第13走 お姉ちゃんと髪留めと首輪(雌犬用)
結局、ビールは1ケース買う事になった。炭酸を戻すグッズもだ。
椛は呆れていたが、幸はほくほく顔で今から休日が楽しみらしい上機嫌の幸は「せっかくだから服も見てきましょ」と、千隼たち三人をアパレルコーナーへと連れて行く。
「あ、椛ちゃん。こういうの欲しくない?」
幸は髪留めが並ぶ
が、
「あ、いいじゃん」
唐突に、沈黙を守っていた飛鳥が口を開いた。
椛は驚いたように背後の飛鳥へ振り返る。その隣を抜け、飛鳥は紅葉柄の飾りがついた
「これとか似合いそうじゃない?」
「え? ア、いや、
「さっきから髪が床に引きずりそうなんだもん。どうせなら和髪とかにしてみたら?」
飛鳥は椛の背後へ回り込み「あ、和髪のやり方わかんないや」と言いながら、椛の長い髪と格闘しはじめる。椛は状況についていけてないらしく、少し恥ずかしそうに俯き、されるがままだ。はたから見ていると、椛の童女然とした容姿と相まって、世話焼きの姉が妹の面倒を見ているようだった。
それを、隣に立つ幸が微笑ましそうに見つめている。
また幸は、どこかホッとしているようでもあった。見れば、椛は少し嬉しそうな顔をしている。命よりも大切な願いを捨てた少女の笑顔は、幸にとっても喜ばしいのだろう。
なら、と。
千隼は飛鳥へと視線を移す。
飛鳥は一体どんな願いを叶えて、人を喰らう《鬼憑き》となったのだろうか。
人を喰った、という事はつまり『願い』が叶ったという事。そして、それはつい先日のはずだ。何故なら飛鳥が夜中に飛び出したのは、ここ数年で八月八日のあの日が初めて。近隣で女性の行方不明事件があったのも先日が初めてである。他の《鬼憑き》と同様に『死にたくない』と願ったのだろうか。
だが、と千隼は疑問に思う。
辻褄が合わないのだ。
自身の左脚に《鬼肢》を宿しながら飛鳥がそれを知らないということは、本人も知らぬ間に左脚を失っていたということになる。例えば『交通事故に巻き込まれ左脚を失ったが、意識を喪失していた為に気づかなかった』なんて事があれば、あり得る話だろう。目を覚ました時には《鬼肢》が擬態した左脚があるのだから「あー、無傷で良かった」で済んでしまう。
だが、ここ最近の飛鳥はそんな事故に遭っていないと、千隼は断言できる。
そう。ここ最近はない。
だが過去に遡れば一度だけ、思い当たる出来事がある。
五年前――《822事件》の時。
しかし、あの時は左脚どころか、
「――ねえ。お姉ってばっ!」
飛鳥に呼ばれ、物思いにふけっていた千隼は現実へと引き戻される。
見れば、飛鳥が千隼のジャケットの袖を引っぱっている。
千隼が「何だ?」と聞き返すと、飛鳥は少しふくれて、
「だから! どれが欲しいかって聞いてるの!」
怒ったように問う飛鳥は、髪留めの並んだ
ようやく千隼も状況を飲み込み、途端、歓喜に打ち震えた。
「飛鳥……わ、私に贈り物をくれるというのか――ッ!!」
「何? 嫌なの?」
「嫌じゃない。すごく嫌じゃない。とても嬉しい。嬉しいとても。ものすごくだ」
そう絞り出すように千隼が答えると、飛鳥はふっと表情を
しかし、
「髪留め……か」
その一点だけが、千隼の心に引っかかる。
その千隼の様子に気づかず、飛鳥は平台に並ぶヘアゴムやクリップを選びながら、
「お姉がポニーテール好きなのは良いけどさ。いい加減、ちゃんとしたクリップかゴムを使いなよ。その布、もうボロっちくなってるよ?」
飛鳥はチラリと千隼を見上げて言う。千隼がポニーテールにする際に使っている飾り気のない布が気になっていたらしい。千隼も大切に使ってはいるがほつれも目立つ。クリップを使えという飛鳥の物言いはもっともだ。
だが、それは困る。
これの代わりなど無いのだ。
他の何かに代えてはいけないのだ。
「この蝶々のやつはどお? クリップが嫌なら普通にゴムでもいいけど――」
「ありがとう飛鳥ッ――!!」
千隼は館内全てに響き渡るような大声をあげて、飛鳥を思いきり抱きしめた。
何事かと、周囲の客の視線が千隼たち四人へと集まる。「ちょ、お姉!?」と驚く飛鳥を千隼は更に強く抱きしめて頬ずりを繰り返した。
そのまま千隼は言う。
「その気持ちだけでお腹いっぱい夢いっぱいだよ飛鳥! これ以上ないほどにお姉ちゃんは幸せだ! 今、私は肉体というクビキから解き放たれ幸せという概念に昇華した! 辞書で《幸せ》と引けば《水無瀬千隼のこと》と書かれているぞ!」
「いいから、分かったから離して、お姉。てか、声が大きい。少し静かにして――――つってんだろッ!!」
