第2話

………………………………………………………


僕はすぐさまドアを閉めた。


「…………………………………!!!!!!!!」


再び羞恥の感情が湧きあがってきた。一瞬であの時の情景を鮮明に思い出す。あれほど感情が湧き出たことはなかった。忘れようと思った途端にこれである。


「…………………でもどうして…」


一呼吸置いてまだ冷めきっていない頭を回転させる。自分で言うのもなんだが、正に羞恥という言葉を体現したかのように無様に逃げてきたのだ。


………どうして家の場所がわかったのか、という奇妙な謎が残ったが、それ以上にどうしてうちに来たのか腑に落ちない。


………まさか、本当に夕飯を一緒に食べてくれようとしたのか?


…………いや、恐らくからかいにでも来たのだろう。淡い期待をした自分が愚かだった。


それによく考えてみると、こうして女性と顔を合わせた瞬間にドアを閉めるというのも、恥丸出しである。恥に恥を重ねてしまった。明日からはあの女性にもし街であってもばれないように変装でもしていこうか……


………そんな時である。ただでさえ恥に恥を重ねた僕にとどめを刺すように女性の声が心の臓に突き刺さる。


「夕飯一緒にいたべてあげるよ〜??」



「……………………………………………………」



僕は何も返さない。というより返せない。


何せ、あれほどの恥をさらしただけでなく、2度も逃げてしまったのだ。また、あの人の前に出たところで何も面目が立たない。恥さらし三連発で終わってしまう。


……沈黙を貫いて、諦めて帰ってもらおう。そう思った矢先、


「………ボッチが持つ淡い希望をボヤいたのが聞かれたのが恥ずかしくて、後生にのこる羞恥の逃走を女性に見せてしまったからって、引きこもらないでよ〜」


……………………………こいつぅぅ!!!!!


見事に言われたくないことを、まるでフラグが成立したみたいに正確に言ってくるあたり、わざとやってるのかとしか思えない。


バカにしやがって!!!と怒りが湧いてくるが、彼女の言ったことはまさにその通りであるため反論の余地なんてない。


しかしこうしてほぼ初対面の女性に羞恥を晒し続けるわけにもいかない。出てこなければ永遠に恥を生産しそうなので、とりあえず出て話して帰ってもらおうと試み、そっとドアを開けた。


「…………………………………何の用ですか。」


「あぁー!!!やーっと開けてくれた!!

…………もお、手間がかかるじゃないの!こうしてドンドンしてる時に誰か人でも来たらどうするのよ。私、はたから見たら完全に不審者の女じゃないの!」


「僕から見たら完全に不審者の女ですよ!てか質問に答えてくださいよ!何の用なんですか!?」


「っちょ、あなたね〜、それだけ恥をさらしてどうしてそんな態度にでれるのよ!太々しいのもいい加減にしなさい!恥さらし男!略して恥男!」


「不審者の女なのは否定しないんですね!恥男てなんですか!略さないでください!それに人の家に来て、開口一番ディスった挙句に略称までつけて!太々しいのはどっちですか!!!」


「そんなに言う元気があるならば早く出てきなさいよ!全く、手間かけさせるんだから!」


「不審者は否定しないんですね!」


「不審者じゃないわよ!この恥男!どこからどう見ても普通のひときわ美しい少女じゃない!こんな少女が不審者と思われるなんて世も末よ!」


「自分で言うあたりすっごい太々しいですね!…ってか、何の用ですか!!何しにここに来たんですか!!!なんのために来たんですか!!からかいに来たんですか!?!?それなら帰ってください!!」


僕が声を荒らげてそう言うと、彼女は人差し指を口元に置き、不思議そうに首を少し傾けて言った。


「何って……理由もわかんないの?あなたが夕食を誰かと食べたい的なことをボヤいてたからに決まってるじゃないの。他に何があるっていうの?それ以外の用事になんてないに決まってるじゃないの。」


「……………………ボヤキで普通きますかねぇ。」


僕がそう言うと、女性は少し悲しそうな目で僕を見た。そして、まっすぐ僕を見て、急に口調をかえて静かに言った。


「だって、あなた今にも泣き出しそうな顔していたから。私みたいに1人で本当に寂しいんだろうなって、そう思ったの。そんな子が、毎日誰かと夕食を取りたいとか言ってるんだもの。放っておけるわけがないでしょ。」


