第12走 お姉ちゃんと夢を諦めた鬼
見渡す限りの、人、人、人。
視界を埋め尽くす人の群れと、耳を潰すような雑踏のざわめき。
お盆前の平日だと言うのに、アウトレットショッピングモールには人が溢れていた。
椛へ手料理を振る舞った翌日。
《SCT》の護衛を受けはじめてから八日目のことだった。
千隼と飛鳥、それに護衛の幸と椛は八王子市内にあるアウトレットショッピングモールへやって来ていた。以前から千隼と飛鳥は、《SCT》へ外出許可を求めていたのだが、今回、ようやくそれが認められたのだ。
「お外♪ お外♪」
千隼の隣を子犬のように跳ね歩く飛鳥が、楽しそうに喜びを口ずさむ。ノースリーブのブラウスとショートパンツから伸びる手足が、照りつける陽射しよりも眩しい。実用一辺倒のランニングシューズの垢抜けない感じがまた可愛らしい、と千隼は口角を上げた。
「飛鳥、はしゃぎ過ぎてはぐれないようにな」
「姉貴ヅラやめて♪ ぶっとばすゾ♪」
白い歯をニィっと見せる飛鳥は天使のようだった。ああ――ぶっとばされたい。
そんな千隼と飛鳥を見て、斜め後ろを歩く幸が「ふふっ」と笑う。
「喜んで貰えたようで良かったわ」
そう言って、幸は眼鏡の奥の瞳を細めた。
今回の外出許可が下りたのは、幸が根気強く何度も室長の奧山へかけ合ってくれたお陰だった。
千隼は改めて「本当にありがとうございます」と頭を下げる。
無論、嘆願だけで許可が下りたわけではない。捜査が進んだ事で『危険は少ない』と判断されたのだ。今日になって聞いた話だが、《SCT》は偽の情報をマスコミを通じて流し《左脚の鬼憑き》を誘き出す事を狙っていたらしい。だが、《左脚の鬼憑き》の側に一切動きが見られないことから、既に関東圏から逃亡した疑いが濃厚だと《SCT》は判断。故に、護衛期間を短縮する事はないが、二週間経った段階で何も起こらなければ日常生活に戻れる。外出に関してもこうして許可が下りた。
だが当然、護衛つきであり場所も限定された。ショッピングモールへ行く許可が下りたのは、人目も多いため《左脚の鬼憑き》も行動を起こしずらいだろう、という目論見らしい。人外の力を持つ《鬼憑き》だが、彼女らは基本的に衆目を集めるようなことはしない。鬼憑きの『死にたくない』という願いはつまり『今の生活を捨てたくない』ということでもあるからだ。
しかし、千隼としては素直に喜べない。
どうしても脳裏で奧山のニヤけた顔がチラつくのだ。幸や椛はともかく、奧山は千隼が何かを隠している事を見抜いているはず。あの場に居た二人の刑事も同様だろう。
あの男が《左脚の鬼憑き》が逃亡したと考えているとは到底信じられない。
だが奧山は未だに千隼や飛鳥の行動を黙認し、任意の事情聴取すら行おうとしない。一体どんな考えがあって、千隼と飛鳥を野放しにしているのだろうか。考え過ぎなのだろうかとも思うが、千隼がそう考える事すらも奧山の
――いや、答えの出ない事を悩んでいても仕方がない。
そう千隼は結論する。
奧山や《SCT》が何を企んでいようと、今は自分に出来る事を全力でやるしかないのだ。
それに今日は、大切な買い物をしなくてはならない。
四人は、ショッピングモール内のホームセンターへと足を踏み入れる。入口付近にはダンボールのまま山積みにされた缶ビール。途端、幸が足を止めた。
「……そうね。明日は
そう呟く幸の横で、飛鳥が「あ、ホモの人来るの?」と問いかける。伊賀瀬というのは千隼と幸が《研究病院》へ行った日に、幸と交代で護衛にやってきた男だ。結局、千隼は顔を合わせなかったが《研究病院》から戻ってきた千隼へ、飛鳥が「ホモを初めて見た!」と少し興奮ぎみに話していたのを思い出す。そんなに喜んで貰えるなら私もホモになりたい、と千隼は羨ましく思ったものだ。
ともかく、その伊賀瀬が来るというなら、幸は久々の休みを貰えるという事だろう。飛鳥の浮かれっぷりに隠れていたが、幸もあの官舎から出られた事で開放的な気分になっているのかもしれない。
「おい、気を抜き過ぎじゃないかノ」
その幸に、椛が小声で注意する。椛は、鈴鹿学園の中庭で会った時のように、大きな
七五三――という単語が千隼の頭に浮かぶ。
「あ、椛ちゃん見て」
幸の声に、「どうしタ」と椛が慌てて聞き返す。
