第266話 緊張感の無い三人

 冴子は梨香子の表情を横目で見ながら

「それは亮平に聞いても分からんなぁ……」

と言うと

「あんたなんかTVゲームの代わりにピアノ弾いていただけやもんねぇ。それに一位になって自惚れて図に乗ってるもんね」

と、僕の顔を覗き込むように言った。


「うるさいな。そんなものに乗るか。そもそもピアノからヴァイオリンに転向する奴にそんな事を言われたくないわ」

と僕が反論するとそれを聞いた梨香子は

「え?」

と驚いたような表情で僕達を見た。


「うん? どうしたん?」

と僕は聞いた。


「冴ちゃんピアノを辞めるの?」

と梨香子は目を見開いて僕ではなく冴子に聞いた。


「辞める訳ではないねん。ピアノはピアノで続けるけど、軸足はヴァイオリンにしようと思ってんねん。だから今年はヴァイオリンでコンクールに挑戦するつもり」

と冴子は梨香子に事も無げに説明した。


「え~!! 何故? あそこまで弾けるのにヴァイオリン?」

驚いたように梨香子は言った。この話は初めて聞くようだ。


「そう思うやろ? こいつおかしいねん」

と僕が言うと

「うるさい! あんたが言うな。うちがピアノを弾くよりも、あんたに伴奏させてヴァイオリン弾く方が気持ちがええんや」

と冴子は胸を張って鼻を鳴らせて言った。


「アホか。誰が伴奏なんかするか!」

と僕は言ったが冴子の耳には全く届いていない様に無視された。


「亮ちゃんが『お願いします。一緒に弾かせてください』って言うぐらいのヴァイオリニストになるから心配せんでもええ」


「誰が心配するか! 第一、動機が不純やな」


「ほっといて。あんたには関係ない」

冴子はどこまで行っても冴子だった。こいつは僕の事を召使か何かと勘違いしているような気がする。


「いや、あるやろ! 今の話の流れやったら間違いなく……途中で話題から置き去りにすんな!」


「ねえ、ねえ……藤崎君はなんでピアノを弾くの? やっぱり冴ちゃんの伴奏をするため?」

梨香子が真面目な顔で聞いてきた。

もしかして梨香子もド天然か? 


――どこをどう聞いたら唐突にそう言う質問ができるんだ?――


「ちゃうちゃう!! そんな事のためにピアノを弾いたりなんか絶対にせえへんわ。ただ単に俺はピアノを弾くのが好きなだけや。マジで冴子の話を受け取らんといて!」

勿論、僕は全力で否定した。


「え? それだけ?」

梨香子は驚いたように聞き返した。


「それだけって?」


「ピアノを弾くのが好きなだけでピアニストになるって……」


「え? そうやけど……なんで?」

逆に僕が梨香子に聞き返した。

何かおかしなことでも僕は言ったのだろうか? と少し心配になった。


「亮ちゃんはホンマにそれだけやもんなぁ……」

と冴子が横から口を挟んだ。


「うるさいなぁ……でもなぁ……ホンマにそれだけやなぁ……」

そう言いながら反論しようと考えてみたが、なにも思いつかずに納得してしまった。情けないが冴子の言う通りだった。


「好きやからだけでピアニストなったらあかんのかぁ?」

と居直って梨香子にまた聞き返してみた。


「いや、そういう訳ではないけど……そんな簡単に決めても良いのかなとか思って……」

僕がピアノを弾く理由は、梨香子には全く理解できない事なんだろう。


 もしかして梨香子には僕は何も考えずに将来を決めてしまった単細胞に見えているのではないだろうか?と少し心配になった。

もう少し色々考えて、この道を進むことに決めたという風に見せるべきだったかもしれない。馬鹿正直すぎたのかもしれない。


 これからはそうしようと、心に決めたが僕は敢えて

「ええんとちゃう? まあ、どういうんかなぁ……もう少し付け足すと『自分だけの音を表現したい』って言うのはあるかなぁ……」

と言ってみた……で、言ってみたものの、その『自分の表現したい音』が何なのかはまだ漠然としていて分かっていなかった。


 ただ、分かってはいなかったが、『自分の表現したい音を弾き切りたい』という気持ちだけは、はっきりとしていた。それは自分の本心とは一ミリもずれていなかった。

そもそもその自分の音を見つける事自体も楽しみだったりしていた。


「そうなんだぁ」

そう言いながら梨香子は何か考え込むように黙った。

彼女なりに何か感じる事があったのかもしれない。



 楽屋でそんな話をするほど僕達は全く緊張感を感じていなかった。待ち時間をどうでも良い話で盛り上がっていた。

その流れのままいつものように僕はステージに上がった。多分二人ともそれほど緊張感は感じていなかったと思う。どちらかと言えば僕たちはガラコンサートを楽しんでいた。

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