第10話 麻雀というゲームのお話
さて、この「雀荘という仕事はクソだからお前らは絶対にメンバーにならない方がいい」は、基本的に僕の愚痴やルサンチマン(?)の類を吐き散らす、もはや落書き帳のような様子を呈してきたが、そろそろ、雀荘のメンバーらしく、麻雀の実践について少しばかり語ろうかと思う。
麻雀というボードゲームを今までよりも深く見ていくため、麻雀を知らない人たちは、まぁ、読み飛ばしてもらって構わない。
ではまず、麻雀というゲームの本質についで、ずばりと回答していこう。せっかくなので、設問形式にしてみるので、ぜひとも心の中でお答えいただきたい。
Q.麻雀において最も大切なことは?
①手作り。いかに大きな手を、いかに上がるか。が最も重要である。
②牌効率。手の大きさは関係ない。いかに最短で上がるか。が最も重要である。
③点棒状況。あいつはいま何点持ってるか。僕は今何点持ってるか。が最も重要である。
④対局者の心理。あの人が顎に手を当てる時は困った時だ。などのメタ読み。が最も重要である。
あまりもったいぶるようなことでもないので、さくっと回答発表。
A.③点棒状況
である。
まぁ、よく考えてみれば、あるいは考えなくても当たり前の話である。だって、麻雀というゲームの勝者敗者が決定するのは、この点数いかんによってなのだから、最終的にオーラスが終了した時点で一番点棒を多く持っているやつがトップなのだから、点棒状況が最も大切に違いない。
だというのに、これを案外了解していない人の、なんと多いことか。
例えば、そもそも「何切る問題」というのがかまびすしく世間を謳歌しているが、あんなもの、糞の役にも立たない。いや、糞の役にも、というのは言い過ぎた。麻雀人生の肥やしくらいにはなるかもしれない。
実際の麻雀において、本当に大切なのは、「何切る」ではなく「どうする問題」である。そしてもっと具体的に言えば、「引く」か「押す」かの問題に収束する。
これを、精密にできる人間を、僕は「麻雀がうまい」人だと思う。
放銃を極端に恐れて、亀みたいになって、リーチが掛かれば即撤退、という人は多い。むろん、4人麻雀の場合は、基本はそれで問題ないのだが、必ず、どこかしらで攻める必要が出てくる(25000点原点で、トップが取れるはずはないのだから)。
では、どこで攻めるか。ひとつは、もちろん手が大きい時。リーチをかけてツモれば跳満という手牌状況なら、多少の危険は承知の上で「押す価値」がある。
そしてもうひとつは、自分が親の時。親というのは、他家に比べて、和了時の点数が1.5倍というボーナスがある。これを利用して、親で稼がない手はない。(*1)
とはいえ、これは両方のケースに言えることだが、行き過ぎは厳禁である。極端な例を挙げれば、仮に自分が親でなおかつ跳満イーシャンテンだからと言って、白と中を鳴いている相手に対して發を勝負する、というのは完全に行き過ぎである。
恐れるべきは放銃ではなく、ゲーム終了時にトップではないことと、それから、ゲーム途中でトんでしまうことである。
現行では、箱を割ったしまったプレイヤーが出た時点でゲーム終了するルールを採用しているところは多い。仮に次局が自分の親番であっても、その局でハコってしまえばおしまいである。
ゆえに、例えば自分が子で、持ち点5500点というような状況では、親の鳴き仕掛けに対して押すことはおススメできない。打ち込んでしまえば、タンヤオドラドラでも最低5800点でトびだが、ツモってもらえれば、2000オールで、まだ生き延びる。そして、そうやって防御を固めている間に、ほかのプレイヤーがすっと親を蹴ってくれる可能性もあるのだから。
当然、跳満聴牌、とかならリスクを背負って押すのも一手である。
それから、仮に自分が子で46000点のトップだとしよう。そこで親のリーチが入った。一方、自分の手は満貫イーシャンテンである。さぁ、どうしよう。
答えは、一も二もなくベタオリである。仮に聴牌を入れたとしても、僕は降りるケースがあるかもしれない。少なくとも、リーチは決して打たない。それが仮に役無しの満貫聴牌であっても当然だ。そして、親の危険牌が来たら、やはり三十六計逃げるに如かず、という具合だ。
さっきも言ったが、親の得点は子の1.5倍である。
さて、今までの話を箇条書きにしてまとめよう。
①麻雀の本質は、点棒状況←オーラス終了時に点棒が最も多いプレイヤーが優勝
②大事なのは「押し」「引き」