対して幸は商品棚の一角を指差して、
「抜けた炭酸をビールに戻るグッズですって。これ欲しいわ」
「いや、あの、そのな……
「聞いてる聞いてる。へえ……この小っちゃいガスボンベで炭酸を入れるのね……」
そう答えながらも、幸の視線はビールとその関連グッズへ注がれていた。隣に立つ椛はため息を吐き「仕方ないノ」と役に立たない相棒をよそに一人、それとなく周囲を警戒する。
最近になって分かった事だが、幸は規則に厳しいようで案外『テキトー』な人間だった。官舎でも、外に出ない限りは千隼と飛鳥の好きにさせてくれる。椛の方がよほど「もう少し自分の置かれた状況を考えたマヘ」と口うるさい。
ある意味『神経が図太い』のかもしれない、と千隼は思う。
だが、人の気持ちが分からないというわけでもない。繊細に相手の気持ちを気遣う優しさもあるのだ。
それが分かったのは昨日。
幸へ《鬼憑き》についての話を聞いたからだった。
「これからは、椛ちゃんを食事に誘わないであげて」
昨日、官舎のリビングで二人きりになった後、幸はそう切り出した。
眼鏡の奥の瞳は、いつになく真剣だった。
「何故ですか?」
「――千隼ちゃん。《鬼憑き》について、室長からどこまで聞いてる?」
はぐらかされたような気がしたが、千隼は素直に答えた。肉体の一部失った女性が、生命の危機に瀕した際に《鬼》から接触を受ける。《鬼》は女性の肉体の一部に擬態し《鬼肢》となり、女性の『生きたい』という願いを叶え、そして今度は他の《鬼肢》を喰らえと要求する。《鬼肢》を見つけられなかった女性は、仕方なく無関係の女性を喰らって命をながらえる。
奧山から聞いた話を要約すると、こういう事だろう。
千隼の話を最後まで聞いた幸は「つまり……」と、口元を隠すように手を顎へ持っていった。
「椛ちゃんが『人を喰わない理由』は知らないのね?」
千隼は全身に電流が走るような衝撃を覚えた。
それは、千隼が喉から手が出るほど欲しい情報。もしその方法が判れば、飛鳥を《人を喰わない鬼憑き》にする事が出来るかもしれない。そうすれば暫くは《SCT》の追及をやり過ごせる。もしかしたら永遠に。
千隼は興奮を悟られないよう慎重に「はい」とだけ答える。
幸は一瞬だけ視線を泳がせ、迷うような素振りを見せた。だが結局は「これは他言無用よ」と前置きしてから話し始める。
「椛ちゃんはね、つまり『願い』を叶えてない《鬼憑き》なのよ」
「叶えてないって……。でも、鬼無里は生きてますよね?」
奧山から聞いた話によれば、《鬼》が女性の命を救う代わりに、他の《鬼肢》を食えと要求するという流れだったはずだ。
そう聞き返した千隼に、幸は「ううん、それは少し違う」と否定。
「《鬼肢》は『願いはあるか?』と聞いてくるのよ? 死にかけてる女性にしか《鬼肢》は接触しないから、大抵は『死にたくない、生きたい』と願って《鬼憑き》になるわ。けど、別にそれ以外の願いだってぜーんぜん構わない。例えば――」
テーブル一杯に並んだ料理を腹一杯に食べたい、とか。
そう、幸は食卓に並んだ料理たちを眺めて言った。
それから烏龍茶を湯飲みに注ぎ、それを口に含ませてから、
「――思い出して。《鬼肢》は願いを叶える代わりに、他の《鬼肢》を食べろって要求するわけじゃない? なら、」
「そもそも願いが叶わなければ、人を食べる必要もない……と」
「そういうこと」
千隼は椛の言った『契約による』という言葉を思い出した。
比喩でもなんでもなく、本当に『契約』なのか。《鬼肢》が約束を果たさなければ、《鬼憑き》の側も対価を支払う必要がない。だから『人を喰わない』のか。
ならば永遠に願いが叶わなければ、永遠に人を喰う必要もないのだろうか。
――いや待て、その前に、
「じゃあ、鬼無里はどうやって助かったんですか?」
《鬼肢》から接触を受けるのが瀕死の女性に限るなら、椛も一度は死にかけているはずだ。
幸は「それが《鬼肢》のヤラシイ所なのよ」と眉をひそめる。
「《鬼肢》に『死にたくない』って願わなくても、肉体の一部に擬態して寄生した段階で宿主の病気も怪我も治しちゃうのよ。つまり《鬼肢》に『死にたくない』って願う必要なんかこれっぽっちもないわけ。《鬼肢》はそんなこと言わないけど」
これじゃ詐欺よね、と幸はどこか実感の籠もった声で呟く。
