第5話 ある一日


 僕が3人打ち専門の雀荘で働いていて、月収20000円しかないのは、先に伝えた通りだが、それでは、僕のある一日について少しばかりお話ししたい。


 僕の出勤時間はだいたいが21時からである。むろん、これは日によって前後する。店が忙しそうなら、20時に出勤することもあるし、反対に閑古鳥が今にも鳴きそうなくらいに暇なら、出勤取りやめの時すらある。

 よく言えばフレキシブル。悪く言えばいい加減である。

 出勤時間があいまいで、また退勤時間も不明なもんだから、前後の予定なんてろくずっぽ立てられないし、落ち着いて飯を食うことすらままならない。

 たいがいは、コンビニのおにぎりやパンで済まして、店が午前3時なんかにクローズしたりすれば、近くの24時間営業のラーメン屋にラーメンをすすりにいくこともある。要するに、ロクな食生活なんてしちゃいない。


 午後2時くらいに起床する。家に布団なんてないから、——まあ、これは僕の生活習慣の怠慢さの表れなのだが——いつもブランケットにくるまって、硬い床の上で寝っ転がっているから、起きるといつも背中が痛い。

 まずは大きく伸びをする運動から。背骨がぱきぱき音を鳴らして、今にも折れそうだ。


 顔を洗ってさっぱりすると、ひとまず煙草をくわえる。起き抜けの煙草は胸のあたりが気持ち悪くなって、ともすれば吐き気すら催すが、ニコチンが脳とか血管に作用して一気に覚醒する。煙草は、百害あって一利なしとよく謳われているが、気付け薬としては優れている(と思う)。


 午後3時。腹は減っているが、飯を食う金ももったいないので、またしても煙草を吸って我慢する。煙草には食欲抑制効果もあるので、ちょっとはマシになる。それでもまだ腹の虫がやかましい時は、市販の鷹の爪を食べるといい。辛味で胃が荒れて、空腹どころではなくなる。体調不良は請け負いだが。


 午後4時。そろそろオープンの時間だなぁ、なんて考えると、とたんに気分が悪くなる。こういう時は、好きな小説を読むか、あるいは撮り溜めしている深夜アニメを見る。リアルタイムで深夜アニメを見ることはできないから、PS3に録画してあるのだ。


 午後5時。この辺りになると気が抜けなくなってくる。いつ店から連絡があるか分からないからだ。うつらうつらしていると、不意に電話がかかってきて、いますぐ来いと言われるのははなはだ不愉快だ。煙草に火を点ける。ああ、今日何本目の煙草かしら。


 午後6時。いよいよ電話がかかってきた。一瞬、電話に出るのをためらうが、意を決して耳に当てる。7時に来いということらしい。ということは、いますぐ家を出ないと間に合わぬ。頭にちょっとワックスを塗って、鞄を持って飛び出す。


 午後7時。30分前に店に到着して、夕食(今日はカップ麺と塩おにぎり)を済ましておいたから、体力十分。最後に煙草を一本吸って、気力も十分。

 早速、本走からスタートである。気分は憂鬱。が、客商売なもんで、眉根にしわを寄せて、口をへの字に結んでいる訳にもいかず、努めて笑顔。このあたりは、きっと飲食店の人なんかでも共通項だろう。


 午後8時。既に5000円くらい負けている。ぐぬぬ、悔しい。どうにか取り戻せぬかと画策するが、一度5000円程度負けると、なにかきっかけがないとまくるのは難しい。スタートダッシュが肝心なのだ。


 ここで、ちょっとウチの店のレートについてご説明申し上げる。まぁ、要するに、どの程度が金が動くのか、という話だ。

 1000点50円の、いわゆる「ハーフ」というレートで、一度ハコれば(*1)4000円近く吹っ飛ぶ。時給がおよそ1000円だから、それだけ4時間ただ働きということになる。

 もちろん、反対に誰かを吹っ飛ばせば、4000円程度の収入は得られるのだが。

 現実はそううまいこといく訳でもなく、トんだりトばされたり、そうこうしている内にゲーム代の分が大きくなって、まぁ、結果的に負けている。現実は非情である。


 午後10時。ようやくもうひとりお客様がやってくる。こういう時の客は、さながら救世主に思える。いそいそと退席準備をして、半荘終了のタイミングで交代。諸事済ませて、煙草を一本。ああ、臓腑に染み渡る。


 午後11時。仕事終わりなのかなんなのか、セットが流れ込んでくる。さっきまで、フリー2卓のセット1卓だったのに、ものの30分でセットが4卓まで増えている。商売繁盛結構結構。


 午後12時。ここで建前上の営業時間は終了する。実際は、フリー2卓のセット5卓。みなさん、麻雀が本当にお好きのようでなによりでございます。がははと笑いながら麻雀を続けるセットを尻目に、カーテンを閉じて看板の電源を落とす。これを忘れると、どえらい怒られる。