怒声と共に飛鳥の後ろ回し蹴りが飛び、千隼は床へ突っ伏した。ついでに買い物カートも倒れて、載せていたものが床に散らばってしまう。「ああ、ビールビール」と幸が慌てて拾い集める。頭上から飛鳥の「ったく、少し甘い顔見せたらすぐこれなんだから」という息切れ混じりの声が降ってきた。
よし。とりあえず誤魔化せたらしい。千隼は内心で安堵する。
「あれ、」
と、飛鳥が何かを拾い上げた。
それは千隼が買おうと思って買い物カートの底に隠していたものだった。薄い箱形のパッケージはピンクを基調とした、ドぎついデザイン彩られており、おおよその女性が嫌悪感を抱くであろう文言が躍っている。極めつけはパッケージに描かれた半裸の女性の姿。
飛鳥は溢れかえる情報を処理出来ずにいるようだった。
「お姉、これなに?」
「抱き枕だ」
またの名を『ダッチワイフ』と言う。
パッケージを見て固まっている飛鳥から、幸が無言で箱を取り上げる。周囲の視線から隠すように、そのままカートの底へ押し込んでビールの箱を載せた。そして手の動きだけで『立て』と千隼へ告げ、立ち上がった千隼へ弁解を促すように「それで?」と言った。
千隼は正直に答える。
「これを飛鳥だと思って、抱いて寝ようと思いまして」
「やめて、マジでやめて」
ようやく事情を呑み込んだ飛鳥が、後ずさりながら呟く。寒気がするのか自身の身体を両腕で抱きしめていた。幸は呆れたようにため息を吐き、椛に至っては少し離れた場所で我関せずを決め込んでいる。
「しかしな、飛鳥」
千隼は弁解しようと口を開いた。ここまでするのには、それなりの理由がある。
「もう一週間近く一緒に寝ていないじゃないか。私は寂しくて寂しくて仕方ない。飛鳥を抱けない日がこうも長いと、震えが止まらず夜も眠れないんだ。せめて人型の何かを抱きしめていなければ、眠ることすら出来なくてな……」
《SCT》の官舎での生活が始まって一週間。飛鳥に蹴り飛ばされた初日以降、千隼は幸と椛に監視されて飛鳥の部屋に忍び込めずにいた。それは他ならぬ飛鳥の希望でもあり、また、部屋を壊されては
「だからな飛鳥、」
「やだ。絶対やだ」
「じゃあ同じ部屋で寝かせてくれ」
「そっちの方が怖いでしょうがっ!」
「何故だ?」
わけがわからない。そう千隼は表情で訴える。
飛鳥は罵声を浴びせようと口を開きかけ――それを幸が「待って飛鳥ちゃん」と制した。
「わたしね、家で犬を二頭飼ってるの。シェパードを二頭」
「え?」
話の繋がりが見えず、飛鳥は眉をひそめた。が、幸は構わず話続ける。
「どっちの子もよく言う事を聞くし、わたしに懐いてくれてるのは良いんだけどね、一つ困ったことがあるの。私がベッドで寝てると、ベッドの上に登ってきて一緒に寝ようとするの」
「はあ……」
「でも、別の部屋に追い出すと『くんくん』って寂しそうに鳴くからさ。仕方なく一緒の部屋で寝てるんだけど、でも、毛だらけになるし、ベッドの上には乗って欲しくないじゃない? だからね――」
幸は両手で輪っかを作り、それを自身の首に嵌めてみせる。
「首輪とリードをつけて柱にくくりつけてるの」
一瞬ののち、飛鳥の顔に理解の色が浮かぶ。千隼も幸の言いたい事を理解した。
つまり、
「お姉を柱に縛っておけば、同じ部屋で寝ても安全――」
「そお」
誇らしげに幸が頷く。
飛鳥も顎に手を当て、真剣に検討しているようだった。
と、そこへ市女笠を横に振りながら椛が戻ってくる。
「いヤいや待て待テ。その理屈ハ、んぐ――」
何かを言いかけた椛の口を、千隼は慌てて塞いた。
ここで余計な口出しをされては困る。折角良い方向に話が流れているのだ。
「じゃあ丁度明日休みだし、わたし家から首輪とリード持ってくるね。」
「お願いします。でも、良いんですか? そのワンちゃんの首輪が無くなっちゃうんじゃ?」
「大丈夫、今は二頭とも実家に預けてるから。予備の首輪を持ってくるわ」
幸が「任せといて」と親指を立てた所で、千隼は椛を解放した。
これで飛鳥と同じ部屋で寝られる。しかも牝犬扱い。これ以上ない幸運。『抱き枕』が見つかった時はどうなるかと思ったが、幸の天然ぶりに助けられた。災い転じて福と成す。
千隼は仏頂面を僅かに歪めて「ふふ」と笑みを溢す。
ふと視線を落とすと、千隼の拘束から解放された椛が振り返りこちらを見上げていた。
そして、ボソリと椛が呟く。
「このシスコン――いヤ、変態」
そう言われて、何故か少しだけ嬉しかった。
そのすぐ隣で飛鳥と熱い握手を交わしていた幸が、腕時計を見て提案する。
「じゃ、さっさと買い物済ませてお昼ご飯にしましょ」
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