第315話ヴィオラですけど

「ホンマに上手いなぁ……」

と瑞穂が感心したように声を上げた。


「だから言うたやん。この三人は凄いよって」

と冴子が呆れながら瑞穂に向かって言った。

弟の悠一絡みで彼らの実力を知っていた冴子に、瑞穂は前もってこの三人の事を聞かされていたようだ。


「うん。でも、そんな事言われたら余計に聞きたくなるやん……いやぁ。ええもん聞かせて貰えたわ」

と瑞穂は満足そうに言った。


「お前、それだけの理由で『聞きたい』って言うたんか?」

と哲也は呆れたように瑞穂に言った。


「そうや。あんたもええもん聞けたやろ? 良かったな」

と瑞穂はひとことで哲也をいなした。


「まぁ確かに……」

と言って哲也は口をつぐんだ。

これ以上は瑞穂に何を言っても一蹴されるという事に気が付いたようだ。賢明な判断だ。


 ふと冴子の隣に立っていた宏美と目が合った。


 その目は明らかに『冴子と亮ちゃんみたいやね』と笑っていた。

僕は小さく首を横に振ったが、完全に否定しきれない自分がいた。

でも、こんなに一方的に言い負かされたりはしないと思う……多分。


 冴子が僕の傍まで来て

「亮ちゃん、伴奏ご苦労様」

と声を掛けてきた。


「いえいえ」 

 と応えたが、少し焦りながら僕は元居た場所に戻ろうと立ち上がった。

すれ違いざま、冴子が小声で

「でもあんた、最後になに本気になって弾いてんねん」

と言ってきた。


 やっぱり冴子には、お見通しだったようだ。流石である。

僕は笑って誤魔化しながら

「そんな事よりも、これは悠一が仕組んだんか?」

と聞いた。


「知らん。取りあえず、家に帰ってからあいつは絞める」

とひとことだけ言った。どうやら冴子はこの件については全く関知していなかったようだ。


 冴子は不気味な笑みを浮かべていた。あれは間違いなく怒りを抑え込んでいる顔だ。何の断りも無くこういう楽しい事をされては、姉として癪なんだろう。

自宅に戻ってから悠一に降りかかる不幸を考えると、とても楽しみだ。


 しかし冴子が僕の代わりにピアノを弾いていたとしても同じ事をしたくなった思う。

それほどこの三人の演奏は伴奏者を掻き立てる何かをもっていた。

僕自身は悠一に仕組まれたとしても楽しい伴奏だった。



「はい! 三名の方、ご苦労様でした。あなた方の実力は、よぉ~く分かりました。今年の新入生は楽しみですね」

と冴子はにこやかに言ったが、その表情とは裏腹に瞳は悠一への憤りが込められているようで全く笑っていなかった。


宏美を見ると諦め顔で笑っていた。彼女も気が付いたようだ。流石に長い付き合いだ。


「さて、それでは次の経験者は……ヴィオラかな?」

と冴子が気を取り直したように明るい口調で言った。


「はい。ヴィオラです。榛名恵です」

と言って女子生徒が手を挙げた。ちょっと小柄で健康そうに陽に焼けた女の子だった。


「ヴィオラねぇ……ヴァイオリンの経験は?」

と冴子が訪ねた。至極当然でもっともな質問だ。


 榛名恵は

「はい……あります……」

と小声で答えた。


「ヴィオラにはいつ転向したの?」

と冴子は更に聞いた。


「あの……ずっとバイオリンを弾いてきました……でも、さっきの三人が器楽部に入ったのを聞いて、入部前にヴィオラにしました」

と恥ずかしそうに答えた。


「そんな事、気にしなくていいのに……今ヴァイオリン弾いてみる?」

と今度は瑞穂が呆れたように口を挟んだ。


「いえ、それは結構です……あの三人は結構有名人で、ヴァイオリンをやっていたらどっかのコンクールでは絶対見かける人たちなので……その後だけは……ご勘弁を……」

と榛名恵は上目遣いに瑞穂を見ながら言った。どうやら彼女は彼らほど自信は無いようだ。まあ、その気持ちはなんとなく分かる。


「そんな事は気にしなくていいから……じゃあ演奏はいいからヴァイオリン希望に変えようか?」

と更に瑞穂は畳みかけるように聞いた。


「いえ、ヴィオラで良いです。ヴィオラもやってみたいと思っていたので、希望が通るならヴィオラでお願いします」

と今度ははっきりとした声で言った。


「はい。じゃあ分かりました。ヴィオラ候補という事で覚えておきます」

と冴子は笑って答えた。

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