第383話放課後の部活 その2
この二人のやり取りを周りの部員たちは生暖かい視線で見ていた。
楽譜めくりとひとことで言うが、これがなかなか難しい。タイミング早すぎても遅すぎてもダメだし、もちろんガサガサと音を立てるのはご法度だ。だからこの二人の会話は他人事ではなく、みな身に覚えがある事だった。
僕の隣には宏美が座っている。彼女は僕のプルトの裏だ。
自然と僕たちは目が合った。宏美が舌を出してとぼけた表情を見せた。
「大丈夫やで。宏美は大二郎とは違うから……」
と僕が言うと宏美はニコっと笑って頷いた。
その途端、後ろの席の大二郎と琴葉に椅子を蹴られた。
僕が振り返ると
「いちゃつくのは帰ってからにせえ」
と琴葉に睨まれた。
「ごめん……」
と僕と宏美も琴葉に謝った。
「はい。そこ! プルト間の問題は穏便に解決してくださいねぇ」
とダニーが僕たちに声を掛けると、音楽室に笑い声が響いた。
僕たちの会話は思った以上に周りに聞こえていたようだ。
――めっちゃ、恥ずかしいわ――
ただこの笑いで演奏が終わってもなんとなく漂っていた緊張感が解けた様な気がする。
総じてダニーはいつも演奏が終わると僕たちをこんな風に褒めてくれていた……が
「ただ、出だしのヴァイオリンのビブラートが頑張り過ぎましたね。最初は優しくゆっくりと焦らずに弾きましょう……あれでは酔っぱらいの千鳥足になっちゃいますねぇ。最初ですからねぇ。皆さん緊張していましたね……大丈夫。これからもっと上手になりますから。それからヴィオラなんですが……」
とその後に笑いながら楽しそうにダメ出しを出す。
叱るでも諭すでもなく、しいてい言えば本人たちに自覚に任せるように話をする。
なのでダニーの笑顔とは裏腹に部員は演奏が終わってもすぐに緊張の糸が解けることはない。
これがプロのみなと神戸交響楽団との練習だったら、『譜読み』といえどももっと完成度の高い音が出ていたということは想像に難くない。もっともプロの楽団と僕らの合奏とでは比べるまでもないが、どちらの空気も吸ったことのある僕は自然とそうやって考えてしまう。
ダニーは僕たちには基本的優しい。優しいが妥協は絶対に許さない。各々が今出すことができる一番いい音を出していると実感できるまでは手を緩めない。
この音楽の世界で巨匠と言われる人に『あなたは、まだまだ出来ます。まだ出せます』と太鼓判を押されたら頑張らないわけにはいかない。
そういう教え方をダニーはする。
巨匠とはオーケストラを自在に操る人かと思っていたら、演奏者一人一人ちゃんと見て力を引き出させることができる人なのかもしれない。それは僕たちがアマチュアの高校生だからなんだろうけど、プロの演奏者に対しても同じように接していたような気がする。
ダニーは人の気持ちを掴むのが上手いと思う。
ダニーの指揮なら本来の自分の演奏よりも、もっと違う良い音色を出せるのではないかと思ってしまう。演奏者にそう思わせる指揮者だ。
もう一度あの舞台にダニーと一緒に立ちたくなった。
勿論、ヴァイオリンではなくピアノで。
「それではもう一度、頭から」
ダニーはにこやかに笑いながら指揮棒を振り上げた。
今日の練習は長くなりそうな予感がする。
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