第3走 お姉ちゃんが愛する徹甲弾

 私立鈴鹿女学院は、広大な敷地を持つ中高一貫校だ。


 山を切り開いて建てられた為、斜面の上を段々畑のように校舎や講堂、学生寮等の施設が点々としている。今は夏休みである為、ほとんどの施設が眠りについたように静かだが、それでもいくつか例外があった。

 その内の一つ。

 第二校庭では陸上部に所属する女生徒達が声を張り上げていた。

 県内でも有数の実力校である鈴鹿女学院陸上部は、いくつかの種目で全国大会出場を決めている。皆が大会に向けて、声を張り上げ肉体をイジメ抜いていた。


 その喧騒の中に、水を打ったように静かな場所が一点。

 100メートルのトラック上。

 八人の選手が各レーンでスタートの合図を待っていた。


 彼女らは高等部の三年生。その中でも短距離走において全国レベルの実力を持つ八人だった。彼女らはスタートの合図へ向けて力を蓄える。ある者は瞳を閉じて集中し、ある者はゴールを見据え、またある者は神経質に何度もスターティングブロックの感触を確かめる。

 合図を任された後輩の一人が、大きく息を吸い込んだ。


「位置について、よーい――」


 空気が変わる。

 それは嵐の前の静けさであり、八人を見守る後輩達は恐れすら感じた。

 合図役が片耳を押さえ、ピストルを高く掲げた。


 引き金が、ひかれる。


 途端、寸分の遅れもなく八人の選手が――八発の弾丸が放たれた。

 鍛え抜かれた肉体と、練り上げた技術が、彼女達を人型の弾丸へと変える。地を這うように跳ぶ八発の弾丸。一歩一歩が地を穿ち、暴れる脚力を上半身がしかと支えて推力へ変換していく。駆け抜ける事に特化し、弾丸と化した肉体。


 しかし、それらは同一のものではなかった。

 元が人間である以上、優劣がある。


 第三レーンを飛ぶ弾丸。彼女だけは、放たれた瞬間から他を圧倒していた。一人だけ倍の火薬を使ったかのように、いきなりトップに躍り出たのだ。他の七人の誰よりも小柄な肢体の何処にそんな力があるのか。スタートと同時にトップスピードに達した彼女は、脚の回転ピッチを上げ、決して落とさない。


 無論、他の七人も決して遅くはなかった。弾丸に相応しい速度で追いすがる。

 だが所詮、彼女らはただの弾丸だった。


例えるならば拳銃弾パラベラム。対して三レーンを跳ぶのは砲弾――徹甲弾の類である。空を切り裂き、何よりも速く飛翔し、ゴールを貫く為だけに存在するモノとでは勝負にもならない。しかし負けるのが分かっているからといって諦めるならば、他の七人もここにはいない。――だが同時に、気持ちだけで勝てるならば誰も努力などしないし、才能などと口にもしないのも事実だ。


 結局、数メートルもの大差をつけて徹甲弾が勝利した。


 慣性のままに暫くトラックを流し、徹甲弾は人間へと戻っていく。気づけば、そこにいるのは身長150センチにも満たない小柄な少女だった。鍛え抜かれた肢体に女性的な丸みは見えないが、代わりに内に秘められた強い力を感じる事が出来る。

 やがて少女はショートボブの髪を軽やかに揺らして、記録役の後輩のもとへと駆け寄った。


「流石です、水無瀬みなせセンパイッ」


 途端、記録役は賞賛の言葉を少女へ浴びせた。


「11秒15ッ! さすが日本女子記録保持者です!! すごいです!」

「ホント? やったね。でも、もう少し縮めなきゃ」


 笑顔で答えながら、水無瀬みなせと呼ばれた少女は後輩が差し出したタオルを受け取る。四肢の汗を拭く少女のもとへ、遅れてきた七人の選手がやってきた。

「スゴイな水無瀬みなせは。昨日の慰霊大会でも優勝してたしな」「次の五輪候補だって新聞にも載ってたよ」「候補? 失礼な記者ね」「ああまったくだ。水無瀬みなせは間違いなく五輪に出る。候補と言うならせめて金メダル候補と言えってんだ」


「そんな、あたしは――金メダル候補だなんて、」


 賞賛の言葉に、流石に恥ずかしくなったのだろう。少女は顔を赤くし、手や首をぶんぶんと振って否定する。それを見た仲間達は「そういう気取らない所が、水無瀬みなせの良いところだな」と破顔する。

 と、後輩が思い出したように口を挟んだ。


「そういえば水無瀬みなせセンパイ。お姉様がいらしてるそうですよ?」

「お、おねえが?」


 少女が慌てて周囲を見回した途端、何か大きなものが少女へと衝突した。

 衝突した勢いのまま少女は何かと共に数メートル程吹っ飛び、転がる。しかし少女には怪我一つない。衝突した何かが、少女を力強く抱きしめていたからだ。

 少女を抱きしめる何かが、叫ぶ。


「待たせたな、飛鳥あすかッ!!」


 そう千隼ちはやは、妹の水無瀬みなせ飛鳥あすかへ声をかけた。

 地面に転がったまま腕を、脚を飛鳥あすかに絡ませて抱きしめる。頬ずりを繰り返す。相変わらずの仏頂面だが、猫撫で声と、僅かに上気した頬が千隼ちはや昂揚こうようを物語っていた。

