第11走 お姉ちゃんと下心

 姉と妹。二人だけしかいない家の台所は千隼が預かっている。


 幸には及ばずとも、千隼も料理にはそれなりに自信があった。特に中華料理は子供の頃から趣味で作っていた事もあり得意分野。まーぼーどう回鍋肉ほいこうろう青椒肉絲ちんじゃおろーすといった四川系は随分早い時期に習得したし、飛鳥が食べたいと言うので酢豚やエビチリも覚えた。餃子や焼売しうまいの餡は、独自のレシピがある。


 千隼が椛へ用意した『まっとうな食事』とは、つまりはそれらのことだった。


 官舎のキッチンには幸が持ち込んだ様々な調理器具が揃っている。道具があれば使いたくなるのが人情。椛の為とは言ったが、半分は自分の為でもあった。なにしろ料理の腕が錆びては、飛鳥に嫌われてしまう。


「さあ、召し上がれ」


 千隼は食卓の対面に座る椛へ告げた。

 湯気を立てる料理を前に、椛は恐る恐るといったようにレンゲを伸ばす。真っ赤にたぎる麻婆豆腐を少しだけすくうと白飯の上に載せ、ご飯ごと口へと近づける。


さんッ」


 椛は何故か覚悟を決めて、麻婆豆腐とご飯を口にした。だが、もぐもぐとしゃくするうちに、椛の表情が柔らかいものへと変化していく。目元が見えずとも、口角の上がった口元を見れば千隼の料理に喜びを覚えている事は明らかだ。


「……おいしいな」

「当たり前だ」


 不味いとでも思っていたのだろうか。千隼は椛の対面に座りながら仏頂面を固くしたが、それを見た椛は「ああ、違うんダ」と首を振る。


「千隼クンのことだから、激辛料理が出てくると思っていたんダ」


 なるほど。そういえば『私にはMの気があるから、辛い物が好き』と言った事があったと千隼は思い出す。そこにきて中華料理――しかも四川中心のものを出されれば、警戒するのも無理はない。実際、千隼は自分だけが食べる時には、死ぬほど辛くする。


 しかし本来、料理は『食べる人の事の笑顔』を考えて作るものだ。そう千隼は思う。

 自分は笑顔になる味付けでも、他人を笑顔にするとは限らない。


「口に合って良かった」


 両頬を口にした料理で膨らませる椛を見て、千隼は少しだけ安堵した。

 不味いものを出す気はないが、口に合うかどうかまでは食べる人間次第だ。『まっとうな食事』と言った手前、出来れば本人の口に合うものを出したい。今回は無難に飛鳥に食べさせるものと同じ味付けをした。


 それを千隼が告げると、椛は「飛鳥クンと同じ味、か……」と呟きながら、レンゲをはしに持ち替えて他の料理にも手を伸ばす。――だが、上手く料理が掴めていない。


「鬼無里、箸の持ち方がおかしいぞ」


 見れば、椛は箸を幼児のように握りこんでしまっている。箸の先を平行にするのが精一杯で閉じる事が出来ないのだ。見かねて千隼が「ほら、こうだ」と手本を見せるが、「む……」と口をへの字に曲げる。


「これで構わんじャろ」


 椛は豚の角煮に箸を突き刺して、危なっかしく茶碗まで運ぶ。

 点々とテーブルにしたたる角煮のアンかけ。

 それを見て、千隼は椅子から立ち上がった。そのまま椛の背後へと回り込んで、椅子ごと椛をテーブルから引き離す。「おイ、何じャ?」と驚く椛の脇に手を入れて持ち上げて、空いた椅子に千隼が腰を下ろす。

 そして、自分の膝の上に椛を乗せた。


「ほら、鬼無里。こうだ」


 千隼は椛の右手に自らの手を重ねるようにして、箸の持ち方を直させる。


「い、痛い。そっちには曲がラん」

「抵抗するな。ほら、親指の根元で箸を挟んで、薬指で支えろ。いや、もっと箸の上の方で挟むんだ。もう一方は――」


 もどかしくなり、千隼は椛の肩越しに身を乗り出す。頬と頬を密着させるほど顔を寄せ、椛の箸の持ち方を矯正。最初のうちは椛も「あまりくっつくな」「子供扱いし過ぎだ」「千隼クンの胸はデカ過ぎる」などと文句を言っていたが、ほどなくされるがままになる。横目で盗み見ると、大人しくなった椛の口元は穏やかに緩く微笑んで、



 ふと、既視感を覚えた。

 同じことを、ずっと昔にもしたような気がする。



 千隼は暫く記憶を探るが、結局今の既視感が何なのかは分からなかった。気のせいだろうと結論して、椛の食事へと集中する。


「ほら『あーん』しろ」

「せぬワっ!」


 箸で掴んだエビチリを椛の口元へ運ぼうとした途端、千隼は手を振り払われた。椛は「一人で食えル」と宣言して、甘酸っぱい香りを漂わせるエビチリを口へ放り込む。咀嚼しながら、箸を他の皿へ伸ばしている所を見ると味には満足してくれているらしい。残念ながら、箸の持ち方は相変わらずおかしいが。


「鬼無里、そんな持ち方だとデザートは出せないぞ」

「デザートっ?」


 千隼の言葉を聞いた椛は、膝の上でピクッと跳ねる。

 一応、冷蔵庫にはいわゆる『くーろんきゅう』を用意している。刻んだ果物を寒天ゼリーで包み球状にしたものをシロップに浸けたものだ。かなり前に、千隼が家族で中華街へ行った時に食べたものを、また食べたいという妹の為、家庭用にアレンジした。元々は飛鳥の為に作っておいたものだが、沢山あるので少し位なら問題ない。


