キツネノロウソク(Mutinus caninus)
昨今では、日常的に生活の中でロウソクを使うことなどめったにない人が大半を占めるのではないだろうか。ぼく自身も日頃ロウソクに火を点すことなどここしばらくまったくない。例えばパーティーなどの時には何かとロウソクを多用するし、お盆の送り迎えの際には先祖の霊をのせる提灯の中にロウソクを点したりする。でもそれはなかなかの非日常であって、毎日パーティーではないし、毎日お盆でもない。小洒落た飲食店などでは、暗い間接照明の店内のテーブルごとに小さなロウソクを点している所なんかもあるけれど、やはりそれだって非日常の演出のためにやっている感が強い。若かりし頃は、家に女の子が遊びに来る日には、気取って食事の時にロウソクなんか立てちゃって無駄に雰囲気を出したりする場面はあったが、いまではそんなこともあまりしなくなった。
昔はどこの家にも災害時の非常用の灯りとしてロウソクを常備していたのではなかろうか。もちろんぼくが子どもの頃にも、夜分に停電などがあると必ずロウソクに火が点されて、しばらくの間そのロウソクの灯りの中で過ごすことは思いの外頻繁にあった記憶がある。関東平野だからかどうか知らないが、嵐の夜に雷が近所に落ちることがよくあって、そんな時には必ず停電となり、もちろん懐中電灯も常備してあったのだが、あれは長時間部屋の中に灯りをもたらす道具ではないので、そうなるとやはりロウソクなのである。
ロウソクの灯りはいまの電気の照明に比べたら随分暗いだろうけれど、でも、もし今日から夜は電気ではなくロウソクだけで過ごすことにしたら、いろいろな意味でもっと豊かになるのではなかろうかと思う。少し時代を遡ればロウソクなどもなく、夜の光は行灯だけだったはずだ。行灯はロウソクよりもさらに暗いという話を聞いたことがある。かの吉原の遊郭では、非日常感を演出するために大量のロウソクを灯していたという。普段の行灯の光に比べたら、それはこの世のパラダイスに見えたのであろう。
昔は夜の闇というものがきちんとそこに存在していたのだが、時代を追うごとに人々の周りから闇がなくなっていったのである。光の対象物である闇がなくなったことによってバランスが崩れ、闇の中にあった光とは別の豊かさのようなものも破壊されているのかもしれない。
夜の真っ暗闇をロウソク一本で歩くのは、現代人にとっては随分な恐怖であろう。月のない夜には通りすがった人の顔さえ見えないだろうから、相手がほんとうに人なのかどうか。「よく見たら狐がロウソク手に持って歩いてたよ!」ってなこともあるであろう。
というわけで、今回は「キツネノロウソク」の話である。
スッポンタケ科キツネノロウソク属のきのこで、学名を「Mutinus caninus」、漢字で書くと「狐蝋燭」である。なぜ「キツネ」なのかは、余談で話したことはさておいて定かではないが、白いロウソクに火が点ったような造形をしていることに由来する名前を持つ不思議な形のきのこである。個人的にはロウソクというよりは、どちらかと言えば不気味な生き物の触手だと感じる。クトゥルータケという名前でもよいのではなかろうか。
このきのこは粘液状のグレバが頭頂部に付着しているタイプであり、皆さんご存知、この濃褐色のドロドログレバが悪臭を放っている。撮影した個体も、見ていただければわかるように、グレバの周辺にコバエやらダンゴムシやらがわんさか集まって宴の真っ最中であった。宴たけなわの虫たちをお開きにさせて、もっと美しい写真を撮りたかったのだが、場所柄および蚊の大群の影響で、そしてさらにはグレバ悪臭のために、さっさと撮影してしまいたかったのである。食毒に関してはおそらくないとされているが、この見た目と粘液グレバ悪臭を克服できる方以外には、ご飲食はオススメできない。ちなみに周囲には卵状の幼菌が数個控えていたので、明日には花盛り、臭い盛り、キツネノロウソク燃え盛りであろう、そして虫たちは大宴会なことに間違いなしである。
もし宴会に参加希望の方はご一報いただければ、案内図と招待状をお送りするので、お気軽に声をかけてほしい。なお宴会参加の折には「狐の面」をご自身で持参していただくシステムになっているので、あしからず、仮面舞踏会形式の予定でございますゆえ。
まあそんなわけで、燃え盛るキツネノロウソクの火が消える前に、こちらもお開きとさせていただこう。
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