第239話後輩との会話


「失礼します! 皆さん、そろそろ準備は良いですか?」

と、亜紀は声を張り上げて聞いた。僕は彼女の声を初めて聞いたが、可愛い顔に似合わず見事に個性的なハスキーヴォイスだった。

この声で部屋の中の喧噪は一瞬で鳴りやんだ。


 ヴァイオリンの谷川大二郎が

「あれ? お前も出るんやったっけ?」

と、意外そうな顔で彼女に聞いた。


「いえ、私たち秋入部組は本当にメイドだけで来ました。『部費稼ぎにアルバイトしろ』って美奈子先生に言われましたから」

亜紀はメイド服のスカートのすそを両手でひらひらとさせながら笑って答えた。


「え? もしかして器楽部全員来てんの?」


「はい。吹部の一年メンバーも来てますよ」

 部屋に

「ほぉ」

というため息とも歓声ともつかない声が漏れた。

どうやら上級生もほとんどがこの事実を知らなかったようだ。


「先輩方も出番が終わったらお手伝いよろしくお願いします」

亜紀はにこやかに笑いながら部屋を後にした。


「まじか!?」

と、この部屋にいたその諸先輩方達は一同絶句。


 しかし、彼女の言葉を聞いて、何故僕達がこの服装なのかがやっと理解できた。

演奏しない部員、あるいは自分たちの出番が終わった部員は、この会場でのホール係として働かされるようだ。それでこの姿ならとっても理にかなっていると言える。彩音先輩はそれも考えてこの格好を選んだのか? うちの三年生は侮れないのかもしれない。


 

「よし、それじゃあ。そろそろ行こうか」

と、苦笑いしながら部員たちに声を掛けたのは、執事姿が違和感なく似合っていた千龍さんだった。その落ち着き払った執事姿は高校生とは思えない貫録を醸し出していた。


「はい」

 全員が返事をして立ち上がった。


 部屋を出て行く前に千龍さんが僕の肩を軽く手を置いて

「一発目、頼むで」

と言った。その後ハイタッチして出て行くと、他の部員も同じように僕とハイタッチをしてから部屋から出て行った。


――これは何かのゲン担ぎか?――


と思う程、皆当たり前のよう手の平を叩いていく。


 冴子・宏美・瑞穂・拓哉に哲也。そして彩音先輩……。

石橋さんにはスリーパーホールドで首まで絞められた。

「一発目! 気合入れていけよ」

と……いや、そんな曲ではないんだけど……僕は心の中で反論した。


 そして部屋には僕一人がポツンと取り残されていた。


 少し赤くなった手の平をさすっていると、また船越亜紀が部屋に入ってきた。

「そろそろです。お願いします」


どうやら準備は整ったようだ。


「うん」

僕は立ち上がって彼女の後をついて部屋を出て行った。


 僕が部屋の扉を閉めると

「先輩」

と、急に彼女は振り向き僕に声を掛けた。

「なに?」


「私、実は先輩のピアノが大好きなんです。本当に昼休みに聞こえるあのピアノを楽しみにしているんです」

目を見開いて彼女はそう言った。


「ええ? そうなん? それはおおきに」

僕は少し焦りながらお礼を口にしたが、唐突に女子生徒に告白されたような気分になっていた。案外悪い気はしない。


「はい。本当に先輩のピアノの音が大好きなんです」

そう言うと亜紀はまた歩き出した。


――もしかして僕は憧れの先輩に昇格していたのか?――


等と演奏前にくだらない妄想を膨らませながら僕はその後をついて行った。


 でもそんな不埒な事を考えている素振りは微塵も見せずに

「そうなんやぁ。それにしても、そんなによく聞こえてんの?」

と、亜紀の背中越しに聞き返した。


「ええ、中庭にいるとよく聞こえますよ」


「そっかぁ……うちの校舎古いからなぁ」


「あの……今度、音楽室に聞きに行っても良いですか?」

突然、彼女は立ち止まって聞いてきた。


「別にかまわへんよ」

ゴシックロリータのメイド服姿の女子高生に真剣な眼差しで見つめられるとちょっとドキドキする。視線が眩しい。……って僕も同じ高校生だけど。


「やったぁ。じゃあ、行きます」


 彼女は嬉しそうに答えるとまた歩き出した。

僕はその後姿を見ながら『憧れの先輩をちゃんと演じきれるかなぁ』なんて事をぼーと考えていた。

と言うかそもそも憧れの先輩になっているのかも分かっていないのに。


 大広間からのこぼれ聞こえていたチューニングの音が止んだ。

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