 それを告げると椛はかなり揺れていたが、箸の持ち方を直す面倒臭さが勝ったらしく「所詮、ゼリーじゃろ?」と言って、食事を再開した。


「箸の持ち方なんかどうでもいいしノ。食事なら携帯食料で充分足りる」

「《鬼憑き》はゼリーだけで平気なのか?」


 普通の人間なら栄養失調で倒れるだろう。そう千隼が問うと、椛は「うーん」と少し考えてから答える。


「契約によるのウ……。ぶっちゃけ不老不死の奴等は食べンでも平気じゃろな。わたしは少しは食わんとならんガ」

「契約?」

「《鬼肢》とのな。――ま、あまり楽しい話ではないノ」


 そう椛は言外に『訊くな』と千隼へ釘を刺す。千隼としてはもっと掘り下げたい所だが、椛は貴重な情報源。嫌われても困ると考え、千隼は口を噤んだ。


 けれども椛の言葉は、たったこれだけでも非常に役に立つ。


 椛は『不老不死』の《鬼憑き》と自分を区別した。――という事は、椛は『不老不死』ではないという事かもしれない。そして、他の《鬼憑き》と椛の違いは何かと言えば『人を喰わない』事に尽きる。そして、その差は『《鬼肢》との契約』によって決まるらしい。


 もしかしたら、飛鳥が人を喰うようになったのも、夢遊病状態の姿も『《鬼肢》との契約』が関わっているのかもしれない。ああ、もう少しだけいい。何か聞き出せないだろうか。千隼は未練がましく、椛の絹糸のような長い髪へ視線を向ける。


 白い髪に、ポタポタとあんかけがたれていた。


 小さい子供か。千隼は苦笑しながら、用意しておいたお手拭きを手に取り、椛の髪についたあんかけを拭いてやる。

 その事に気づいた椛が、恥ずかしそうに少しだけ頬を赤らめ、


「あ、なんかイイ匂いっ」


 リビングに飛鳥がやってきた。

 鼻をスンスンの動かしていた飛鳥は、千隼と、その膝の上にいる椛を見て動きを止める。

 一瞬の沈黙の後、


「何してんの?」

「ブランチ」


 そう千隼は答える。

 飛鳥は「いや違くて」と手を横に振り、


「なんで、そんな密着してんの?」


 言われて、千隼は「確かに、普段は人を膝の上に乗せないしな」と改めて納得。

 だが、椛の箸の持ち方を直すにはこれが一番てっとり早いと判断してのこと。

 問題があるとは思えない。


「椛の箸の持ち方がおかしかったんだ」


 千隼の言葉に、飛鳥は椛の手元へと視線を飛ばす。見つめられて居心地が悪いのか、動きが止まった椛の手には『レンゲ』があった。炒飯を食べようとしていたらしい。


「へえ……『箸』ね、」


 飛鳥の目がすぅっと細められた。

 何か重大な誤解が生まれている気がする。千隼は「飛鳥?」と問いかけたが、飛鳥の耳には届いていないらしく、顔を俯かせ「赤くなっちゃって……」とブツブツ呟くだけだった。


「おーい、飛鳥?」

「なんでもないよ、おねえ


 ようやく顔をあげた飛鳥は、何故か満面の笑みだった。

 背筋が凍るような、冷たい笑み。――千隼にとっては破滅的な気持ち良さ。

 そして飛鳥は、


「どうぞ、お二人で、気にせず、ゆぅぅぅぅっくりと『ブランチ』しててくださいなッ!!」


 言い捨てて、ドアを叩きつけるように閉めた。

 そしてドスドスと、苛立たしげな足音が飛鳥の部屋へと戻っていった。

 千隼は廊下へと続くドアを見つめ、少しだけ仏頂面を歪める。

 最近、こんな事ばかりだ。

 どうして飛鳥はこんなに怒りっぽくなってしまったのだろうか。


「ん」


 椛が何か言いたげに、千隼の手をぺしぺしと叩いている。「どうした鬼無里」と問う千隼に「降セ」とだけ告げて椛は床へ立つ。少し崩れた振袖を直し、椛は千隼をチラリと見る。前髪に阻まれて、椛がどんな目をしているのかは判らないが、千隼は何故か責められているような気がした。

 そして椛は何も言わずに千隼から離れ、飛鳥と同じように廊下へと姿を消す。


 その瞬間、何故か千隼は、先ほどの既視感の理由に思い至った。


 昔、同じようにして箸の持ち方を直した事があったのだ。

 たしか、それは妹の――


「モテる女は辛いわね……」


 降ってきた声に、千隼は記憶の世界から現実へと引き戻される。

 声のした方向を見れば、幸が廊下へと続くドアに寄りかかるようにして立っていた。表情から察するに一部始終を聞いていたらしい。もしかしたら、リビングへ入ろうとしたものの、険悪な雰囲気に圧されて入って来れなかったのかもしれない。


 だが『モテる女』とは誰のことか。

 それを千隼が問うと、「いや、判らないなら良いの」と答え、幸はため息を吐く。


「そんな事より千隼ちゃん。……ちょっと話しておきたい事があるんだけど」

「はい」


 真剣な顔をする幸を見て、千隼は身を固くする。

 もしや奧山から、何か聞いたのだろうか。


 幸はリビングを横切りダイニングテーブルまで来ると、千隼の対面に腰を下ろした。それから一度眼鏡を外して、レンズを拭きながら「ねえ千隼ちゃん」と俯いたまま呟いた。

 再び眼鏡をかけた幸は、千隼の瞳を覗きこむようにして問いかける。


「《鬼憑き》について、知りたい?」

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