トラッシュ&トラップ
私としては妨害の一つというか、嫌がらせというか、とにかく足止めになれば上々と思っていたトラップは、しかし予想以上の効果を挙げました。
「ぎゃっ!?」
「目がっ!」
「鼻が利かない!?」
追跡中にもハンドサインやらで意思疎通をしている素振りはあったものの、基本的にここまでずっと沈黙に徹してきた追跡者達でしたが、そんな彼らをして平常心を失わせるほどの効果が私のトラップにはあったようです。
大きめの木箱一杯に仕込んだ、タマネギやレモンやスパイス等々。
そんな物を魔法で強化した筋力で思い切り叩きつけたのだから堪りません。狭い路地に逃げ場はなく、轟音と共に凄まじい異臭が飛び散りました。屋根の上でこちらを包囲していた連中も、地面に叩きつけられてもがき苦しんでいます。
感覚器官への攻撃ならば、いくら魔法で筋力を強化しても防げません。暗殺者達は本来ならば恐るべき戦闘技能を有した精鋭なのでしょうが、こうなってしまってはまな板の上の鯉も同然。
「ふはははは! どうですか、この正義の鉄槌をぉっ、ごっふぉ!? ぶふぉっ!?」
「リコちゃん、あんまり大きく吸い込まないほうがいいと思うよ?」
というか、私達も苦しんでいます。
ちょっと威力がありすぎました。
前に何かで読んだ覚えがありますが、例えば犬の嗅覚は人間の五万倍もあるとか。獣人の場合もそれと同じに考えていいのかは分かりませんが、少なくとも普通の人間よりは遥かに嗅覚が優れているはずです。
私が仕掛けたのは、その長所を逆手に取った罠でした。
当然ながら人間並みの嗅覚しか持たない私やミアちゃんなら息苦しい程度で済みますが、この刺激が何万倍にもなったことを想像するとゾッとします。
あらかじめ罠を把握していて、鼻を摘んでいる私でも相当にきついのですから、獣人達にとってはこの空間の空気はほとんど毒ガスみたいなものでしょう。下手をすれば何人かショック死していたかもしれません。
「ちょっとでも減らせればいいかと思ってたんですけど、もしかしてこれで終わりですかね? まあ、楽に終わるなら、それに越したことはないんですが」
あくまで本命は持久走の後にバテた相手を確実に仕留めていく作戦だったのですが、これではもう走る必要はないかもしれません。
ここ以外の他の場所にも第二第三のトラップを仕掛けていて、それはそれは想像しただけでおぞましい、この刺激物爆弾が生易しく見えるほどに悪辣な用意もあったのですが、それは日の目を見ることはなさそうです。
準備の為にクロエさんに使い走りを頼んで、街中の公衆トイレから材料のブツを集めてもらったのですが……まあ、よくよく考えたら基本的に種族ごとの嗅覚差を利用した自爆作戦であることに変わりはありませんし、やらずに済むに越したことはないと思っておきましょう。
「……というわけで、なんだか盛り上がりに欠けますけど、これでひとまずは安心ということみたいですよ。良かったですね、ポチ子さん」
「むーっ! んーっ!」
「そうですか、そうですか。そんなに泣くほど嬉しいのですね。もう安心ですよ」
もっと長丁場を想定していただけに、こうもあっさり片付いたのは拍子抜けですが、当然ながら苦戦を望んでいるわけもありません。
命を狙われていたポチ子さんも、安堵の思いからか涙を流して喜んでいます。猿轡を噛んだままなので、何を言っているのかさっぱり分かりませんが、我らは言わば命懸けの戦いを潜り抜けた戦友。友人の私には彼女の言いたいことがなんとなく伝わるのです。これがいわゆる以心伝心というやつでしょう。
「あのぅ、リコちゃん。わたし、ちょっと思うんだけど……」
「はて、なんでしょう?」
「えっと、ポティーナさま……ポチ子さんも、この人達と同じで獣人だから、多分、すごく苦しんでるんじゃ……」
「…………ええ、もちろん分かっていましたとも! さあ、早く空気の良い所へ連れていかないといけませんね!」
危ない、危ない。
っていうか、下手したら誰かショック死していたかもって、よく考えたらその中にポチ子さんが含まれる可能性がアリアリでしたね。いくら暗殺者を退けたところで、この私が彼女を始末したんじゃ洒落にもなりません。
まあ彼女は最初からトラップの内容を知っていたおかげで、咄嗟に息を止めるなり目を閉じるなり対処していたみたいですが。だから賊に比べると僅かなりともダメージが軽く済んだのでしょう。猿轡も結果的にはマスクとして機能したのかもしれませんし、うん、まあだからセーフ。きっとセーフ。
とりあえずポチ子さんの拘束と猿轡を解きながら、
「ところで、この人達どうしますかね? 多分、捕まえておいたほうがいいんでしょうけど、流石に全員担いでいくのは無理ですよ。かといって、ここに放置していくのも不安ですし」
運良く策がはまって無力化に成功したとはいえ、それはあくまで一時的なものに過ぎません。ポチ子さんとしては一刻も早くこのすごい臭いのする場所から離れたいところでしょうが、もう少し我慢してもらって先に彼らの対処を考えたほうがいいような……などと考えていたのですが。
「さっきの音はなんだ!?」
「たしか、こっちから聞こえたぞ!」
「うわ、なんだこの臭い!?」
まあ当然ですが、木箱を思い切り地面に叩きつけたのですから、臭いだけでなく相応の音も出ていました。少なくない人数がそれを聞いて、確認にやってきたということなのでしょう。この場合、ちょうど良かったとも言えますが。
「やあやあ、どうも。我々は見ての通り善良な一般市民なのですが、どなたか衛兵さんを呼んできていただけないでしょうか」
あとは専門家に任せておきましょう。
人間の国と獣人の国はなかなかデリケートな関係のようですし、平時であれば暗殺者と言えど逮捕できるか分かりませんが、流石に現行犯となると動かざるを得ないでしょう。それに被害者側のこちらにはこの街の貴族令嬢であるミアちゃんがいるのです。とりあえず、現場レベルで握り潰されることはないでしょう。権力万歳。
その後はまあ、この世界の政治やら司法やらはさっぱり分かりませんが、犯人達は取調べや何やらで当分は自由に動けなくなるのではないでしょうか。少なくとも私が神様から設定されている残り数日の期限までなら余裕でクリアできるはず……できるといいなぁ。
そうだ、ポケットに突っ込んでおいたスマホで下手人の顔写真と、あとはこの事件現場の記録でも残しておきますかね。証拠として認めてもらえるかは微妙かもですが、多分、私達もこの後で事情聴取やらを受けることにはなりそうですし、説明がスムーズに運べば儲け物ということで。まだ深夜というほどではありませんがそこそこ遅い時間ですし、後始末が早く済むに越したことはありません。
この時、私はそんな感じのことを考えていました。
あまりにも上手くいきすぎて拍子抜けだけれど、現実の事件というのは案外こんなものなのだろう。これで山場は乗り越えて、残りは後始末をするくらいで済むだろう、と。
あまり自覚はありませんでしたが、ずっと気を張っていて疲れていたのかもしれません。
あるいは、これが一介の中学生の限界なのか。
降って湧いたようなヘンテコな魔法を過信していたのか。
だから仕方なかった、と言い訳をするつもりはないですが。
私は、不覚にも油断していました。
倒れていた賊が既に脅威にならないと判じて、警戒を切っていました。
「……全員動くな。動いたらこのガキを殺す」
「リ、リコちゃん……」
まさか周りが倒れて悶絶するのに合わせて倒れ、死んだフリをしながら奇襲の機を窺っている切れ者がいるだなんて、そして一瞬の隙を突いてミアちゃんの首に手をかけて人質にするだなんて、そんな可能性は夢にも考えていなかったのです。
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