一発逆転


 絶体絶命のピンチからの一発逆転というのは、成程、実際に起こり得るものなのでしょう。どんな劣勢でも挫けず、諦めず、辛抱強く耐え続けることの大切さを思い知らされた気分です。



「……全員動くな。動いたらこのガキを殺す」


「リ、リコちゃん……ぁ」



 しかしまさか、一発逆転“される”立場になろうとは。

 勝って兜の緒を締めよ。家に帰るまでが遠足です……は、ちょっと違うかもしれませんが、私がまだ完全に決着する前に気を緩めて油断してしまったことに間違いはありません。


 賊の生き残りはミアちゃんの首に腕を回し、彼女のノドを強く圧迫しています。即座に窒息するほどではないにせよ、あれでは声が出せません。この世界の魔法の詠唱はごく短いものではありますが、ある程度はっきり聞こえるくらいの声量を要します。それはつまり魔法が使えないということで、自力での脱出を期待することはできないでしょう。

 当初はもっと長丁場になると想定していて、魔力を温存する意味もあってミアちゃんには素の状態のままでいてもらったのですが、その判断が今更になって裏目に出てしまった形です。



「……姫をこちらに渡せ。余計な真似をしたらガキを殺す」



 ほぼ全滅といった状況で一人だけ余力を残して、咄嗟に死にかけのフリをしていた暗殺者。しかし何故鋭い嗅覚を有していながら罠の効き目が弱かったのか。

 その理由は、正面から向かい合ってみると一目で分かりました。



「象、ですかね?」


「……余計な口を利くな」



 象の獣人、なのでしょう。

 長い鼻に大きな耳。

 獣人種族の人間要素と動物要素の割合には個人差があるようですが、敵の首から上はほぼづ物の象そのまま。たしかインド神話に登場するガネーシャという人物が、ちょうどそんな感じだったはずです。

 そして、その象の顔から伸びる長い鼻はギュッと結ばれていました。

 鬱血しているのか、鼻の先端がドス黒くなっています。要するに長い鼻のおかげで刺激物への反応が一瞬遅れ、その僅かの時間に鼻を結んで臭気によるダメージを最低限に抑えたということなのでしょう。結んだ鼻をうつぶせに倒れた身体の下に隠す用心まで全て一瞬で終えた判断力。人質を取る際の身のこなしも間違いなく達人のそれ。明らかに只者ではありません。

 魔法を使っている時ならいざ知らず、現在の華奢な肉体のミアちゃんに抵抗できるはずもありません。見た限り武器を持ってはいないようですが、彼女の華奢な首程度、素手だろうとも一瞬で圧し折ることができるのでしょう。


 

「……それ以上近寄るな」



 路地の入り口には木箱を壊した際の轟音を聞きつけた野次馬が集まってきていますが、象男は彼らにも鋭い視線を向けて油断なく牽制しています。象の視力が如何ほどかは知りませんが、あれだけ大きな耳と合わせれば、嗅覚を封じていようと周囲の異常を見逃すはずもありません。



 これが本物の殺気というものなのでしょうか。

 象男は最低限の言葉を口にするだけで、決して怒気を撒き散らしたり暴言を吐いたりしているわけじゃないのに、もし要求に従わなければ何の躊躇いもなく人質を殺めるだろうということが理屈ではなく確信として理解できてしまいました。


 ……はっきり言って、怖いです。

 私は今も魔法を使ったままの状態で、敵はどうにか動けるとはいっても少なからずダメージを負っている上に、魔法を使っていない素の肉体。単純に真っ向勝負の力比べをしたら私が確実に勝てるはずですが……今は、そんな身体能力の優位など何の意味もありません。


 私は世界を救う勇者でも正義のヒーローでもないのです。

 ただちょっと、変な魔法が使えるだけの中学生。

 しかし、そうと分かっていたつもりでも、心のどこかで甘く見ていた部分はあったのでしょう。この反則的な能力があれば、なんだかんだ上手くいくだろう、と。


 甘かった。

 この世界を、現実ファンタジーを舐めていた。

 けれど最早、そんな己の姿勢を省みる時間すらありません。


 ポチ子さんを渡さなければ、ミアちゃんが殺される。

 相手の要求に従えば、ポチ子さんが殺される。更に付け加えるならば、その場合でもミアちゃんが無事に済む保障がありません。少なくとも、この街から離れて安全を確保するまでは人質を手放す気はないでしょう。


 せめて、ほんの二十秒、いえ十秒ほども敵が私から視線を切ってくれたら、この状況を打破することもできるのですが、そんな隙など見せるはずもありません。



「……分かりました。そちらに行きますから、彼女を放しなさい」



 ああ、いざとなったら私よりもポチ子さんのほうがよっぽど肝が据わっています。

 怖くないはずがないのに。頭の良い彼女なら、犯人の要求に応じることが自分の死を意味することに気付いていないはずもないのに。これが、生まれ持った王族としての素養というものなのでしょうか。だとすれば、確かにポチ子さんはこの世界を導くに相応しい人物です。あの筋肉のことしか頭に無いような神様が目をかけていたのも頷けるというもので……。



「…………あ」



 成程、絶体絶命からの一発逆転というのは実際に起こり得るのでしょう。

 いいえ、起こしてみせます!

 たとえ彼女本人にそうした意図がなかったとしても、このチャンスはポチ子さんの勇気が掴み取ったものなのですから。


 犯人に向けてゆっくり歩いていく彼女が障害物となって、私の手元が、手の中のスマホが相手の死角に入っていました。ここで操作を誤っては全てがご破算。逸る気持ちを抑えて、しかし確実に、



 PiPiPiPiPiPi!!



 音量を最大にした上で目覚まし用のアラームを鳴らしました。


 この世界の住人にとっては間違いなく聞き慣れない、異常な高音。

 象男の巨大な耳には、特に強烈に響いたことでしょう。



「なっ!? くそっ……な、何だと!」



 ですが、私もアラーム音でびっくりさせて、それで敵がミアちゃんを手放すとまでは思っていません。むしろ、一瞬驚きはしても直後に冷静さを取り戻し、先程の約束通りに人質を害そうとするでしょう。事実、首に回した腕に力を込めて圧し折ろうとした様子でした。出来ませんでしたが。


 変化は一瞬。

 私と同じく、年齢の割には小柄で華奢なミアちゃんの体躯は、あっという間に大木のような筋骨隆々の肉体に。当然、首の太さも丸太のようで、いくら力を込めて絞めようがビクともしません。


 変化はそれだけに留まりません。

 犯人の希望通りに歩み寄っていたポチ子さんの肉体も巨大な筋肉の要塞と化し……体格の変化以上に、着ていた服が耐え切れずにはち切れていたことに驚いて一瞬硬直していましたが……すぐさま状況を飲み込んで、犯人のご希望通りにダッシュで近付き、太い象牙が粉々に砕けるほどの強烈なアッパーカットをお見舞いしたのでありました。


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