まさに的を射た発言だった。まさに僕が思っていた、願っていた事のために彼女はここに来てくれたのだった。



静寂がふたりを支配する。





僕は彼女の言葉に、何か胸からこみ上げてくる感情を感じていた。





「……………………………ッッッ!!!!!」





僕は言葉を発せていなかった。その代わり目頭が熱くなり、二、三滴ほどの雫が頬をすぅっと下っていくのを感じた。


………………また、恥をさらしてしまった。


これで3度目である。


このままだと、涙が止まらなくなりそうなので、なんとか僕は彼女へ返す言葉を探した。



「…………でも、どうして家が分かったんですか。」


純粋な疑問である。とはいえ今の僕にはどうでもいいことなのだが、その問いしか言葉が見つからなかった。



そう聞くと女性が微笑み、優しい眼差しで語った。


「心配になったから追いかけてみたんだけど、あなたすごーく逃げ足が速かったから全く追いつかなかったの。だから本当は今日は諦めて、また会った時にでも、って思ったの。」


…………………………………………


女性は少し間を置いて続けた。



「でも、あの時のあなたの悲しそうな顔が忘れられなくて。もしかしたら近くに住んでるんじゃないかなって思ったの。だからこのアパートの人に『この辺で泣きそうな男の子みませんでした?』って聞いたの。そしたら、『2つ隣に1人で住んでいる男の子が慌てふためいてキョロキョロしながら家の中に入って行った』って教えてくれたの。だから君なんじゃないかなって。」


…………………………………


女性は、ダメだった?とでも言う様に眉を下げて少し悪いことをした様な顔をした。


…………………………………………………


「……でもどうしてこのアパートの人に聞いたんですか?他にもたくさん家はあるでしょう?」


女性は自分の行動を否定されなかったことに安堵したのか、再び微笑んだ。


「……私、明日ここに引っ越してくるの。だから今日は下見に来たの。道わからなくて暗くなっちゃったんだけどね。そしたらあなたがいて………あなたが逃げていった方向が、このアパートの方だったからもしかしたらって。このアパートの人に聞いたら何か手がかりがつかめるかなって…………」


「………………………………………………」


「探したら駄目だった?」


「………………………………………………」


「もし、良かったら、私と一緒にご飯たべない?私もずっと1人だったから……あなたの気持ちもわかるわ。」


「実際私、あなたと同じなの。いつも1人で、両親もいないし、食事の度にあなたと同じこと考えてたわ。だから、私のためでもあるのよ?」


彼女は僕の気を使わせないためか、そんなことを言ってきた。しかし、彼女の顔は少し昔を思い出して憂いている様な気もした。


「……私でよければいろいろ話も聞くよ?周りの人みたいに、お母さんやお父さんに話したいこととかもいっぱい、いーっぱいたまってるんでしょ?何度も言うけど、私もそうだったの。」


「子供みたいなことはもう考えないって割り切って、平気になっちゃったんだけど、あの時のあなたが言ったこと聞いたら、私もいろいろ話したくなっちゃった。ほぼ初対面なんだけどね。」


彼女はそう言って苦笑した。




「だから…………」




「……………………………ッッッッ!!!!!」


僕の目頭から出た数滴の雫は、滝のように変わっていた。


どうやら、僕はそこまでま追い込まれていたらしい。不意に通りかかっただけの家庭の団欒に、これほどまでに思い悩まされてしまった。


それを救ってくれる人が現れたら、この様である。慈愛とも呼べる彼女の言葉に、僕はひどく心を打たれた。


一度流れた涙と勢いは止まらない。今までずっと我慢していた感情が、あふれんばかりに湧き出してきた。


涙でくしゃくしゃになったにもかかわらず、僕の顔は自然に笑みを作っていた。恐らく、今まででいちばんの笑みだったに違いない。


「……………………………………………」



そして、僕は無言でうなづいた。



それを見てか、彼女は心から安心した様な表情になり、満面の笑みを浮かべた。


「ほらほら、もう泣かないの。男の子だし、せっかくいい顔がだいなしよ?ほーら。」


「…やめてくださいよ。そんな子供みたいに扱うの。僕こう見えても17だし、バイトもたくさんして1人で暮らしてるんですから。さすがにそんな言葉言われるとすごく恥ずかしいんですけど…」


