第238話控室の風景


 哲也が振り向くとメイド服を着て胸をそらした冴子がいた。その後ろに宏美と瑞穂が笑って立っていた。

「なんか偉そうなメイドやな」

拓哉も笑いながら言った。


確かに偉そうだった。彼女はどんな格好をしてもタカビーでお嬢様だった。


  拓哉の笑いも言葉もまるで無かったかったかのように、冴子はつかつかと僕の前まで来ると

「亮平! あんた一発目やろ? 準備はええん?」

と当たり前のように上から目線で聞いてきた。



「うん? ああ、大丈夫や」


「ああ、そうやった。あんたはそういう奴やったわ。聞いた私がバカだったわ」

と呆れかえったような表情で、コンクールの時に控室で言われたような事をまた言われた。


 僕は、いちいちまともに返事をするのも面倒だったので

「そうかぁ?」

と、軽く流してとぼけたが、これが彼女なりの気遣いである事はこの頃なんとなく分かるようになっていた。

表現方法に問題はあるとは思うが、長年の付き合いでそれには慣れてしまったようだ。


 冴子が言ったように、このパーティーでの演奏会は僕のピアノ演奏から始まる。

それは会場の雰囲気をコンサートへと導くきっかけでもあるし、まだ演奏に慣れていない一年生を落ち着かせるためでもあるらしいのが、美奈子先生には『藤崎君の演奏がある意味ここでは一番の目玉だから、敢えて最初に持ってきたのよ』とも言われていた。普通ならトリは最後でないかい?


 確かにあのコンクールの結果は少しぐらい興味を引きそうだとは思うが、今回のパーティーの参加者にそれを意識して聞いてくれる人がそんなにいるとは思えなかった。国際レベルのコンクールであれば別なんだろうけど……。


 そう思いながらも、僕のピアノの音でパーティ参加者の興味を一気に僕達の演奏に引っ張る事が出来たら僕も嬉しいし、密かにそこに少しだけ闘志を種火の様に燃やしていた。


 僕のピアノの後はオーケストラとして三曲ほど演奏することになっていた。その後は各々部員がグループを組んだりして演奏する段取りになっていた。

 どちらかと言えばオケよりもそちらの方が興味があると美奈子先生は言っていたが、器楽部の顧問としてそのセリフは如何なものかと思わなくもない。でもその気持ちはよく分かる。僕も瑞穂や彩音先輩の演奏は楽しみにしていた。


 ついでに言うと本当はオケでピアノ協奏曲を一曲やりたかったらしいのだが、流石に練習時間が足りなくこれは断念したと美奈子先生から聞いた。もしかしてラフマニノフでもやるつもりだったのだろうか? それはそれでちょっと気になる。


 冴子にはああ言ったが、全く緊張していなかったかというとそれは嘘になる。ただ自分自身では、緊張しているとは言えないレベルだった。だからと言って冴子になじられる程の事ではないと思う……と考えてしまったら、やはり少し腹が立ってきた。長年の付き合いでも越えられない何かは存在するのかもしれない。


 オーケストラでの演奏曲は先生が決めたが、各々のグループでの演奏は基本的には生徒任せだった。だから僕も自分達の演奏以外は誰が何を弾くのかはほとんど知らなかった。


 勿論今回の演奏会には顧問の二人の先生も参加する。OB会の重鎮からの要請なので、建前上は部活動の一環という事になっている。しかし、まさかとは思うがこの二人も黒服やメイド服だったりするのだろうか? まだ見ぬ先生たちが少し気になっていた。


 控室はいつもの演奏会とは違った雰囲気の中、着替えが済んだメンバーが各々が自由に楽器のチューニングなどをしていてざわついていた。


そこに一年生の船越亜紀が部屋に入ってきた。もちろん彼女もメイド姿だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る