穴
「あれは……なんでしょう?」
いつからそこにあったのか、私の指差した先には黒い穴がありました。一切光を反射しない、完全なる暗闇です。夜という事もあって限られた照明しかない遺跡の中は薄暗いのですが、その状況でも周囲の薄闇とは見間違えようもありません。
それが尋常の物でないのは一目見れば明らかです。何故ならその穴があったのは床や壁ではなく空中。何もない空間に、直径一メートルくらいの穴がポッカリと開いていたのです。
「とうっ」
とりあえず、床に落ちていた石をその穴に向かって投げつけてみました。アレがなんなのかは分かりませんが、とりあえず先制攻撃です。
「いくらなんでも思い切り良すぎない!?」
「ははは、そんなに褒められると照れますね」
「褒めてないからねっ」
と、ミアちゃんと寸劇を繰り広げている間にも、穴から視線は切っていません。
穴に向かって飛んだ石はそのまま中に落ちていったようです。どこに行ったのかは分かりませんが、きっとどこか遠くへと飛ばされてしまったのでしょう。
「もしかして、あれが例の送還魔法なんですかね?」
特別な事をした覚えがないので確証はありませんが、もしかして知らない間に発動条件を満たしていたという事なのでしょうか?
あるいは私という『魔人』という存在そのものが術式を起動する鍵になっていた可能性もありますね。という事は、あの穴に飛び込めば日本に帰れるのかもしれません。
「いや、飛び込みませんけどね。怖いですし」
状況から考えると、あの穴が送還魔法である可能性はかなり高いですが、だからといって正体不明の暗闇に向けて考えなしに飛び込んだりはしませんよ。
「リコ嬢ちゃん、アレに心当たりがあるのかい?」
「心当たりといいますか……」
そういえば、ミアちゃん以外の人には、私が『魔人』かもしれないという事はまだ伝えていませんでしたね。まだ短い付き合いですが、この数日で彼らの人柄はよく分かりましたし、明かしてしまっても問題ないでしょう。
「実はですね……っと、なんですかアレ!? 超怖いんですけど!」
その時、これまでただ宙に浮いているだけだった穴が急に動きを見せました。穴から何か出てきたと思ったら、その何かが急激に私のほうへと伸びてきたのです。
穴の本体と同様に完全に光を吸収しているので距離感やサイズを正確に測るのは難しいのですが、どうやら伸びてきたのは鎖のようです。それが避ける間もないスピードで伸びてきて、私の足に巻きついたのです。
「なんだかマニアックなプレイみたいですねぇ……って、こ、これ、なんだか引っ張られてませんか!? あいたっ」
「リコちゃん!」
両足の足首の辺りに巻き付いた鎖を引っ張られ、たまらずに転んで尻餅をついてしまいました。しかし、倒れた私におかまいなしに鎖は私の身体を引っ張っています。もしかして、あまり想像したくはありませんが無理矢理にでも私を穴の中まで引きずりこもうというのでしょう。
真っ黒な穴からは意志のようなものは感じられませんが、状況的にはその考えがしっくりきます。送還魔法が発動して『魔人』である私を元の世界へと送り返そうというのでしょう。
「『
「はいっ」
とっさにミアちゃんが魔法を使って私の両手首を握り、鎖の動きに抵抗しようとしましたが、
「痛たたたったっ!? 握力を緩めてください、骨が砕けちゃいますから!」
「あ、ご、ごめん」
あまり強く握られると私の身体が保ちません。手首が潰れるどころか、身体を両側から引っ張られて胴体が真っ二つに千切れかねません。大岡裁きの話を縦方向でやるようなものですよ。
「そうだ、私も『筋力強化』! ……ん!? 『筋力強化』! ダメです!」
「この鎖、魔法を阻害するみたいだ!」
いつの間にか魔法を使って、私の足につながる鎖を切断しようとしていたロビンさんが叫びを上げました。彼が触れた途端に魔法の効力が切れてしまい、いつもの怪力が発揮できないようです。私も同じく魔法が使えません。
黒い鎖の強度がどの程度かは分かりませんが、人間の素の筋力でどうにかできるとは思えません。
「鎖が、増えた!」
成果がなかったとはいえ、黒い穴は皆が私を引きずり込む邪魔をしていると判断したようです。
私以外の全員に向けて鎖が伸び、回避もできずに全員が囚われてしまいました。こうなっては魔法を使う事も出来ず、ただ状況を見守る事しかできません。
「……私以外を向こうへ送る気はないようですね」
それが唯一の救いでしょうか。
この穴は『魔人』以外を引きずり込む気はなさそうです。私以外の皆は鎖で動きを止められているだけで、特に引っ張られたり危害を加えられたりはしていません。
「リコちゃん!?」
「大丈夫、別に痛くはないです」
最初は五メートル近くあった鎖ですが、ズルズルと床を引きずられてもう膝下まで穴に飲み込まれてしまいました。見えませんが足の感覚はちゃんとありますし、痛くも痒くもないのは救いですね。
このペースだと、頭の先まで飲み込まれるまではあと二十秒から二十五秒といったところでしょう。
やれやれ、ゆっくりお別れを言う暇もくれないとは無粋な穴ですね。ですが、せめて最後にこれだけは彼女に伝えておかなくては。
「泣かないでください」
「だって……だって……!」
あまりの状況に混乱しているのか、ミアちゃんはボロ泣きしています。魔法が使えないのに、鎖でグルグル巻きのまま私の方まで這いよろうとしたせいで腕をすりむいて血が出ていました。
「お手数ですが『魔人』関連の事はミアちゃんから皆さんに伝えておいてください」
本当ならば私から伝えるのがスジだとは思うのですが、もうその時間はなさそうです。別れがこんな突発的なものになるとは思っていませんでしたから仕方ありませんが。
「それと、私を…………出来れば…………」
「……!? うん、分かったよ!」
もう口の半分まで穴に飲まれていたのでちゃんと伝わったかヒヤヒヤしましたが、どうやらミアちゃんはしっかりと私の頼みを聞いてくれたようです。
「それでは皆さん、お達者で」
最後にそれだけ伝えたところで頭の先まで完全に闇の中に飲み込まれ、それと同時に私の意識はフッと失われました。
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