「まあ、『死にたくない』って願ったからこそ不老不死になるんだけどさ」
「なら鬼無里は、何を願って――」
「ごめん、それは言えない」
言いかけた千隼へ手の平を向けて、幸は遮る。
「というか知らないの。椛ちゃん、誰にも言わないし。――一応、室長から聞いてるのは、それが『食事』に関するという事と、『食事は独りでさせろ』って事だけ。そう、椛ちゃんが頼んできたんだって」
「独りで……ですか」
「詳しい理屈は分からないんだけど、そうすることで《鬼肢》を『不活性化』させる事ができるらしいの。だから椛ちゃんは『人を喰わない』って聞いてる。どうやら全部椛ちゃんからの受け売りらしくて、室長も詳しくは知らないみたい」
「活性化するとどうなるんですか?」
「《鬼肢》を制御できなくなるんだって」
それを避ける為の、便所メシなのか。
幸は、言いずらそうに再び烏龍茶を飲んでから続ける。
「でもね。少なくとも椛ちゃんのソレは、死の間際に願った――命よりも大切な『願い』のはずよ。そして、椛ちゃんはソレを叶えられなかった。だから『人を喰わない』で済んでる」
ようやく千隼にも話のスジが見えてきた。
つまり幸は『酷なことをするな』と言いたいのだ。
椛は、自身の命よりも大切な願いを、他者の命のために捨てた。人命より重い『願い』ではないと考えたのだろう。せいぜいが一生独りで食事をとらねばならない程度。理屈で考えれば人命より思い対価ではないし、人として正しいと思う。
しかし自分の命よりも欲した願いを、理屈だけで割り切れるものだろうか。
少なくとも私には出来そうにない。と、千隼は思った。
幸の、眼鏡の奥の瞳が千隼を見据える。
「椛ちゃんに……『願い』を思い出させないであげて」
「はい」
千隼は絞り出すような声で、しかし、力強く頷いた。
それを見て幸も安心したのか「ありがとう」と笑みを浮かべる。
「ごめんね説教じみたこと言っちゃって……」
「いえ。助かります」
そこでふと、千隼の脳裏に疑問が浮かぶ。
気がつけば「一つ訊いてもいいですか」と既に口にしていた。
「何かしら?」
「幸さんは、どうして刑事になったんですか?」
幸の性格や気遣いの仕方は、刑事に向いていないような気がしたのだ。
対応が丁寧すぎる、とでも言えば良いだろうか。刑事は人を疑う職業。同僚とはいえ、ここまで椛に肩入れする幸に人を疑うことが出来るのだろうか。千隼はそう感じたのだ。
「どうして、かな」
幸は何故か力なく微笑み、眼鏡を外した。
取り出したハンカチで意味も無くレンズを拭きながら、幸は視線を落としたまま口を開く。
「――ねえ千隼ちゃん、少しだけ身の上話を聞いてくれない?」
それは幸が刑事になる前の話だった。
幸が今の千隼と同じく大学生だった頃、幸は教師を目指していたのだと語った。
既に教育実習も済ませ、教員免許を取る一歩手前だったそうだ。それを聞いて千隼は妙に納得する。幸の出で立ちはどこか新任教師を思わせるし、気の使い方も相手を優しく導くようなものだ。誰かの人生の役に立てたら良いなと考えたというのも、実に幸らしい。
「その教育実習をしたのが……ちょうど五年前なの」
五年前。
そこから連想されるのは、ただ一つ。――《822事件》。
「その教育実習で受け持ってた生徒が何人か、被害に遭ってね。宿題をみてあげるって約束をして、丁度、待ち合わせ場所に向かう途中だった……」
幸は、決して視線を上げようとはしなかった。
無表情のまま、眼鏡のレンズを拭き続けている。
「理屈ではね……わたしのせいじゃないって判ってる。《鬼肢》が悪いって。でも、やっぱりあの子たちが死んだのは、わたしのせいじゃないかって、思っちゃうのよね」
「だから……ですか?」
問いかける千隼に「かもしれない」と幸は曖昧に答える。
「あの頃はとにかく必死だったから、何を考えていたのかあまり覚えてないの。けど《鬼肢》のことがキッカケで刑事になったのは確かかな」
ようやく幸はレンズ拭きをしまい、眼鏡をかけ直す。
視線を上げた時には、普段と同じ微笑みを浮かべていた。
「だって――夢を諦めるのは、わたしたちで終わりにしたいものね」
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