第388話夕食時
そして練習が終わっての夕食。
「俺、ヴァイオリンの練習がこんなにヘビーやったんだという事を初めて知ったわ」
と震える手でトレイを持つ大二郎が言った。流石に朝から長時間ぶっ続けでヴァイオリンを弾くと、まともに腕に力が入らなくなる。
「なんやお前、初日にして目を付けられたか?」
と先に拓哉と食事を始めていた哲也が声を掛けた。
「ちゃうわい。将来性があると思われて目を掛けられたんや」
と大二郎は長テーブルにトレイを置きながら哲也の隣に座った。
「どうなん?」
と哲也が向かい側に座った僕に確認してきた。
「さあ? どうやろ?」
と僕は笑って誤魔化した。
確かにパート練習中、手島さんは大二郎を名指しで色々弾かせていたし、彼を手本にして全員に指導していた。目を付けられたのか目を掛けられたのか微妙なところだった。
「ま、大二郎のやる気をそいでも悪いしな」
と言って僕は笑って誤魔化した。
「なんやそれ!」
と大二郎が憤っていたが、育ち盛りの高校生は目の前のカレーライスを平らげる事の方が先決問題だった。これ以上この話題が膨らむことはなく、僕らは皿の上に盛られたカレーライスを平らげることに専念した。
そこへ吹奏楽部の栄と
建人の表情が暗い。彼は椅子に座るなり
「はぁ」
と盛大なため息をついた。
「そんなに気にすんなや」
と建人の正面に座った栄が声を掛けた。
「なんか知らんけど、吹部は大変そうやな」
とあらかた皿の上のカレーライスを片付けかけていた僕は栄に声を掛けた。
「まあな。全国に行きたいしな。それに楽団の人たちも本気で指導してくれているから」
と栄は笑いながら応えた。
「そうやなぁ。ここまで来たら全国行きたいもんなぁ……ところでどないしたん? 健人、めっちゃ落ち込んでるみたいやねんけど」
と僕は言いながらも、うちの吹奏楽部員の言葉とは思えない前向きな台詞を聞いて少し楽しい気分になった。
「いや、なんかな、パート練習の時に結構厳しめの指導を受けたみたいやねん。俺も詳しい事は分らんねんけど、健人の落ち込み方が尋常やないからなぁ。ちょっと心配しとんや」
と栄は答えた。
「そんな、落ち込んでないわ。大げさに言うな」
と健人は否定した。
その時
「なんや? プロから『下手くそ!』って言われたか?」
と拓哉がからかう様に軽口をたたいた。
建人は拓哉をにらみ返しただけで無言ですぐに目をそらした。
「え? ホンマにそうやったん?」
と拓哉は驚いたような表情を見せた。
まさか、こんな反応が返ってくるとは思ってもいなかったようで、どう対応していいか分からずに焦っていた。
「流石に面と向かって、下手くそとは言われてへんみたいやねんけど、本人は限りなくそれに近いダメージを受けたみたいやな」
と建人に変わって栄が答えてくれた。
「なあ、亮平。リップスラーって分かるか?」
唐突に建人が聞いてきた。
僕は首を振ると代わりに拓哉が
「タンキングと違って舌を使わずに唇だけでスラーするって事や」
と教えてくれた。
健人は横目で拓哉を一瞥してから
「そうや。そのタンキングのせいで、音を変える時に舌を突く癖が出てしまっていたんやけど、そこを指摘されまくってしもうたんや」
と最後は諦め顔になって言った。どうやら疲れ切ってはいるようだが落ち込んではいないようだった。
「今まではどうしていたん?」
と僕が聞くと
「それなぁ。全くできひんわけやないねん。でも得意ではないから適当に胡麻化しとったんやけど『全国目指すんやったらそれぐらいできんと行けん』とか言われて、パート練習の時はその練習をさせられたわ」
と建人はうんざりした表情で答えた。
「兎に角『高音域へのリップスラーは横隔膜を鍛えろ』って言われたわ。腹筋でもしよかな」
と健人は乾いた笑いを見せたが、すでに腹は括っていそうだった。
その時
「それでホンマに全国には行けそうなんか?」
と拓哉が聞いた。
「それは判らへんわ」
と健人は無表情で応えた。
「そうかぁ……それでも『判らへん』とまで言えるところまでには来たんやな」
と拓哉は呟いた。
今までの吹奏楽部は全国どころか、県大会突破も怪しかった。それに比べれば今年の大会は出来すぎだともいえる。少なくとも僕はそう思っていた。
健人は一瞬はっとした様な表情を見せたが、
「まぁな」
とだけ言って考え込むような表情を見せた。
「せっかくのチャンスや。頑張れや」
と拓哉はそう言うとトレーを持って席を立った。
そして
「哲也。俺はもう少し練習してくるわ」
と言い残して食器の返却口へ向かった。
それを見て慌てたように哲也もトレーを持って立ち上がり
「俺も練習するから待ってや」
と拓哉に声を掛けると僕たちに
「じゃ、お先」
と拓哉の後を追いかけるように返却口へ向かった。
その二人の後ろ姿を見送りながら健人は
「ああ、そうやな。全国行かんとな。ホンマにな」
と呟いていた。
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