第4話 雀荘の残業


 メンバーは、麻雀を打っているだけで時給が±0になるということは前の話で書いた通りである。勝たねば、必ず給料が出ない。麻雀の成績が仮に±0でも、やはり給料は出ないのである。


 そんな職場がほかにあるだろうか。いかに辛く厳しく、また不当な扱いを受ける職場であっても、残業代が出ない職場であっても、給料がからっきし出ないということはまずあるまい。


 お次に紹介する雀荘の闇は、「残業」についてである。

 「うちの会社は残業代つかない」という文句はよく耳にするが、それはそれで実にけったいな問題であると思う。一部の企業では、時間外労働の足跡が残らないように、規定業務時間以降は、パソコンの電源をつけない、などの処置を施した上で残業を課すところまであるらしい。そこまでして業務が残っているって、いったいどういう状況なんだと思いたくもなるが、一般企業に勤めたことのない僕が嘴を挟めるようなことでもないので、雀荘業界における「残業」についてお話したい。


 さてまずは、雀荘の「営業時間」について少し説明する。

 雀荘は、「風俗営業」のひとつであるため、その営業時間は「日の出から深夜0時まで」と法律で定められている。例えば、パチンコ屋も同じくくりに類するので、朝の9時だか10時だかにオープンして、長くても23時には看板を下ろしている。

 ところがどっこい、例えば、麻雀漫画を読んだことのある諸君らならば考えるだろう、麻雀といえば深夜に打つもの、というイメージがある。実際、それは大正解で、そもそも、朝の9時から夜の9時近くまで働いたサラリーマンが、そこから深夜の0時まで麻雀を打つ、なんていうことが成り立つべくもない。

 現実は、雀荘は深夜も、しっかりこっそり営業をしているのである。看板こそ下ろして、中の電気が漏れぬようにカーテンを閉じてはいるものの、ガチャリと扉を開ければいらっしゃいませの声が飛んでくる。


 まぁ要するに、法律に反しながらも営業しているケースがほとんど、という訳だ。そして警察もまた、これに目をつぶっている。特に大きな問題を起こさなければ、わざわざ介入してくることもない。

 都市部の雀荘であれば、24時間営業という雀荘も珍しくない。一昔前であれば、12時間交代シフト(*1)、現在であれば8時間交代シフトの店も少なくない。


 このなぁなぁな現状について、筆者は特に非難する気も、文句を言う気もないのだが、問題は労働時間と賃金である。


 労働基準法の定める通りであれば、時間外労働や深夜業においては、割増手当がなされるべき、という決まりがあるが、例えば、諸君らの町の各所にもあるコンビニなどでは、まさしくこのルールが適用されていて、昼勤務や夕方勤務の時給が880円とするならば、深夜業においては、

 880×1.25(割増分)=1100円

 が時給として計上される。

 では果たして雀荘においてはどうであろうか。

 仮に、12時間2交代制のシフトを設けている雀荘があったとして、その場合、必ずどこかで深夜時間帯に差し掛かるメンバーがいる。その場合、時給が1000円だった時、しっかり1250円になるのだろうか。

 答えはNOで、何事もなく

 時給1000円×12時間=12000円/日

 が計上されるだけである。


 まぁ、これについても、実は僕はそこまで声を荒げて騒ぐつもりはない。時間外労働や深夜割増を正確に行っていない個人営業店なんて、見つけようと思えばいくらでも見つかるし、そもそも雀荘は深夜が本番、みたいなところもあるから。


 最大の問題は「残業」である。

 僕の抱えるこの問題を「残業」と称するのは、いささか違うような気もするが、ともかく僕が残業と認識しているので残業である。


 ではどういう問題か。


 大阪市内などの雀荘であれば、12時間2交代制や8時間3交代制のシフトが敷かれていて、24時間営業が続けられている、とは先に述べた通りであるが、それは立地が都市部ということであり、24時間客入りが見込めるからその体制を取れるのであって、では、大阪市内や梅田から一時間以上電車に乗って田舎へ出てみるとどうだろうか。

 むろん、24時間の営業というのは難しい。故に、ほとんどの雀荘が、昼に開店し、ラストまで店を開けているというパターンである。

 そしてこの「ラストまで」というのが曲者で、「ラスト」とはいったい何時のことを示しているのだろうか。

 答えは、最終の客が掃けるまで。

 最後のお客様がお帰りになられるまで、店舗を開け続けているのである。それが、次の日の、本来の開店時間に差し掛かろうとも!


