第337話ぽっぽちゃんのステージ
ハイハットの音が響くそれを合図に翔のギターをメインに僕達の演奏が始まった。
実はこの曲がアニメで流れたすぐ後に哲也と拓哉とで演奏した事があった。
ヴォーカルのメロディラインはチェロの哲也が受け持って、僕はどちらかと言えばギターパートをピアノでカバーしつつアドリブを入れていた。
コンバスの拓哉は珍しく弓ではなく指で弦を弾いていた。
――前もって弾いていて良かった――
そう思いながら僕は翔のギターを聞きながらぽっぽちゃんのヴォーカルを待っていた。
こんなロックを歌うぽっぽちゃんの声を僕はまだ聞いた事が無かった。
第一声から伸びのある声が響いた。
ワンコーラス目、バックの演奏は抑え目でぽっぽちゃんの歌声がホールに響く。
伸びのある良い声だ。音楽室で聞いた時とは全く違った声だった。
この声は持って生まれたものだな。技術的にどうのこうのという代物では無い様な気がする。
下手な小細工なんか消し飛ぶ厚みのある声量だ。
僕がぽっぽちゃんの横顔へ目をやると、和樹の姿が先に視野に入ってくる。
彼は良い音を刻んでいる。
こうやって和樹と一緒に演奏するのは初めてだった。これも新鮮な感覚だった。
和樹と目が合った。笑っている。どうやら彼も僕と同じような事を考えていたようだ。
このバンドと一緒に演奏するのは初めてだが、何故か違和感なく入っていける。
ロックだろうがブルースだろうがクラシックだろうが『良い音を出したい』という気持ちは同じだなと感じた。
そして彼らがぽっぽちゃんの声に惚れこんでいる事は彼らの音から伝わってくる。
観客席に目をやると最初はぽっぽちゃんの声に驚いていた観客達が、今は身体を揺すってその歌声を感じている。この曲は名曲だ。そしてこの声はバックバンドの演奏に負けずに見事に聞いている者たちの気持ちを揺さぶっていた。
ホールの中を色とりどりの音の粒が駆け回る。飛び散る。いつもの僕達の演奏では見る事が出来ない粒の入り乱れようだ。とても鮮やかだ。
ぽっぽちゃんの声の色は見えるのではなく、頭の中から湧き上がるように感じる。
情熱の赤。それが今日のぽぽっちゃんの色だ。
そして彼女の体から薄いオレンジ色の光を感じる。
そう、彼女の場合色ではなく光として音を感じる。こんな経験は初めてだった。
この時僕は気が付いた。
この演奏を純粋に楽しんでいるばかりで、自分のピアノの役割を全く考えていなかったことを。
ただあまり出しゃばらない様にかといって存在意義が無くならない程度に僕はピアノを弾いた。
要するに僕はただ単にここでの演奏を楽しみたかったのだ。
だって今日はぽっぽちゃんのデビューだからな。こんな日ぐらいは楽しみたい。
翔も心なしか解放されたようにギターを弾いているように感じる。
彼はぽっぽちゃんのヴォーカルに良い感じで絡みながらアドリブを放り込んでいる。
驚いた事に最初のギターソロは和樹が弾いた。
翔も上手いが和樹もなかなかいい音を出している。
観客席からの声援が凄い。このノリは一体なんだ!
器楽部の演奏では絶対にない光景だ。
和樹のソロが終わると観客も一緒に歌い出した。
ぽっぽちゃんはそれを煽るかののごとく舞台で仁王立ちになって叫んでいる。
観客は拳を突き上げ歌っている。
それにしても翔のギターはワウワウを使ったりファズを使ったりと忙しい。
でも水を得た魚のようにのびのびと好きなように弾いている。ヴォーカルと兼務ではこんなに自由にギターを弾けなかったんだろうなぁ。
二度目のギターソロは翔だった。
彼は僕の傍に来て弾き始めた。
その姿を横目で見ながら僕は翔に合わせるようにピアノを弾いた。
一緒に演奏しながらも僕は翔のギターの音を楽しんでいる。
同じように舞台の上で演奏しているのに、観客のようにワクワクしながら翔のギタープレイを眺めている。
少しだけ翔がギターだけに拘り理由が分かった。
そして今感じているこの一体感はなんだ?
翔のソロの間ぽっぽちゃんは正面を向いて観客を煽り続けている。
とてもパワフルだ。これが初めてのステージとは思えない。
観客はその煽りに呼応するかのように、歓声のボルテージを上げていく。
気が付いたらぽっぽちゃんが拳を突き上げて演奏は終わった。
余韻のハイハットの音が耳に残る。
観客は怒涛の様な歓声を僕達に浴びせた。いや、これはぽっぽちゃんに対する歓声だったかもしれないが、そんな事はどうでも良かった。
この場に居て一緒に演奏出来た事が全てだった。それだけで僕は満足だった。
この日、このバンドの演奏はこの一曲だけだった。
ぽっぽちゃんが登場する前の僕と翔の演奏は彼女のための前座だったな。
結局、これは全て翔のお膳立ての上に、僕がうまうまと乗せられてしまっただけかもしれないのだが、こんな心地よい達成感を味わえるのであれば何の問題もない。
しかし、翔の作曲した例の曲でぽっぽちゃんの声を聞いてみたくなった。
流石だな。ぽっぽちゃんの声を一番分かっていたのは翔だった。
――ちょっと悔しい――
僕は舞台を降りて哲也と拓哉が待つ客席に向かった。
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