第313話 新入部員の演奏その3
間違いない。この三人は前もって相談して三つのアヴェマリアをここで弾き比べをするつもりだった。
――なんて奴らや! それにしても面白い事を考えつくもんやなぁ――
どうやら
間違いなく彼女も彼らと同じような演奏を聞かせてくれるだろうと僕たちに期待を抱かせた。
――それにしてもこんな奴らが来るなんて、来る学校を間違っていないか? ここは普通科のそれも進学校だぞ――
僕は一度軽く深呼吸をしてから前奏を弾いた。
このまま弾いたら途中で笑ってしまいそうだったので、一度気持ちをリセットした。
少しゆっくりと前奏を弾いて彼女視線を移すと、彼女が軽く視線を上に向けたのでちょっとだけテンポを早めた。
彼女は頷くとヴァイオリンを左肩に乗せた。
ゆっくりと自信に満ちたピアニシモが響いてきた。
『とても弱く』ではなく『とても優しく』て綺麗なヴァイオリンの音色が流れて来た。
とっても心地よい。砂浜にさざ波が打ち寄せるようにヴァイオリンの音が音楽室に響く。
――なんて温かい音を出すんだろう――
この曲は『カッチーニ』作曲と言われていたが、実はウラディミール・ヴァヴィロフの作品だ。
クライスラーと同じように『未発表の作品を見つけた』といって、自身が作曲した曲を『カッチーニ』の作品として発表した。
ただクライスラーと違うのはヴァヴィロフは生前にカミングアウトせずに逝ってしまったという事だ。
そんないわくつきの『アヴェマリア』だが、曲自体は世界中の多くの人に愛されている名曲である。
秋島かがりのヴァイオリンは美しくも悲しい物語を語っているかの如く、音楽室に居る部員の心に響いていた。
彼女は技術よりも音色を大切にするタイプのヴァイオリニストだと僕は直感的に思った。
丁寧な音作り。悠一とか次に弾いた中務とかとは違う音の流れと繋がり……何よりもその曲が持つ雰囲気を大切にするような音の粒だった。
『何が言いたいのか』がよく分かる演奏だった。
僕は大人しく伴奏に徹していようと思っていたが、彼女の演奏を聞いて気が変わった。いや、悠一と弾き始めた時からずっとうずうずしていた。彼らの伴奏をしている時から抑えていた感情が我慢できなくなったと言った方が正しい。
僕はピアノに存在を主張させてみたくなった。
この打ち寄せるさざ波に僕のピアノの音の粒を乗せたくなった。
寄せては返すヴァイオリンの音の波に、白砂の様なピアノの音の粒を乗せてみる。
寄せるヴァイオリンの波を受けるため、少しだけ抒情的なアクセントをつけてみた。
秋島かがりは僕の企みにすぐに気が付いたように、ヴァイオリンの音色を変えた。
波が幾重にも重なった。
――ほ。ちゃんと受け取ってくれたわ――
彼女との演奏は楽しい。琴音先輩の時のように緊張感はないが、音作りの楽しさを感じる音色だ。
彼女がこの『カッチーニのアヴェマリア』を選曲したのは正解だった。彼女にとっても似合っている。
どういう基準でこの三人はこの三曲のアヴェマリアを振り分けたかは知らないが、三人とも自分自身にに合っている『アヴェマリア』を選んだような気がしてきた。
そう。たまに粗削りなところが顔を覗かせるが、彼らは自分の音をもっているしそれをちゃんと分かっている。
彼女は静かに演奏を終えると、中務優宏と同じように僕に軽くお辞儀をしてから二人のところへ戻った。彼らは笑顔で迎えていた。やはりこの三人は旧知の仲のようだ。
音楽室は拍手で包まれた。
気が付かぬ間に彼女は、いやこの三人はここで聞いていた部員たちの気持ちをしっかりと掴んでしまっていたようだ。
試し弾きというよりはこの三人のお披露目と言った方がふさわしい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます