新入生
第306話 新入部員
放課後の音楽室。一番乗りは意外にも僕だった。
今日は新入生の入部希望者が全員集まる日だ。だから早めに来たのだが、まだ誰も来ていなかった。
――冴子も来てないんかぁ――
と音楽室には僕一人だった。
早めに来ていないとまた冴子に嫌味の一つでも言われるかも、と危惧していたのだが完全に杞憂だった。
あの新入部員勧誘の発表会の内容が功を奏したのか、思った以上に入部希望者が集まったと冴子と瑞穂が小躍りして喜んでいた。後は経験者がどれくらいいるかだな。
誰もいない音楽室で僕は時間つぶしにピアノでも弾いていようと、まずは指慣らしにハノンを軽き弾き始めた。
20番辺りまで弾いたところで楽室の扉が開いた。
入ってきたのは新一年生の男子生徒だった。新入生が来るのにはまだ時間的に早い。彼は僕の姿を見つけると笑顔を見せて近づいてきた。
「やっぱり、亮にぃのピアノやったわ……久しぶり」
と僕の隣に立って声を掛けて来た。
「やっぱりって……まだハノンしか弾いてへんぞぉ」
と僕は応えた。
「だって、亮にぃって練習始める時、毎回律義にハノンを何曲が弾くやん」
「え? ああ……そうか……よう覚えとんなぁ……」
言われてみればそうだった。あまり意識した事は無かったが、改めて言われると自覚する。
いつも適当に二~三曲程度のつもりで弾き始めるのだが、いざ弾き始めると案外弾いてしまう。たまに何か微妙にタッチの感覚が違ったりすると納得するまで弾き続けたりすることもあるが……。
「だから、いつものアレか! と思ってたんやけど、当たりやったな」
と彼は満足そうに笑った。
「ふん。なんでもええけど、お前、私学に行くんとちゃうんかったんかぁ? もしかして落ちたんか?」
僕は彼を横目で見上げながら聞いた。
「落ちてへんわ。そもそもここしか受験してへんし」
「え? そうなん?」
意外な返事だった。思わず聞き返してしまった。
「そうやで……まあ、最初はそのつもりやってんけど、こっちの方が面白そうやったから……それに家からも近いし、姉ちゃんもおるし……」
と、全く気にする素振りも無く彼は答えた。
「姉ちゃんって……お前もしかして器楽部に入るつもりか?」
「うん。この学校に行く一番の目的がこの器楽部やってんから入部せんでどうする。そうでないと今ここに立ってへんわ」
と当たり前のように言った。まさに彼にとっては愚問だったようだ。
「で、冴子はお前が入部するのは知っとんか?」
「うん。知っとう……と言うか、『うちの学校に来るんやったら絶対に器楽部入れ』って姉ちゃんも言うとったし」
そう言うと冴子の二つ違いの弟悠一は胸を張った。
「確かにお前がうちの部活に入ると冴子も助かるな」
と僕も納得した。
彼の事はよく知っている。幼い頃から冴子の後に金魚の糞のようについてきては僕達ともよく遊んだ。
ピアノもヴァイオリンも僕達と同じ先生に習っていたし学校でも一緒だったが、僕が高校に進学してからはあまり関わり合いを持つ機会は少なくなった。たまに連絡を取り合う程度の付き合いとなっていた。
そんな彼だが僕と違ってヴァイオリンの腕前は、小学生時代からコンクールで何度か金賞や入選を果たす程だった。冴子が誘うだけの経験と実力は持っていた。
ただでさえ経験者の少ない器楽部だ。即戦力となる経験者は一人でも多い方が良い。
「器楽部目当てねえ……オトンには何も言われんかったんかぁ?」
と僕は聞いた。
彼は毎年の東大合格者数で有名な私学に進学すると言っていたはずなので、悠一の話を聞いて『こんな進路変更をよく許して貰えたな』と素朴な疑問を感じていた。
「うん。別に。オトンも『俺の後輩かぁ』としか言わんかったし、別にどこでも良かったみたい」
と本人はあっさりとしたものだった。
「将来のスズハラコンツェルンの総帥が帝王学を学ばずに、こんなところでヴァイオリンにうつつを抜かしといてええんかぁ?」
と僕は笑いながら悠一に聞いた。
「うん。ええねん。それはもっと先の話やし……でもそんなん言うんやったら亮にぃのところはどうなん?」
と反対に真顔で聞き返してきた。
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