 午前1時。フリーが1卓バテた。と、同時に、もうひとりの従業員が退勤。ここからはひとりの時間である。幸運なことに、フリー1のセット5というのは、存外に忙しくない。フリーが1半荘終わるごとにゲーム代を回収に行き、負けている客から嫌味を言われ笑顔で答え、またセットのお客がジュースがほしいと叫べば、笑顔でお茶くみを役をする。その程度である。


 午前2時。フリーの客がひとり抜ける。ついに軍資金が尽きたのである。仏頂面ともしかめっ面とも、ともかくすごい剣幕で店を後にする。こういう時は、下手に声をかけると、噛みつかれるのがオチだ。触らぬ神にたたりなし。そっとしておくのが吉だ。

 客がひとり抜けたということは、またしても僕が本走に入らねばならない。既に負けは10000円近い。が、逆に10000円を超えない負けならば、なんとか±0にまで戻すことはできる。ここが正念場である。


 午前3時。ちらほらとセットが帰り始める。麻雀を打ちながら、セット客の場代精算などもしなければいけないので、なかなかに忙しい。その都度、ゲームも止まるので客からも嫌な顔をされる。こっちも心苦しいのだ。


 午前4時。ついにフリーも終了。同時にセットの数も2卓まで減る。こうなると、肉体的にも精神的にも気が楽である。しかも、残るセットも常連の2組で、世話がかからない。

 が、楽をできる時間にはまだすこし早い。ちょっと振り返ってもらいたい。

 午前1時の段階で、フリー1のセット5。そして午前2時に差し掛かって、僕が本走に入り、その間に2組のセットが終了。そしてフリーのバテるタイミングで、もひとつセットが終了した。その間、誰が卓掃(卓の掃除のこと)をしてくれているのか。

 答え、誰もしてくれていない。当然、従業員は僕ひとりなのだから、妖精さんがしてくれでもしない限り、遊戯後の卓は散らかったまんまだ。

 げんなりしながら、おしぼりとからぶきようのタオルを持って、散らかり放題の卓と相対する。ソファに寝っ転がって眠っている間に妖精さんが片づけてはくれないものかしらと、たまに卓掃をほっぽり出して寝こけることもあるが、いまだに妖精さんがきれいにしてくれたことはない。きっと妖精さんは恥ずかしがり屋なのだろうと推測する。


 午前5時。4つの卓の掃除を終わり、使用後のコップなどの洗い物もすべて終え、諸事万端に済まして、ようやく小休止を取れる。煙草を一本、と思って箱を揺らすが、中身は空っぽ。こんなこともあろうかと、煙草は出勤の際には常に買うようにしている。一服。縁起よく立ち上った煙が、天井にぶつかって霧散するのを見て、にやり。


 午前6時。セットのひとつが終了。残り1卓。こうなった時、ラストのセットの反応は2つに分けられる。


 ①隣の組が終了した訳だし、俺たちもこれをラストにしようか

 ②隣の組が終了した訳だし、俺たちはいけるところまでいこう


 もはや②については論理破綻を起こしているような気がしなくもないが、ともかく、こういう反応をする。今日はどちらかしら。


 午前7時。まだ終わらぬ。どうやら②の方だったらしい。緩んだ気を引き締めなおす。が、簡単に緩み切った緊張が張り詰める訳もない。眠気がそろそろと鎌首をもたげてくる。が、ちょうどのそのタイミングで、まるで謀ったかのように、すいませんの声が差し込んでくる。忌々しい。


 午前8時。多くの社会人はもう出勤の準備をしているというのに呑気なことだ。かくいう、ソファに座って煙草をぷかぷかふかしているだけの僕も、傍から見れば相当呑気なことだろう。お互いさまか。


 ……

 ……


 結局、その日の退勤時間は午後0時となった。大きく伸びをして、一気呵成に締め作業に入る。ここでだらだらしていては、帰られるものも帰られない。

 卓掃を終え、トイレ掃除を終え、ドリンクを補充して、レジ金を確認、帳簿とズレがないかを見る。どうやらズレはないようだ。ほっと胸をなでおろす。

 と、同時に、思わず帳簿をにらみつけない訳にはいかなかった。メンバー成績欄の2行目に書かれた、文字。「赤色」で、


 18000


 ちなみに、その上の行には、「黒色」で1000とある。

 ここまで言えば、おわかりいただこう。18000円の負けである。


 午後7時出勤の午後0時退勤。労働時間にして、17時間。本日の収支、マイナス1000円。

 がっくりとうなだれる。もちろん、こんな日ばかりでもないし、プラス20000円とかで帰れる日もあるのだが、それでも愕然たるマイナスの事実は、心に弾丸を撃ち放たれた気持ちになる。胸腔を通っていくすきま風が冷たい。


 と、ここでオーナーが意気揚々と乗り込んできた。レジ金の回収である。こちとら心身ともに相当に疲れてるから、挨拶もそこそこに扉に手を掛けたところで、オーナーが一言。


「お前、弱いなぁ」


 大きなお世話だ。ぺっ。





 *1 「ハコる」…点棒をすべて失うこと

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