五章 そして彼女は行動を起こす
第21走 千隼とお母さん
ある時、母が赤ん坊を連れてきた。
女手ひとりで私を育てていた母は、祖父母の家に私を預けて仕事へ出ていた。当時三歳だった私は、母が仕事を終えて帰ってくる夜七時には、何があろうと玄関で母を待っていたことを憶えている。
その日も、私は同じように玄関マットの上に正座していた。三つ指ついて「おつかれなしゃい」とお辞儀をする。そうすると母は「いやそれ誰に教わったの!?」とツッコミを入れてくれる。それが嬉しくて、何度もそれを繰り返していた。
だが、その日は違った。
鍵を開けても、母はすぐには入ってこなかった。何か大きな荷物を抱えており、上手くドアを開けられないようだった。
私は心配になって、サンダルを履いて外に出た。
「あ。ごめんね、ちょっと遅くなっちゃって」
私は、返事をしなかった。
できなかったのだ。
謝る母のすぐ横には、ベビーカーが二つ。
その中には、赤ん坊が二人。
私は赤ん坊に目を奪われていた。
一人は少しクセのある髪を。もう一人は、サラリとした髪をしている。二人とも女の子だった。ぐっすりと眠っており、大福のように柔らかそうな頬には、少しだけ朱色が混じっている。どうやらクセっ毛の子の方が先に産まれたらしく、もう随分と大きい。ベビーカーに乗せられてはいるが、恐らくもう歩けるだろう。
母がしゃがみ込んで、赤ん坊を見つめる私に問いかける。
「珍しい?」
私は首を横に振った。
「じゃあ、可愛い?」
私は首を縦に振った。
母は、嬉しそうに笑った――が、すぐに真剣な顔になる。
そこには少しだけ、何かを哀れむような色があった。当時は判らなかったが、今思えば、母は自分自身を責めていたような気もする。今となっては確かめようのないことだが。
そして、母は私の頭を優しく撫でながら、
「これから、とぉぉっても、大切なお話をするね」
と言った。
これは冗談を言ってはいけない時。本当の事を言わなくちゃいけない時だ。そう私は感じて、母の言葉を聞き漏らすまいと耳を傾けた。
そして、母は問いかける。
「この子たちの《お姉ちゃん》になりたい?」
お姉ちゃんになると、どうなるのか。
そう私は訊いた。
母は「そうねえ」と少し悩んでから、
「この子たちと一緒にご飯が食べられる。一緒にかけっこしたり、チャンバラしたり、本を読んだり、映画を観たりできる。一緒に暮らせる。家族になれる」
楽しそうだった。
私はその光景を想像し、反射的に
何故か母はそれを「まだ続きがあるの」と言って止めた。
「でもね、辛いことも沢山ある。きっと、この子たちはたくさん危ない目に遭う。病気になるしケガもする。もしかしたら死んじゃうかもしれない。何か辛いことがあって、自分から死のうとするかもしれない」
辛そうだった。
私は反射的に、首を横に振ろうとした。
けれどその前に、母はこう言った。
「そんな妹を助けられるのは、きっと《お姉ちゃん》しかいない」
母は一度言葉を区切り、ベビーカーで静かな寝息を立てる二人を見やる。
千隼も二人を見た。ふわふわとしたクセっ毛と、さらさらの髪。頬だけは二人とも柔らかそうで、キスをしたらとても幸せになれそうだった。
そんな二人が、酷い目に遭うかもしれない。
それを防げるのは、《お姉ちゃん》だけ。
「この子たちの《お姉ちゃん》になるっていうのは、そういうこと。それでも《お姉ちゃん》になりたい?」
私は――、
首を縦に振った。
「じゃあ、これから頑張って《お姉ちゃん》になろうね。――
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