第240話 ステージへ
それに代わって聞こえてきたのは美奈子先生の声だった。
「皆さん、本日は我が北野坂高校室内管弦楽団をお招きいただき、本当にありがとうございます。私、器楽部の顧問長沼美奈子と申します。本日の指揮は吹奏楽部の顧問の谷端敬三でございます。この楽団は器楽部を中心に吹奏楽部の有志が集まり……」
いつもの先生の声より高い声だった。だからと言って上ずっている訳でもなく、どちらかと言えば立て板に水の如く澱む事のない慣れた営業トークのように聞こえた。
僕は大広間の扉の前で船越亜紀と先生の語りを聞いていた。
どうやら今日のMCは美奈子先生らしい。メイド服姿の先生が目に浮かんだ。その可能性は高いんではないか? 何故か期待に胸が膨らむ。谷端先生はそれに対抗して黒服なんだろうか? そのまんま普通に本物の執事と間違えられそうだ。
そんな事を考えていたら思わず口元が緩んでしまった。
「先輩。余裕ですね」
それに船越亜紀は気が付いたようだ。
「なにが?」
「ここで笑えるなんて凄いです。緊張しませんか?」
「あぁ……」
僕は今から自分が演奏するという事を忘れてしまっていた。
彼女に指摘されて気が付いたというか思い出した。
「流石ですねえ……ってコンクールはもっと緊張しますよね。それに比べれば大したことはありませんか……」
と亜紀は自分のセリフに納得したように何度も頷いていた。
「まあ、コンクールと比べたらね」
と僕は答えたが、言われてみれば彼女の言う通りだったかもしれない。
確かにコンクールでの冴子に与えられた重圧に比べれば、こんなものはなんでもなかった。そもそも今日の演奏では僕が緊張する要素など全く感じなかったしその必要も無かった。何かの余興かかくし芸でもするような気楽な感覚だった。これこそ『散歩のついでに演奏する』ようなものだった。どちらかと言えばウキウキと心が躍っていたかもしれない。
「じゃ、行ってらっしゃい。 先輩の黒服姿似合ってますよ」
という船越亜紀のセリフに僕は舞台に送り出された。先生の語りは思った以上に早く終わった。
「そう? ありがとう」
そう言うと僕は大広間の奥扉を開けて中に入った。
すぐそこにグランドピアノが見える。
その後ろにオーケストラに扮した執事とメイドが座っていた。いや逆だった。黒服執事姿とゴスロリメイド服姿の室内管弦楽団だった。
――なんで俺だけが一番最後で入場なんだ?――
と今更だがそんな疑問がふつふつと浮かんできた。
全員と一緒に入っても良かったんじゃないのか? せめて指揮者と一緒に入場したかった。一人だけ目立って仕方ない。この演出を考えたのは美奈子先生だったはず。
――単なる嫌がらせか?――
そんな事を考えながら僕はピアノに向かって歩いた。会場からは拍手と口笛が鳴った。観客はほとんどが外国の人だ。反応がとっても陽気でストレートだ。どうやら僕のコンクールでの結果を知っている人がいるようだ。
僕は観客に一礼するとピアノ椅子に座った。
思った以上に人が多い。パーティーはまだ始まっていないのか、誰も料理に手を付けていないようだった。
ほとんどの人がこのオーケストラの演奏が始まるのを待ってくれているようだ。
今日は立食パーティーで、食事はオーケストラの演奏が終わってからなのだろう。
そんな事を大広間に入って来る時に会場を軽く見渡して僕は考えていた。
ピアノの前でミニスカのサンタクロースの恰好をした美奈子先生が
「彼は先日の全国ピアノコンクールで一位という成績を収めております。また。二年前の他の全国コンクールでも優勝しております。まず今宵のパーティーでの演奏はその彼のピアノの調べから始まります」
と、言うと大広間の灯りがすぅと弱まり薄暗くなった。そしてピアノにスポットライトが当たった。
――先生はメイド姿ではなかった――
僕の予想は外れたが、期待を良い方に裏切ってくれていた。しかし高校教師があんな恰好をして良いのだろうか? 僕は少し先生の将来が心配になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます