日常と非日常

 六月、梅雨入りするかしないかで天気予報士が頭を抱えている頃、この春、高校生になった大平おおひら誠司 せいじも同様に頭を抱えていた。

「ふわぁ、眠い。」

 大きな欠伸をするが、眠気は収まらない。昨夜は試験勉強で殆ど寝られなかったのだ。今日の試験は苦手な英語。学校へと続く道を歩きながら、単語帳を片手に最後の悪足掻きをしていた。

 突然背中に激しい衝撃が襲い、咳き込む。自分より大きな影は、誠司を追い越すと、五、六歩先で振り返った。 幼馴染の喜多きた文乃 ふみの だ。背の丈は151cmの誠司より高い158cm。肩の下まで伸びた髪の毛をポニーテールにして、動くたびにピョコピョコ跳ねている。夏服から覗く、運動部のわりに白い肌が陽に反射して眩しい。視線を下にやると、部活の道具を詰めたバッグを両手で持っていた。凄い衝撃だと思ったら、 このバッグを両手でフルスイングした結果らしい。そんな文乃を睨み付けるが、悪びれなく満面の笑みで挨拶してきた。

「おはよっ。気持ちのいい朝ね!」

「全然良くねぇ!今のでせっかく覚えた単語が、10個はこぼれ落ちたぞ!どうしてくれるんだよ!?」

「そんなことより、今日で試験終了よ!今日からまたテニスが出来るのよ。もっと喜ぶべきじゃない?」

 誠司の言葉をやり過ごし、両手を広げ、劇中の主人公のように身体全体で喜びを表す文乃。

「こっちの抗議は無視かよ。そもそも俺は帰宅部で、テニスはしません。」

「ノリ悪いわね。今更単語帳なんか見たって1点、2点くらいしか変わらないって。というか、英語苦手なんだっけ?」

「全然わからねー。なんだこれ、宇宙語かよ。」

「いや、英語だけど。」

 文乃に訂正されたが、分からないものは分からない。再び単語帳に目を落とそうとした時、突然声をかけられた。顔を上げると、見知らぬ外国人だった。筋骨隆々で、大きなリュックを背負っている。旅行者だろうか。英語が苦手だと言って必死に勉強しているのに、会話なんか出来るはずもない。

「スミマセン。駅まで行きたいのですが。」

「あ、あいきゃんと…て。え、駅?」

 英語で話し掛けられると思いきや、こちらの分かる言葉だった。

「ああ、地元の人間じゃないと迷うよな。この先、信号の一つ先の交差点を右に曲がって真っすぐ行けばあるよ。」

「おぉ!アリガトウ!」

「ど、どういたしまして。」

 オーバーアクション気味な握手の後、これまたオーバーアクション気味に手を振って別れる。随分と日本語の上手な外国人だった。


「嘘つき。」

 文乃に睨まれたが、意味が分からなかった。



 試験の結果は散々だった。日本語をどうすれば英語になるというのか。内容がチンプンカンプンで頭を抱えていたら、回答用紙を回収されてしまった。机に突っ伏していると、クラスメイトに声をかけられた。田村 たむら治斗はるとと、文乃の友達の駒田 こまだ 啓子 けいこだ。

「どうよ、結果は?」

「誠司君、出来た?」

 英語が苦手なのを知って聞いているのだ。二人とも勉強が苦手なので、自分より結果の良くない人を探しているのだろう。

「ダメだ。敗北だ。」

 そう答えると、やっぱりと頷いていた。

「誠司は英語がまるでダメだもんなぁ!」

 肩に手を置いて、治斗が話しかけてくる。

「そうよね、誠司君は英語が壊滅的に苦手だもんね。」

 啓子も輝かんばかりの笑顔で話しかけてくる。

「お前らはどうなんだよ。出来たのか?」

 やたら明るい二人に少しでも反撃したくて、誠司は切り返す。すると、治斗が真顔で答えた。

「俺を誰だと思っているんだ?最初から諦めている人間に結果を訊くのは愚問だぞ?」

 啓子に視線を移すと、彼女は笑顔のまま答えた。

「私は大丈夫よ。昨夜、流れ星にお願いしたの。私、流れ星見つけるの得意なのよ!お願い事ある時に、流れ星無いかなぁって探すと、見つかるんだから。何かお願い事あるなら私に相談するといいよ。」

 胸を張って自慢をする。確かに、流れ星を確実に見つけるのは自慢できる特技かもしれない。

「え、マジで!?じゃあ文乃ちゃんと付き合えるようにお願いしといて。」

「イヤよ。あんたみたいなおバカ、私の大事な文乃と付き合って欲しくないわ。」

「いやぁ、褒めるなよ。照れる。それより、この鞄見てくれよ。見た目より多くの荷物が入るんだぜ?今どきの技術ってすごいよな。やっぱり流行りはネオフロンティア製だよな!日本製なんて、ダサくて使ってらんないぜ?」

 そういうと、持っていた鞄を持ち上げる。鞄をひっくり返すと確かに、その大きさでは明らかに入りきらない、大量の荷物がバラバラと誠司の机の上に落ちる。これを自慢したいが為に、要らないものを大量に詰め込んできたようだ。全く、治斗らしい。

「私も、買い物はネオフロンティア製一点よ!携帯だって、電波を気にせずにどこでも繋がるのが良いわよね。バッテリーだって、いくら使っても放っておけば回復するし。」

 ここ数年、ネオフロンティアという新興国が様々な分野で目覚ましい技術力を見せつけている。その技術は時に物理法則すら無視しており、他の国の技術ではまるで歯が立たない。今やモノづくりは、ネオフロンティアの独り勝ち状態だった。

「ところで、朝のニュース見た?パイロキネシスの放火犯が捕まったんだって!怖いよね。」

「能力者か、最近その手の犯罪多いよな。」

「怖いよね。能力って、見つかったら即施設行きでしょ?友達から聞いたんだけど、施設に連れて行かれたら一生出られないんだって!能力なんて欲しくないよねぇ。」

 二人の会話は次々と話題が替わり、どんどん展開していく。誠司はその流れについていけず、その場から離れることにした。そもそも二人とも部活があり、誠司は一人帰宅部だ。教室を出ると、ちょうど文乃が教室の前を通りかかった。

「おう、文乃。」

「あぁ、誠司。英語の結果どうだった?」

 声を掛けると、その返しで容赦なく人の心の傷を抉ってくる。

「俺を誰だと思ってるんだ?駄目に決まってるだろう。」

 溜息をつきながら答える。きっと文乃はバッチリだったに違いない。結果を聞くのは癪なので、話題を変えることにした。

「これから部活か?」

 いつもだったら教室でジャージに着替えているはずが 、文乃の服装は制服のままだった。部活が出来ると、朝からルンルンだったはずだが―――。

「うん。だけど、その前に誠司に見てほしいものがあるの。」

 明らかに普段とは違う沈んだ声におや、と感じる。朝の底抜けに明るかった、文乃はそこに居なかった。



 校舎の屋上。鍵は掛かっていなかったので、外に出ることにした。外に出てから、キョロキョロと辺りを見回す文乃。人に見られたくないらしい。周りに人影がないことを確認すると、文乃が誠司の顔を覗き込んで言った。

「誰にも言わないでね。」

「あ、あぁ。」

 あまりに真剣な表情だったので、気圧されて、頷く。その返事に満足したのか、目の前にいる誠司にもようやく聞こえる程度の声の大きさで話し始めた。

「あのね、今日試験の最中、消しゴムを落としちゃったの。」

「う、ん。それで?」

 唐突の話し出しに、なんと答えて良いか分からない。誠司はとりあえず先を促す。

「でね?落としたんだけど、消しゴムは手にあったの。」

「ん?気のせいだったんじゃないのか?」

「落としたの。でも、手にあったの。」

 良く理解できない。何を言っているのだろうと、必死に理解しようとするが、意味が分からない。

「ねぇ、誠司。これ、見て。」

 文乃が言うと、テニスボールを手に取り、落とす。ボールは何回か跳ねた後、転がって止まった。

「落ちたよね?」

「あ、あぁ。」

 当たり前の現象に、当たり前の内容の確認。誠司が理解に苦しんでいると、文乃が腕を伸ばし、手の平を下に向けた。

「良く、見てて。」

 一言だけ言うと、文乃は手を突き出したまま、落ちたボールの方を見て集中する。すると次の瞬間、驚くべき現象が起きた。ボールが静かに動き出し、世のことわりを無視するかのように浮き、一直線に、文乃の手の中へと納まった。

 二人の間を風が通り抜けた。今、一体何が起きたのか?

「どう思う?」

「どう、って。」

 誠司は返事に困った。目の前で起きたこと、これは一体何だったのだろうか。


 まず、テニスボールは文乃の手から解放された。

 ボールは引力に従い、地球に引かれて落ちた。

 次に、文乃は手をかざした。

 ボールは、引力に従い、落ちる時のように文乃の手に引かれた。

 今、ボールは文乃の手の中に納まっている。


 今、目の前で起きた現象をなんと表現すればよいのか?これは、まるで超能力のようだ。そう、文乃が新たな能力に目覚めたかのよう―――。

 ハッとなり、文乃の顔を見る。その顔はクシャクシャで、今にも泣き出しそうだった。

「どうしよう。」

 その一言が、全てだった。そう、文乃に能力を発現してしまったのだ。能力者は、社会から忌み嫌われている。先ほど教室でどんな会話があったか?そう、能力があることが知られたら、施設送りとなってしまう。そして、二度と出られない―――。


 ―――どうすればいい?


 誠司は考えた。目の前にいる幼馴染を、守る方法を。だが、何の力もない高校生が、目の前の少女を確実に守れる策を考え付くはずもなかった。ただ、出来ることは一つだけある。


 文乃はテニスボールを握ったまま、泣いている。頬から零れた涙は、ボールを濡らした。誠司は文乃の手の上に自分の手を重ね、そしてもう片方の手で文乃からボールを取り上げると、屋上からグラウンドに向けて思い切り投げた。ボールは大きく弧を描き、対して広くないグラウンドの反対側へと落ちる。

 ボールを奪われたままの格好のまま、呆然としている文乃に向き直る。そして、ポケットから ハンカチを取り出すと文乃に突き出して言った。

「俺は、見ていない。」

「…… え?」

 聞き取れなかったのか、文乃が聞き返す。

「黙っていれば、バレない。秘密だ。」

 一言ずつ、丁寧にいう。文乃が理解出来るように。その言葉を口だけで繰り返し、ようやく意味を理解すると、文乃はまた泣き出した。

「ごめん、ありがとう。」

 誠司からハンカチを受け取り、涙を拭うが、溢れる涙で拭いきれない。誠司はどうして良いか分からず、文乃の背中をさすった。

「大丈夫。俺が守ってやるから。だから、誰にも言うな。な?」

「うん、うん。ありがとう。」

 嗚咽まじりに文乃。その日、誠司は泣きじゃくる文乃をなだめながら家まで送った。その日の様子は隠しきれず、二人の間で何かあったと瞬く間に学校中に広まった。



 試験最終日から、文乃は部活に行かなくなった。行きも帰りも誠司と一緒に行動するようになった。周りは、二人が付き合い始めたのだと勘違いをした。でも、その勘違いは二人にとって都合が良かった。誠司は文乃が能力を使わないよう注意できるし、文乃も秘密を知っている誠司が傍に居てくれることで安心できた。



 ある日の朝。いつも通り朝食を食べていると、とあるニュースが耳に入ってきた。いつもなら記憶にも残らないのだが、この時は違った。


「先日の能力者による放火事件が記憶に新しい中、新たな事件が発生しました。」

「今度はテレキネシスによる強盗です。銀行内の人質を能力により拘束し、金庫を破壊、現金を持ち去りました。」

「犯人は複数犯によるもので、全員が能力者だった模様です。」

「能力者による犯罪が、日に日に凶悪化していますね、こんな事件が近所で起きたらと思うと夜も眠れませんね。」

「この度、近年発生するようになった能力者の研究の先駆者でもある、ネクスコミュー研究所の奈宮なみや所長を、ゲストとしてお呼びいたしました。宜しくお願いいたします。」

「能力者が現れるようになって2年ほどですが、ここ最近凶悪化の一途を辿る能力者を収容するため、新たな施設を造りました。」

「この施設はどういったものなのでしょうか?」

「能力者が操る能力は危険かつ強力です。能力者がどうった存在なのか、我々はまだ知りません。まずはそこから知る必要があるのです。怖がってばかりでは何も始まりません。相手を知るための、能力研究の発展の基盤となることでしょう。もちろん何が起きても大丈夫な様、市民の皆さんが安心して暮らせるよう、安全に配慮した構造になっています。」

「最近は能力を持った人間が集まり、能力者の権利を主張するグループを形成しているって話を聞きますけど。」

「いけませんね。そんな輩が集まったところで、危険が増すだけです。先のニュースのような、複数犯の強盗のように。」


 テレビを見ると、スーツに身を包んだ白髪交じりの太った老人が、饒舌に話していた。聞いた話を要約すると『能力者は危険な存在だから施設に入れて研究しよう』という感じだ。コメンテーターや他のゲストは、ろくに理解もしていない癖に相槌をうち、能力者って怖いですね、と視聴者に刷り込むように繰り返していた。