人にここまで優しくされたのは初めてである。いろんな人の助けをもらって生きてきたが、それは同情という感情に近いものからきたものだった。


…しかし、彼女のそれはそんなものとは違った。そんな彼女に僕はまた、ひどく心を打たれてしまった。


「…………………でも、どうしてそこまで優しくしてくれるんですか?」


僕は初めてともうけた心からの厚意の理由を、彼女に問うた。


「さっきもいったでしょ。あなたを放っておけなかったって。それに、これは私が寂しくなったからっていうのもあるんだから…」


「素直じゃないんですね……損しますよ?」


苦笑しながらそう言うと、彼女はプイッとそっぽを向いてむっくりして言った。


「もう!知らない!あなたがそんなことよく言えたものね!立場ってものを考えなさい!泣きながら逃げたくせに!」



「追ってきたくせに………そんなの本当にストーカーじゃないですか。」



「……………………………………………」


しばらくの沈黙の後、ふと2人は目を合わせた。それがなぜかおかしくて、僕と彼女は笑いが吹き出してしまった。



しばらく2人で笑いあった。そして少し落ち着いてから、彼女は言った。



「さて、そうと決まれば早速私が腕をふるってあげるから、家にいれ………………………………」



彼女はそう言いかけた後、急に青ざめた。



「………………………………………」



「……………………どうしたんですか?」



「今更ながら、材料がない…………………」



「大丈夫ですよ!さっき店長から野菜たくさんもらいましたから。」



「う〜〜ん……でもなぁ。折角つくってあげるんだから、やっぱり食べさせる相手の材料を使うのもなぁ……」



彼女はそう言いながら、うーん、うーんと考え込んでいた。



……長くなりそうなので、とりあえず立ち話もなんなので、座って話さないかと誘ってみた。


「そうね〜。せっかくだから、なかはいっちゃお!明日引っ越してくるから家具の配置とか参考になるかもだし…」


そう言って家の中に入ろうとした時、彼女は何か重要なことに気がついた様に、ハッとなり、再びあおざめてボソッとつぶやいた。


…………………………………………………



「…………今の家の前のバス停、赤字路線だからもう帰らないと乗れなくなっちゃう……」



唐突に彼女がそんなことを言ってきた。



「なんだかせわしないですね。」



「うーー…ごめん!本当悪いんだけどまた明日で!引越し終わったら必ず来るから!って隣だし!」



……なんたる期待はずれ!今から温もりタイムと思いきや、なんとここにきてまさかのお預けである。



「本当にごめんね!本当にごめん!でも今帰らないと家に着かないから!まだ、最後の掃除もしてないし早く帰んないと!ほんとうにごめんね!」


そう言って彼女は嵐のごとく去っていった。


その姿を見えなくなるまで、僕は見送っていた。彼女も僕に手を振ってニコッと笑いながらさっていった。


「忙しなかったなぁ。…………あ、名前聞いてなかった……」


まあ、明日にはまた会えるんだから、いいかっと、思い直して、僕はいつもの変わらない1人の夕食の準備へと、取り掛かった。


店長からもらった野菜を少し使って、白ご飯に味噌汁、そして野菜炒め、という簡素なものだ。少し野菜が多めであることが、いつもとの唯一の違いか。


いつもとほぼ変わらない夕食。1人の食事。結局は、いつもとほとんど何も変わらない。とはいえ、僕はいつもよりも何分明るい気持ちでテーブルへ向かう。



なぜかどっぷり疲れてしまった。しかし、なぜか全く悪い疲れではなかった。


いつもと変わらない、いつもの様に1人の、いつものように会話も何もない食事である。


しかし、いつもとは全く違う心持ちで、何より笑顔で、僕は久しぶりに合掌し、子供の様に大きな声で言った。



「いただきます!!」







今日の夕食は、いつもの食事よりも、ほんの少しだけ、美味しく感じた。

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