 そこに《皆の憧れのお姉様》の姿はない。


「あぁぁぁぁぁッ!! うざいッ!」


 堪りかねた飛鳥あすか千隼ちはやを振り払って蹴り飛ばす。

 千隼ちはやは身体をくの字に折ってゲホゲホと咳き込むが、何故かその口角は少しだけ上がっている。


「別に待ってない! てか、呼んだ覚えもない!」


 対して飛鳥あすかは怒りも露わに、ドスの利いた声を響かせた。

 周囲にいた後輩達は飛鳥あすかの豹変に驚く。さきほどまでの『水無瀬みなせセンパイ』ではあり得ぬ刺々しい言葉遣い。オロオロと先輩達の顔を窺うと、彼女らは「やれやれ」と言った表情だった。

 ――千隼ちはやお姉様は、妹の水無瀬みなせ飛鳥あすかを溺愛している。

 鈴鹿女学院高等部二学年以上の生徒であれば、皆が知っている事実だ。そして千隼ちはや飛鳥あすかの双方を知る者であれば、飛鳥あすかの対応が少々キツイ事も承知している。空気を読んだ飛鳥あすかの同級生達は「ほら、サボるんじゃないよ」と、後輩達を連れてその場を後にした。

 それを見て、息を整えた千隼ちはやは立ち上がる。


「――そう言うな飛鳥あすか。妹の送り迎えは姉の役目だ」


 言って、握った拳で豊かな胸を叩いた。その表情はやはり普段通りの仏頂面だったが、どことなく瞳が輝いているようにも見える。

 対して、飛鳥あすかは心底うんざりしたようにため息を吐いた。


「いいから、そういうの」

「気持ちは判るが飛鳥あすか、今日だけは――――って、あ、あ、あ飛鳥あすか!? どうしたんだその傷はッ!?」

「え? 傷?」


 千隼ちはやが脇腹の辺りを指差すのを見て、飛鳥あすかはランニングシャツをまくる。確かにそこには何かに引っ搔かれたような痕が一筋残っていた。僅かに血が滲む程度の傷。しかし覚えの無い飛鳥あすかは「あれ、いつやったのかな」と首を傾げる。


飛鳥あすか、すぐに手当てを!」

「いや、大丈夫だから」

「何を言う。もし細菌が入り込んでいたらどうする。それが破傷風菌だったら一巻の終わりだ。よし、私が消毒する」

「は? ちょ、ちょっとお姉!?」


 言うやいなや、千隼ちはや飛鳥あすかに飛びかかるように押し倒した。抱きかかえた飛鳥あすかのランニングシャツを捲り、露わになった脇腹の傷へと口を寄せる。


 ペロリ、と傷口を舐めた。


「ひゃあぁぁぁああぁああぁぁぁっ!? なにやってんだこのクソお姉! 離れろ死ねくだばれ変態地獄へ落ちろ!!」

飛鳥あすかさえ居れば、地獄でも天国さ」

「何ドヤ顔キメてんだよ! 一人で堕ちろって言ってんの!」

「それより飛鳥あすか。他に怪我はないか? 私が消毒する」

「う、わ、ちょ、マジで死ね! マジでどっか行け!!」


 ランニングパンツにまで手をかけ始めた千隼ちはやを、飛鳥あすかはボコボコと殴る。だがそれで体格の差が覆る事はなく、千隼ちはやは悠々と飛鳥あすかのランニングパンツの中へと手を入れ、


「あの……」


 その声は、千隼ちはや飛鳥あすかの頭上から降ってきた。

 見上げると、そこに居たのは先ほどの女教師。様子からして随分と前からそこに居たようだが、声をかけられずにいたらしい。

 千隼ちはやは少しだけ考えて、飛鳥あすかのランニングパンツから手を放す。飛鳥あすかはこの隙を逃すものかと、千隼ちはやの顎を蹴り飛ばしながらその場を離れた。

 千隼ちはやは立ち上がり、いつもの仏頂面で聞き返す。


「どうされました、先生?」

「……千隼ちはやさん、よくこの状況で平然とできるわね」

 女教師は顔を引きつらせながら「まあ、いいです」と咳払い。


千隼ちはやさんにお客さんです」

「私に? わざわざ学校で?」


 女教師は「はい」と肯定する。

 不可解だ。千隼ちはやはここに来る事を誰にも伝えていない。


「それと――あ、飛鳥あすかさん!」


 すでに離れた場所にいた飛鳥あすかにも、女教師は声をかける。

 飛鳥あすかは振り返ると、にこやかに「なんですか?」と返答した。今までの千隼ちはやに対する態度がウソのようだ。

 女教師は少し戸惑ったようだったが、すぐに用件を伝える。


「あなたもです、水無瀬みなせ飛鳥あすかさん」

「あたしも?」

「はい。先方さんは水無瀬みなせ姉妹お二人に御用があるそうです」

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