 玄関を出ると、文乃が鞄を持ち、家の前で待っていた。部活には行っていないため、荷物は教科書を詰めた鞄が一つと、お弁当が入っている少し大きめの袋が一つ。

「おはよう、誠司。行こ?」

 文乃と並んで歩く。会話は、自然と朝見たニュースの話になっていた。

「新しく、能力者用の施設が出来るんだってな。」

「うん、ニュース見た。知ってる?その施設、この街にあるんだって。」

 朝の会話はこれっきりだった。二人ともそこからは無言のまま、気が付いたら学校に着いていた。クラスの違う文乃と分かれ、午前の授業を受ける。内容は特に覚えていない。午前の授業終了のチャイムが鳴ると、文乃と合流し、屋上に上がって昼食をとる。最近のお決まりの行動だった。

「今日のは自信作なんだから!」

 文乃は大きめの袋から、お弁当箱を二つ出した。付き合っているとの噂を利用するため、文乃が誠司の分のお弁当も用意するようになったのだ。文乃に渡された箱の蓋を開けると、いつもと同じような内容のお弁当だった。料理が下手な訳ではない。料理のレパートリーが少ないだけだ。お弁当の定番となっている、ほうれん草のお浸しをつまみ、口に運ぶ。

「美味しいよ。」

 文乃に感想をいうと、ほっとしたようだった。

「良かった。嬉しい。」

 文乃は満面の笑みを浮かべる。能力が発現してから、文乃は変わってしまった。明るくて活発だったのに、不意に能力が出てこないよう部活を辞め、趣味という趣味もなくなった。能力が他の人に知れないよう、友達と距離ができた。あんなに仲の良かった、親友の啓子とさえ疎遠になっている。誠司と付き合っているという噂がなかったら、文乃は一体どうなっていたのだろう?

 誠司が考え事をしながら食べていると、箸に挟んでいた卵焼きを落としてしまった。

「「あ。」」

 そう言ったのは、二人同時だった。だが、卵焼きが地面に落ちることはなかった。地面に落ちる前に、文乃の手の平に乗っかったのだ。リンゴが地面に吸い付けられるように、卵焼きは、物理法則を無視して文乃の手の平に吸い付けられた。

「!?」

 能力が発動してしまった。誠司は慌てて周りを見る。誰にも見られなかったか?二人と同じくお弁当を食べている生徒はいたが、幸い、気付いた様子の生徒はいなかった。文乃に気を付けるよう言おうとして振り返ると、文乃は顔を真っ青にして震えていた。

「ごめんなさい。誠司、ごめんなさい……。」

「いや、分かれば良いって。気をつけろよ。」

 謝り続ける文乃に誠司が言うと、文乃はすがるような目で見つめてきた。

「ほんと?許してくれる?私のこと捨てない?」

 文乃にとって、今は誠司が世界の全てのようなものだった。今では誠司なしでは生きていけない。本気でそう考えているようだった。

「ねぇ、誠司。二人で逃げない?」

「な、なに言ってるんだよ!お前、恋愛小説の読みすぎだ。」

 誠司が言うと、文乃は真剣な表情で話した。

「こんな生活、いつまで続けられるのかな?私たちの秘密、何時までバレずにいられるのかな?こんなの耐えられないよ。ねぇ、二人でどこか遠くに行こう?誠司となら、私頑張れるから。」

 誠司は、なんと答えてよいか分からなかった。何とか文乃をなだめ、さすがに文乃がこの状態で学校にいてはまずいと思い、文乃の調子が悪いと嘘をついて早退することにした。


 この時、二人は気付いていなかった。屋上に続く扉の陰から、二人の様子を覗く人影がある事に。

「あれ、能力だよね?」


 その夜。誠司が風呂から上がると、携帯に文乃から着信があった。コールが短く、一度きりだったので大した用事じゃないと判断し、そのまま寝てしまった。


 次の日の朝、文乃は家の前に現れなかった。誠司は携帯に電話を掛けたが、電源が切れていると言われ、繋がらなかった。家にも電話をしてみたが、何故かおばさんに取り合ってもらえなかった。結局、文乃は学校に来なかった。誠司には文乃がどうしたのか、分からず終いだった。

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