第294話 美乃梨の頼み
「え? そうなん?」
と僕はオヤジに聞き返した。
「そりゃそうやろう? 器楽部の内輪だけで少人数で勝手に組んでいるだけやったら要らんやろうけど人も増えたし、吹部とかとオケを組んだりしとるんやろ?」
とオヤジは言ったが、それはもっともな意見だ。僕もうすうすそれは感じていた。
なので
「うん。そうやなぁ」
と僕も頷くしかなかった。
「それを支える縁の下の力持ちみたいな人間がおらなアカンやろう? いつまでも部員が分担して持ち回りでやる訳にはいかんやろうな……いつかは回らんようになるんとちゃうか?」
「そう言われてみればそうかも……」
オヤジの言は正論だった。器楽部と吹奏楽部の二つの部の調整役だけでもマネージャーの存在は必要に思えた。
実際に演奏会やらクリスマスコンサート、今回のさよならコンサートにしてもバタバタと最後まで部員たちが右往左往して運営していた。もう少しちゃんと仕切れる人間がいたら、多少の余裕もあっただろうにと思うところが幾度となくあったのも事実だった。
「まあ、美乃梨にとってもええ経験やと思うな……特に今年はね……」
とオヤジはそう言うと、そのまま安藤さんと別の会話を始めた。
――今年って何かあったけ?――
とオヤジの最後のひとことが気になったが
「そうかなぁ……でも、こういうのって私嫌いじゃないから楽しみ」
と美乃梨のひとことと屈託のない笑顔でそれ以上気に留める事も無かった。
美乃梨のこの表情を見る限り、案外美乃梨は乗り気なのかもしれない。本人が嫌がっていない以上、僕が美乃梨が決めた事をとやかく言う筋合いはない。それに美乃梨がマネージャーとして入部してくれることは、部員全員のメリットでもある様に思えた。
僕がそんな事を考えていたら美乃梨が
「あとね、亮ちゃん、たまにで良いからピアノ教えてね」
と頼んできた。
「え? またピアノを始めんの?」
僕は美乃梨の意外な願いに驚いた。と同時に脳裏に夏休みに田舎で美乃梨が零したセリフを思い出した。
そう、オヤジが美乃梨のリクエストに応えてピアノを弾いた後の情景と、その時に美乃梨が洩らした『私ももう一度ピアノを弾こうかなぁ……』というひとことを思い出した。
――そう言えば、あの時もそんな事を言っとったなぁ……――
「うん。だっておじいちゃんの家のピアノをこの頃ちょこっと弾かせてもらってんねんけど、なんか下手くそになってんねん」
「そりゃ、弾いてなかったら腕は落ちるわな」
「でしょう? だからお願い」
美乃梨は顔の前で手を合わせて僕に頼んできた。
「ああ、気が向いたらな」
「気が向かなくてもお願いね。でないと部活で亮ちゃんの面倒だけは見ない事にする」
「はいはい。教えますよ。教えりゃ良いんでしょ」
僕は不毛な会話になる前に頷くことにした。どうせ口では美乃梨には勝てる気がしない。
美乃梨は
「そうそう。いつもそう素直にしてたら女の子にモテるようになるわ」
と何故か上から目線で僕に言った。
「ふん。モテなくてもええわ」
「そうやねえ……今ここにおる時点で亮ちゃんはもう終わってるよなあ……」
と訳の分からん事を意味ありげに美乃梨は笑いながら言ったが、その時その言葉とは全く別なちょっと気になる情景が浮かんだ。
「なあ、美乃梨……」
「なんなん?」
「お前、爺ちゃん家(ち)のピアノを弾いたって言うたよなぁ?」
「うん……言うたけど……」
美乃梨の表情が少し強張ったような気がした。
「だったら、何か感じたんとちゃうか?」
「何かって?」
明らかに動揺している。美乃梨の表情を見て僕は確信した。
「何が見えた?」
「……」
「お前も見えたんやな」
美乃梨も僕と同じように昨年お嬢に会っている。色々なものが視えるようになっていても不思議ではない。というかお嬢に会って話をしたらそうならざるを得ない。
美乃梨はどう応えようか迷っていたようだが、観念したように頷いた。
そして
「亮ちゃんも弾いたんや……」
と呟くように聞いてきた。
「ああ、弾いた」
爺ちゃんにこの店で出会ってから『祖母ちゃんにも顔を見せろ』と言われて何度か爺ちゃんの家に行った。その時に爺ちゃんの家のリビングに置いてあったピアノを、何気なく弾いた事があった。
そのピアノはオヤジが小さい頃から弾いていたピアノだった。
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