③対局途中の箱割れは最も回避すべき
④放銃してはいけない場合は、何があっても放銃しない
この四点を心がけて、そして、最低限の牌効率さえ習得していれば、早々へたくそだなんて言われることはない。
そして、いま挙げた注意点は、すべて、第一人称視点でのお話である。実際には、同卓者四人のプレイヤーの思惑が交錯する。これを掌握した者が、いわゆる麻雀達者なのだと、僕は考える。
そうすることで、他家に「まかせる」という発想が生じてくる。
自分が放銃してしまった場合、トんでしまう時、あるいはオーラスのトップ競争から脱落してしまいかねない時、自分の和了は完全に放棄してしまって、他家に和了してもらうのである。
三人打ちのケースだが、簡単な例を以下に記そう。
南二局、西家 持ち点:46000点だとする。
他家の点棒状況は、東家が52000点、南家が37000点である。
この時、自分が取りうる選択は、それぞれ望ましい順番に、
①自分が南家から出和了→オーラスにおいて、親との点棒が離れてやりやすい
②自分が東家から出和了→オーラスにおいて、対抗馬との点棒が離れてやりやすい
③自分がツモ和了→オーラスにおいて、二家との点棒が離れてやりやすい
の三つである。
では、反対に、やってはいけないことは何だろうか。それぞれ、望ましくない順番に、
①東家に放銃→ここで親に打ち込んでしまうと、もう親番がないため点棒の巻き返しが不可能で、トップを取ることがほとんどできなくなってしまう
②南家に放銃→東家と6000点の点差がある以上、満貫放銃だってよろしくない。
のふたつに限る。ここで、親に対する放銃は、決してやってはいけない。
まだ、ツモ和了られる方がよっぽどマシで、そうなってしまっても、一本場の積棒が付いて、次局で巻き返すことができるからだ。
さて、ここでいざ本番、13枚取ってきた手牌をめくってみたところ、早和了りは到底不可能で、バラバラの手牌だったとして、ひとまず不要な萬子(※1)から切っていこう――本当にそれでよいだろうか。
思い返してほしい、ここでやってはいけないこと、それは親に放銃してしまうこと。となれば、手牌の組み方もそれに倣うべきで、萬子を本当に不要と捨ておいてよいのだろうか。
答えは否であり、三人打ちにおいて、萬子というのは字牌以上の不要牌、となれば、親においてもそれは同様で、価値が変わってくる。
もちろん、萬子を我が子のように大事にしろ、という訳ではなく、場況が煮詰まってきた時、あるいは、親から早々にリーチが飛んできた時に、安全そうな牌を残しておけ、という話に過ぎないから、二巡目以降、字牌や端牌が親の河に並んだ場合は、そちらを優先すべきである。
さて、手牌のバラバラ具合、ツモの悪さから、ほとんど自分の和了りが絶望的になってきた。しかし南家は、河の様子を見る限り、どうやら調子の良い様子。なれば、ここはどうすべきか。
南家にぜんぶ「任せて」しまおう。という訳である。
南家が和了ったところで、ツモ和了ならば対して点差は開かない。子to子の点棒の動き方は、満貫ツモなら11000点、跳満ツモで16000点なのだから、現在、9000点のリードを持っている以上、仮に倍満をツモられたところで、微差の有利を許すだけだ。
さらにいえば、ここで南家にツモられて苦しいのは、東家の方であり、なぜなら、ツモ和了りの場合、当然親の方が支払いは多く、それゆえ、現在ある東家・西家間の6000点という点棒差も縮まってしまうのである。
そうと決まれば、手牌は崩してしまって撤退の一手が望ましい。東家、南家の両者の安牌を抱えて、リーチが入れば、これ幸いと亀のように首を引っ込めれば良い。
ここで南家が、たくらみ通りツモ和了ってくれれば問題ないが、当然、親がツモ和了る、南家が親に放銃、など目論見が外れる場合がある。そうなってしまった場合も、再び点棒状況を整理して、最適行動をとればよい。
以上のように、点棒状況とは最適解を導くうえで最も重要なファクターであり、これが出来て、はじめて「麻雀初心者」を脱しえる、と僕は考える。
あくまで持論であるから、異論は認めるし、必ずしも正しいとは限らない。が、少なくとも、一定以上の正確さはあるように思うから、参考になれば幸いである。
※1…三人打ちにおいて、萬子は順子面子を構成できない上に、役牌のように役が付く訳でもないので、扱いづらい牌種。
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