第387話パート練習

 全体演奏をみなと神戸交響楽団の団員に見てもらった後は、パート練習が始まった。

大所帯のヴァイオリンはそのまま大セミナー室を割り当てられていた。


 部員が各々指定された練習場所に移動する最中、僕はみなと神戸交響楽団のコンサートマスターの手島悟さんと古野由花さんを見つけた。


「お久しぶりです」

と僕が二人に近づいて挨拶すると

「お、また会えたね。さっきの全体演奏は良かったよ。お世辞では無くて……さすがはヴァレンタイン先生が指導しただけのことはあるとみんなで感心していたんだよ。それにしても今度はヴァイオリンかぁ……どんな演奏をしてくれるのか楽しみだなぁ」

と手島さんは優しい笑顔で右手を差し出してくれた。

僕もそれに応えて右手を差し出しその手を握った。


「よろしくお願いします。お手柔らかにお願いします……本業はピアノなんで……」

と僕は変な期待をされないように前もって釘を刺しておいた。

今度は同じヴァイオリン奏者として教わる事になるが、僕の本業はピアノである。なるべく穏便に済ませて欲しいというのが本音だったりする。


「ははは。解ったよ。でも、さっきは良い演奏していたよ」

と手島さんは笑って応えてくれた。しかし解った雰囲気は全く感じられなかったが……。


 そのままま僕は

「古野さんもお久しぶりです」

と手島さんの隣に立っていた古野さんにも挨拶をした。


「久しぶりね。元気にしていた?」

と古野さんは明るい表情で応えてくれた。


「はい」


「ピアノだけでなくヴァイオリンも弾くなんて凄いわね」

と古野さんは驚いたような表情を見せて言った。手島さん、古野さんには僕がヴァイオリンを弾くことは言っていなかった。わざわざ言うような話でもないし、まさか合宿で再び会うなんて思ってもいなかった。


「いえいえ。ヴァイオリンはたまたまです。頭数合わせです」

と僕は正直に答えた……つもりだったが、『言葉通りには受け取ってもらえていない』という事はこの二人の表情を見て理解した。


 そんな事よりもプロの楽団からコンマスを含めて、ヴァイオリンの指導に二人も来てくれるなんて想像もしていなかったのでそれはそれで楽しみだった。


「それでは皆さん取り敢えず椅子に座ってください」

と手島さんは部員に声を掛けた。

部員たちは各々手短にあったパイプ椅子に座った。


 手島さんは立ったまま右手でめがねに軽く手を添えて

「今日から四日間ヴァイオリンを担当する手島です。みなと神戸交響楽団でコンマスやってます。よろしくお願いします」

と部員に軽く自己紹介をした。


 部員から軽く感嘆の声が上がった。その後すぐに

「よろしくお願いします」

と部員たちが全員で挨拶を返した。

やはり部員からしたらプロの交響楽団のコンマスに教えて貰えるなんて驚きであり感動的ですらある。


 続いて古野さんが

「手島と同じく四日間担当します古野です。よろしくお願いします」

と言って頭を下げた。

部員たちもさっきと同じように

「よろしくお願いします」

と返した。


「それでは早速ですが確認しますね。えーとヴァイオリンは二十二名ですね?」

古野さんが名簿に目をやりながら確認するように聞いた。


「はい。管楽器との兼務の部員もいますが、ファースト九名、セカンド十三名で、うち未経験一年生が六名です」

と冴子が応えた。


「なるほど……え~と、あなたは……」

と手島さんは古野さんが手にした名簿を覗き込みながら聞いた。


「部長の鈴原冴子です」

と冴子は名前を聞かれる前に答えた。


「あ、部長さんね。よろしく。じゃあ、この部のコンマスは君かな? それとも……」

と手島さんは顔を上げると聞いた。


「はい」

と言って瑞穂が立ち上がった。

そして

「この部のコンミスの結城瑞穂です」

と名乗った。


「あ、結城さんね。よろしく」

と手島さんは笑顔を見せた。

「はい」

と瑞穂が返事をしたが、それを見て思い出したように手島さんが聞いた。


「もしかして、君は昨年の『よみコン』に出ていなかった?」

と昨年僕たちが挑戦したコンクールの名を口にした。


「あ、はい。出ていました」

瑞穂は驚いたように応えた。


「そうだよねぇ。確か……本選に行ったよね?」

手島さんは容赦なく畳みかけるように質問を重ねた。


「は、はい」

瑞穂はここで自分の事を聞かれるとは思ってもいなかったのだろう。声が明らかに上ずっていた。

瑞穂の驚きと焦りが伝わってきた。そこには少し同情はしたが見ていて笑った。

瑞穂の名前がいろんなところに知られているというのが僕にはとても嬉しい事実だった。


 手島さんは

「そっか……君もここの生徒だったんだねぇ」

と呟くように言うと何度か頷いていた。何かひらめいたことでもあるのだろうか? 


「先ほどの皆さんの演奏を聞かせてもらいました。素晴らしかったです。思った以上に弾きこんでいる人が居るのには驚きました。それと先ほどの演奏に参加されていない部員の方は、まだ初心者の一年生という事でよろしいですね?」

と冴子に視線を移した。


 冴子は

「はい。今年入部した部員です」

と慌てたように応えた。


「分かりました。では初心者の方はこちらの古野が担当します。それ以外の方は私が担当します。よろしいですか?」

と手島さんが聞くと部員全員が

「はい!」

と元気よく応えた。

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