第11話 経営者を呼べ!
サービス業、飲食業、小売業に勤務している人間ならばおなじみだろうが、お客様の中には、非常に困った人もいる。きっと諸氏諸君も大いに経験があることだろう。
そして、ついこの間、とあるお客様から、僕は名言中の名言を聞かされることとなった。
そう、タイトルにもある、その言葉である!
「経営者を呼べ!」
まさかこの言葉を生涯で聞かされようものなど、夢にも思っていなかった。
さて、この言葉を聞かされる所以を語るには、遡ること数時間。午後九時頃から始めよう。
フリー1卓(丸で回っている)、セット4卓。暇とは言えないが忙しいともいえぬ、そんな店内状況。そこに、ふたりの男性の客がやってきた。ひとりは四半月に一度くらい来るお客で、正直名前も顔もうろ覚え。もうひとりはさっぱり知らない。
お客ふたりにメンバーひとり入れて、フリーを2卓目を立てることになるのかな、と思っていたところ、どうやら打つのは見覚えのあるお客だけらしい。となると、申し訳ないが、四人回しにならざるをえない。(※1)
このお客さんはどんな麻雀を打つんだったかしら、とそれほど関心深い訳ではないが、他に特にすることもないので、煙草を吸い吸い眺めてみる。
どうやら、それほど達者という訳でもないようだ。
僕が他人様の麻雀の腕を判断するにおいて、その要素のひとつとして、「牌捌き」の巧みさがある。もちろん、それだけ麻雀の上手下手が分かる訳ではないが、まぁちょっとした指標にはなる。
牌を一枚ツモって来て切る、という単純な動作の中にも、複数のポイントがある。例えば、盲牌をしているか、そしてそれは正確であるか、や、牌をツモってきた時に、切る前にツモ牌を手牌の中に入れていないか、など。(フリー慣れした人は、ツモった牌を、打牌する前に手牌の中に入れることはない。時間短縮の為である)
まぁ、この感じだと、他の三人のフリーの客にボコボコにされるんだろうなぁ、ご愁傷様と思って、その時点で僕は完全に興味が失せてしまった。
それから二、三時間後、いくつかセットが終わったので、卓掃に精を出していた時である。
事件は起こった。
卓掃から戻ろうとしたところで、
「なんでこれあかんのん?」
れいの客が、困惑半分怒り半分くらいの声音で呟いた。
なにかトラブルかしら、と思って急ぎフリー卓に戻ってみたところ、同卓している他の客が、その人以上に当惑している様子。
ぱっと見、何が問題なのか分からなかった。
状況としては、れいの客がリーチをかけて、ピンズ清一色の多面張(たしか、①②③待ちだったように思う)をツモりあがったところだった。
なので、同卓者に詳しい話を聞くことに。
以下、事の顛末。
1、れいの客がリーチを掛けた。
2、れいの客が⑦でロンの発生をし、手牌を開けた。
3、しかし同卓者にそれは和了牌ではないと指摘され、了承し手牌をしまった。
4、その後、③をツモってきて、和了と宣言。
さて、何が問題なのかは、麻雀の知識がわずかにでもあればご理解いただけるであろう。
要するに、一度「誤ロン」をかましたのである。すなわち、「チョンボ」である。仮にセット同士の麻雀であっても、チョンボのキメはある程度のあるはずだろう。例えば、その時点でその局はなかったことにして、一定の罰符を払う、とか。
当店の場合は、誤ロン・誤ツモをした場合は和了放棄かつ、流局チョンボで親・子問わず5000点オールという扱いである。ただし、裏をめくってしまっていた場合は、即チョンボとなる。(※2)
つまり、一度誤ロンをしてしまったそのお客には、和了の権利がないにも関わらず、もう一度ツモ宣言をしてしまい、同卓者にそれは不可能だと言われ、不可解だと不平を漏らした訳である。
不平を漏らすだけならまだしも、ゲームを止めてしまっているのだから、メンバーである僕が介入せざるをえない。まぁ、ルール表にも明記してあることだから、まぁ、改めてルールを説明すれば納得してもらえるだろう。
と、思っていた僕が馬鹿だった。
一向に納得する素振りを見せないお客様。あれがこうで、これがああだから、と懇切丁寧に説いてみても、むしろ激昂するばかり。
あまつさえ、
「誤ロンがチョンボだなんて、どこにも書いてないぞ!」
と叫び出す始末。これにはさしもの僕も開いた口がふさがらなかった。
確かに、当店のルール表には、チョンボの際の裁定は載っているが、チョンボ自体の定義はされていない。じゃあ、チョンボとはなんぞや?
