第370話 コンサートその5

 そして第二楽章が始まる。弦楽の調べに誘われて僕はピアノを奏でる。

 

 プロのエゴイストの洗礼にいつまでも驚いている訳にはいかない。

同じステージに立っているんだ。僕はお客さんではないと改めて自分に言い聞かせた。


――僕のエゴとは自分の出すべき音を一音一音正確に鳴らしきる――


 ピアノという楽器は鍵盤をたたけば音が出るが、音色はまた違うものだ。一つ一つの音の粒はピアニストによって音色となり、繋がると旋律になり聞いているものを夢の世界へと誘(いざな)う。


 このオーケストラなら僕が今感じている音の粒を心置きなく出せるような気がした。


そしてこの第二楽章は僕のエゴを存分に出して弾きたいという欲望がふつふつと湧いてきた。



 夢見心地の始まり。

僕が奏でる分三和音の上でフルートとオーボエが美しい音色を奏でる。

淡い色の粒がゆっくりと広がる。

弦楽をバックにフルートとオーボエとピアノがまるでオペラのように語り合う。

音の粒が楽し気にゆったりと舞い上がっていく。


 こんな景色を僕以外誰も見ることができないのは非常に残念だ。

でも、オヤジには見えているんだろうな。このホールのどこかにいるオヤジの事を思った。


――オヤジもダニーとこうやって弾きたかっただろうなぁ――


そんな考えがふと頭をよぎった。


――オヤジならどう弾いたんだろうか……いや、今はそんな事を考えるのは止めよう――


どうせならオヤジに僕の今出せる最高の音の粒を見せたい聞かせたい。


 クラリネットから導かれるように旋律を受け取ると、今まで僕が奏でていた分散和音をクラリネットが引き継いで奏で始めた。



 そして僕のピアノが憂いを含んだ切ない旋律を静かな熱意をもって弾き切ると、独奏のガデンツァがやってくる。

僕の独り舞台だ。

今このホールには僕のピアノの音しか響いていない。


――僕が奏でる音の粒が舞っている――


この景色を僕は独り占めしている。とても気持ちがいい。


 独り舞台が終わるとまた弦楽による夢の始まりが繰り返される。

なんて美しい響きなんだ。

どうしたらこんな切なくて感傷的なのに安穏な心安らかな気持ちになれるんだろう?


改めてラフマニノフを凄さをここで体感しながら、僕は静かに第二楽章の幕をピアノで降ろした。

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