男は静かになる。なるほど、克之というのか。にしてもなぜ俺にこんなに突っかかってくるのだろうか。遥菜に対する崇拝か何かか?
「にぃ、克之くん。僕のクラスでできたお友達」
「おお、そうなのか。よかったな、友達ができて」
「んっ! でね、克之くんには、夕食時になったら迎えに来てくれると嬉しいって言ってたの」
「……それでか。すまない、克之くん。なんだか迷惑をかけてしまったみたいで」
「あ、え? あっはい。どういたしまして……じゃなくてッ!」
一瞬頭を下げたかと思ったら、克之は俺へとびしっと人差し指を向けて再び渋面を作る。そしてそのまま、ゆっくりと口を開いた。
「有馬晴虎、俺はお前に、決闘を申し込む!」
「あ、却下で」
「んっ、それは……克之くんにでも許可は出せない」
「な、なんで……」
俺だけではなく遥菜にまで拒否された克之は目に見えて狼狽していた。よもや遥菜に断られるなど欠片も思っていなかったのだろう。
……しかし、こうやって決闘を受けられないのには厳然とした理由があるのだ。それを説明しようとすると長いので、一言でまとめるならば――
「有馬家からの通達。これを言えばこの学園の大抵の生徒は理解してくれると思うんだが」
「っ! なるほど、そういうことなら仕方がない……。だが有馬晴虎! 機会があればお前に決闘を申し込んでやる! 首を洗って待ってるんだな!」
やはり有馬家のネームバリューは伊達ではない。その通達ということは、とどのつまり絶対的命令である。それを破ると、想像だにできないお仕置きが待ち受けているとか、受けていないとか。
しかし、決闘ができる機会と言えばいつだろうか。クラス対抗戦か、昇級するときに行われる昇級戦くらいだろうか。まぁそれは置いておこう。
今は夕食を食べに行くことが優先だ。克之が呼びに来てくれたおかげで、ちょうどいい時間に出れそうでもあるし。ああいう眼鏡くんって神経質そうで、こちらが準備する時間も計算してくれそうでもある。
「じゃあ、とりあえず軽く服装を整えてから行くか」
「んっ」
右隣にいた遥菜の頭を撫でながら、今夜の夕食に思いを馳せた。
◇
夕食は、いわゆるビュッフェ形式だった。今日はどうやら和風テイストであるらしく、おろしハンバーグやイワシのつみれ汁、とろろに肉じゃが――といった料理が所狭しと並んでいる。それらをトレイにとりわけながら、遥菜へと話しかける。
「なぁ遥菜、なんか夕食、一緒の席で食うみたいな約束はないのか?」
「……? 夕食はにぃと一緒に。これ、当然」
「だったらさ、あそこに出待ちしてて、かつ遥菜のことを熱心に見てる生徒群は何なんだろうな」
俺がちらっとそちらを見ると、数人程度の男女混合チームがそこに立っていた。その目は明らかにこちらを見ていて、遥菜に対して何か用事があるような雰囲気を醸し出している。
遥菜は知らないらしいので、つまりこれは、突発的に行われる夕食の相席のお誘いというところか。なるほど。どうやら遥菜は人気者らしい。よかったなぁ。
「……にぃ、なんで顔が緩んでるの?」
「いや、ちょっとほっこりして。俺は一人で食ってるから、遥菜は親交を深めるためにも、アイツらと一緒に食ってやれ」
「やだ」
「……ここは本家じゃないんだ。別に親族以外と卓を囲んではいけないという決まりはないんだぞ?」
「それでも、僕はにぃと一緒にご飯を食べたい」
遥菜はそう言って譲らなかった。
そういわれて兄としては嬉しい限りなのだが、兄としてなら妹に親交を深めてほしいと思うのもまた道理。ここは強く遥菜に言うべきか。
そんなことを考えていると、皿に盛っていた料理が適量になっていた。どうしたものかと思い、とりあえず会話してみようとそのまま歩いていく。
「遥菜さん、一緒にご飯食べませんか!」
「よければご飯を食べながらお話でも!」