日常生活でも、時々使う人もあるかもしれない。そういう場合は、たいてい、「ケアレスミス」や「失敗」を指してそういうだろう。
麻雀におけるチョンボ=錯和とは、読んで字のごとく、「和」を「錯」覚してしまうこと。すなわち、誤ロン、誤ツモのことを指す。麻雀を打つ人間なら誰しもが備えている知識のはずではないかしら。
……そういう一般通念を言い出すと、火に油を注ぎそうなので口をつぐんだ。苦し紛れの詭弁に違いないが、それを正面から打ち破ると、それはそれで話がこじれだすとは、こはいかに。
当然ゲームは完全に中断。僕は頭の片隅でクレイジー・クレーマーという言葉を思い出していた。
雀荘としては、フリーの進行が阻害、遅延されるというのは、収益的には少なからず打撃であるから、もういっそこの半荘を無理矢理にでも清算してしまって、そしてこのお客には抜けてもらって、三人でフリーを続行してもらおうと考えた。
「分かりました。それじゃお客さんのトップということで、僕が支払いを弁済するんで、それでいったん抜けてもらっていいですか」
端的にまとめるとこんな風に僕は伝えた。実際はこんな生意気な言い方ではなく、逆鱗に触らぬように、言葉に合間合間に謝罪の言葉をはさみながら、なだめすかし言った訳であるが、お気に召さなかったらしい。そりゃもう怒る怒る。
そしてとどめの一言、
「お前じゃ話にならん。経営者を呼べ!」
瞬間、僕は忘我の境地に至った。相手の怒鳴り声に心神喪失してしまった訳では当然ない。誉れ高きこの台詞を、ついぞ耳にすることになるとは!
まぁ、実際、事態の収拾がつきそうになかったので、むしろこちらからオーナーを呼びますと切り出そうとしていたところなので、すぐさまにTEL。近くで夕食中だったオーナーは十分足らずで到着。そして、これこれこうこうと事情を説明して、客と相対す。
「それはさすがにダメですね」
ま、当然の回答である。ダメなものはダメ。お客様が神様だからといって、白は黒にならないし、黒は白には覆らない。
ところで、お客様は神様論を巷間ではよく耳にするが、それは店側が相手を敬って使う言葉であって、客側がふんぞり返るために吐くものではないと思うのだが、皆様いかがだろうか。
そうこうしている内に、結局、ある程度の金額を店側が負担するということで、そのお客さんには抜けてもらって、(当人は、まだごねていたが)オーナーと一緒に店の外へ。一緒に来ていて、麻雀を打っていなかったその人の連れが、ものすごい申し訳なさそうな顔で出ていったのが、気の毒だった。
これでこの事件は終結であるが、さて少し振り返ってみよう。
ポイントは僕の対応である。
基本的には、すいません、ごめんなさいの連呼であるが、あくまで態度は毅然としていたつもりである。和了を有効にしようとひたすらごねていたが、道理が引っ込んで無理が通ることはない。
一連のやりとりを傍で見ていた飲食店経営者の方が、「まぁ無難な対応だったと思うけど」と言ってくれたから、全体としては悪くないと思う。が、我ながら、とある一点が非常に気にかかっている。
それは、事態を弁済で以て収拾しようとしたところである。
問題が発生した時に、それを解決に努めるのは従業員の当然の職務(義務ではない、と僕は強く主張しておく)であるとして、その方法として、僕の採ったものは果たしてふさわしかったのだろうか。
飲食店なんかでもたまにあるのではないだろうか。例えば、提供した料理の一皿に髪の毛が入っていたとして、それに対してお客が苦情を言ったとする。謝罪とともにその料理代を負けてやる、というやり取りは、きっとあるはずだ。
事実、これが一番手っ取り早く、また丸く収まり勝ちだから、多くの人がこうするだろう。僕自身も、さっさとケリをつけたかったから、つい口走ってしまった。
けれど、これは安易に違いないが、安全ではないし、なにより安直である。誠意がこもっていないと言われてしまえば反論のしようもない。更に、お金でペイにしたことによって、このトラブルにまつわる記憶さえも、ペイになってしまいかねない。
僕に身に降りかかったトラブルは、不条理で不合理なものだったが、だからといって、なかったことにしていい訳では、決してないともいえる。犬に噛まれたようなもの、と軽くあしらってしまう方が、精神衛生上は良いのかもしれないが、トラブルを糧にしてこそ、人は大いに成長するのではないかしら。
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