 さて、ここで少し僕のケースの話をしよう。僕の大体の出勤時間は、21時~22時。これもまた、日によって前後して迷惑極まりないのだが――この話は、また別の機会に――、そしてそれからラストまで。

 20時に家を出て、30分くらいテクテクと道を歩き、20時30分に到着。そこからいそいそと出勤の準備をしたり、翌週のシフトを確認したりしている内に21時となり、そこから勤務スタートである。

 場合によってはいきなり「本走」スタートから始まる。こうなってしまうと、内心「げっ」と思わなくもない。

 そこから、新たな客が来るまで、延々麻雀である。負ければ給料が減り、勝てば増える、ガチンコデスマッチだ。


 深夜の0時を過ぎると、メンバーのひとりが退勤する。さて、ここからは自分ひとりである程度こなさねばならない時間の開始である。フリーに入りながら、セットの相手をし、また電話がかかってきたら電話を取る。……


 そうして、平日であれば、だいたい朝5時くらいになれば、フリー業務の方は終了する。フリー卓が、打つ客がいなくなったことにより立たなくなることを「バテる」と言い、フリーがバテたら、あとはセットの客が帰るのを待つばかりである。


 この時点で、ほとんど本日の給料の有無は決定している。

 おそるおそる日報(ここでは、その日の損益を書き記す従業員用の帳簿のこと)をのぞき込む。

 そこに書かれたる数字は、-15000円。言わずもがな。15000円の負けである。

 15000円といえば、時給15時間分である。現在の時点で、21時~5時までで8000円の給料が成立しているが、それにしたって、いまだ7000円の負債が残っている。


 こうなってしまえば、筆者はというと、待機客用のソファに深く深く腰掛けて、大きくため息を吐く。同時に口から魂が抜け出るのではないかというほどの大きなため息ということは自覚しているが、どうして落胆せざるにいられるか。


 そしてなにより頭を抱えたくなるのは、これからの時間である。セットが終わるまで帰ることも眠ることもできない、ある種ひとつの拷問ではないかしら。

「座っているだけで給料が入ってくるなんて、幸せじゃないか!」とある人は言うだろう。たしかに、そういう側面もある。そういう意味では、間違いなく楽な職場といえよう。


 が、セットラストの真の恐ろしさは、じわりじわりと、病が体を蝕むように効いてくる。


 午前8時。時計を見上げる。まだかしら。既に出勤前に買った煙草もすっかり空いてしまって、二箱目に差し掛かっている。

 午前9時。普通のサラリーマンなれば、とっくに出勤している時間である。あまりに手持無沙汰なのでちょっと話を聞いてみると、どうやら大学生であるらしい。いいな、大学生は。

 午前10時。この時間になってくると、すこしうつらうつらしてくる。意識が落ちそうになったところに、「すいませーん」の声。はっとわれに返る。

 午前11時。セットの客の方に目を向けると、彼らも疲労困憊の様子。そこまでして麻雀を打つ大義はあるのか。

 午後0時。セットの客のひとりが眠り始めた。ここで、ようやく終了。


 よっこらせと重い腰を上げ、セット料金を清算。精一杯の笑顔で送り出すと、卓掃作業に入る。客の使った後の麻雀卓や牌を拭いたり掃いたりする。

 それが終わったら、今度はレジ内の現金と日報をにらめっこし、ズレがないかを確認する。ここでもし大きなマイナスがあれば、自分の財布から補填しなければならない。


 すべての業務が終了したのは午後1時。鍵を掛け店をあとにする。朝日(昼日)が目にまぶしい。眩惑して思わずくらりとふらつく体をなんとか支えながら、徒歩30分の岐路に着く。……。


 本日の給料

 +1000円

 である。


 しかし最も恐ろしいのは、この収支ではない。

 むろん、退屈に過ぎることだったり、眠れないことだったりでもない。


 翌日の予定の立てられないことである。


 午後0時になんて終わってしまうと、例えば、学生なら大学の1限や2限に間に合うべくもなく、そもそも翌日も出勤の場合、もはや一目散に家に帰って床に就く以外の選択肢がなくなる。



 これが、雀荘の残業である。



*1 「12時間シフト」…聞くところによると、8時間を超える労働時間の場合、超えた分の労働時間にも割増賃金が発生するそうです。

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