……こういった具合に、わらわらと寄ってくる遥菜のクラスメイトと思わしき男女数人。流石に近すぎる距離まで寄ってきた人もいたので、そんな人には体を割り込ませて対応する。
数秒も経てば、遥菜と会話するにあたって邪魔な存在であると俺をみなしたのか、刺々しい目線で俺の方を見てくる。その中でも特に背の高い男子が、俺の前に来て凄んだ。……ちょっと強面なので、人によってはこれだけで気圧されてどうにかなりそうだ。俺はまだましなのだが。
「お前は何なんだ? 会話の邪魔だからどこか行ってろ」
「……なんでわざわざどこかに行く必要があるんですかね」
「邪魔だからだよ。それだけで説明は十分だ」
こんなことを言う粗野なやつに、遥菜が毒されたり傷付けられてしまったら大事だ。もしそうなったら本家からお叱りが来てしまう。それに個人……兄としての俺も、こいつと遥菜を引き合わせたくない、そう思った。
「すみませんね、一応一緒に夕食をとる約束をしてるんで。先約を優先させてもらうことはできないんですかね?」
「は? なんでお前みたいな冴えない男が遥菜と一緒にいるんだよ」
「……いや、俺たち兄妹ですし。それに何で遥菜のことを呼び捨てに? あいつが呼び捨てを許すのは本当に親しい仲の人間のみなんですが」
そういいながらちらっと遥菜を見ると、目が合う。そして俺が目線をそちらへと向けた意図を察すると、軽く首を左右に振る。……そんなことは許していないそうだ。
「遥菜曰く、そんなことは許してないって。ふむ、いったいどういう了見で呼び捨てているんですかね? 聞かせてくれませんか?」
「クラスメイトを呼び捨てにして何が悪いんだ?」
「その主張はわからなくもない。むしろクラスメイトと親交を深めるなら重要だともいえると思いますよ? でも……相手を選んだほうがいい」
「……相手?」
……あれ? なんか有馬の名前を知っていなさそうな雰囲気だ。もしかしてこいつは、一般人が後天的に能力が使えるようになったパターンの生徒か!
「有馬、という家名に覚えは?」
「ないな」
その声に、周辺にいたクラスメイトがどよめく。クラスメイトとしては、有馬家の人間と仲良くしておこう、覚えをめでたくしておこうと接近したに違いない。そしてこの男もその同類だと。
目的が違うばかりか、まさか有馬の名前が意味するところを知らないとは。今のクラスメイト達はそう思っているだろう。顔に書いてある。
「えっと……なんかすみません」
「え? あ、お、おう……?」
「それは置いといて。兄として遥菜の思いを無視する男との相席を認めるわけにはいかない」
「……じゃあお前のそばにいるのが遥菜の本意だっていうのか?」
「んっ」
遥菜はこくりと頷いて、次いで俺の袖を引っ張る。指さした先は二人席で、そこに座ろうということらしい。少し悲しそうな目で台に置かれたトレイを見ているのは、今の話のうちに料理が冷めてしまったからだろうか。
料理は温かいうちに食べるべきだ。それが冷や飯ばっかり食べてきた遥菜ならなおさら。
「……というわけで、遥菜も拒否しているので失礼します」
「ちょ、ちょっとま――」
「一緒にご飯は、もう少しお話してから……」
遥菜はそう言い置いて、俺の横へとそそくさと寄ってきた。
フラれた男は顔を下に向けて、体を震えさせていた。悔しさか何からかは、特にわからない。しかし、次の行動で、その心情のすべてを察する。
「コケにしやがって……! ぶっ倒してやる!」
そういいながら抜き放つのはスタンダードな直剣。よくあるタイプの血継顕界だ。その切っ先を俺のほうへと向けながら、姿勢を低くする。――って、まさかここでおっぱじめるつもりなのか?!
「覚悟ッ!」
怒涛ともいえる勢いで、男はこちらへと突っ込んできた。
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