第222話 彩音さんの頼み
翌日から僕もヴァイオリンのパート練習にも参加することになった。
第一ヴァイオリンだけで集まるのかと思っていたら、ヴァイオリンは第二も一緒で、練習場所は三年生の教室を使う事になっていた。
「藤崎君!」
教室に入るなり僕は彩音先輩に弓で手招きをされて呼ばれた。彩音先輩に名前を呼ばれると何故か無条件で嬉しい。できれば下の名前で呼んで欲しい……なんて事は口が裂けても言えない。
「はい。なんすか?」
と彩音先輩の元へ足取り軽く近寄ると
「今日から恵子ちゃんの面倒見てもらえるかな?」
と隣に座っている水岩恵子に目をやりながら言われた。
「え? 僕がですかぁ?」
僕はそう応えながら水岩恵子を見た。彼女は上目遣いに僕を見ていた。
思った以上に瞳が大きい。
「うん、そう」
彩音先輩は笑顔で言った。
「僕で良いんですか?」
と、僕は視線を彩音さんに戻して聞き直した。確かにヴァイオリンは一通り弾けてはいるが、ピアノと違って人に教える自信はない。
「全然。大丈夫よ。藤崎君があんなに弾けるなんてホンマに驚いたわ。中学校で辞めたって聞いとったから、もう全然弾いていないのかと思っとたわ。ピアノ並みに巧くない? 流石、全国一位!」
と本当に驚いたように彩音先輩は僕の顔をまじまじと見て言った。
どうやら昨日の練習時の僕のバイオリンは彩音さんを納得させるだけの音色を奏でていたようだ。
「それはないです! そもそも全国はピアノです。ヴァイオリンでは無いです」
謙遜ではなく本気で僕は否定した。彩音さん褒められたのは嬉しいが、流石にそこまで自惚れてはいない。
「そっかなぁ……でも、あれだけ弾けたら充分やわ。お願いできるかな?」
とまっすぐ僕の目を見て言った。
「はぁ。わかりました。僕で良ければ……」
笑顔の彩音さんに頼まれて断れる後輩が居るだろうか? 気が付いたら僕は即答していた。
「よろしくお願いします」
と水岩恵子が立ち上がって頭を下げた。
ヘアゴムで後ろに纏められた長い髪が揺れていた。
「シェフチークの練習曲はやってたよね」
と僕は水岩恵子に確認した。
「はい。毎日1-1の11番やってます」
「右腕の基礎を叩きこまれている訳ね」
「はい」
と水岩恵子は笑った。
どうやら彼女たち一年生は優秀な先輩たちに毎日ちゃんと教えてもらえているようだった。
そしてそろそろその進捗具合に個人差が出る頃だった。
彼女は彩音先輩から見ても成長が早かったのだろう。なので全体の練習以外にも個別で教えたかったたようだ。その役が僕に回ってきたという事だと合点した。
「吹部との合奏曲を重点的に教えれば良いんですよね」
と今度は彩音先輩に確認した。
「そうそう。後はよろしくね。これで新人に集中して見る事ができるわ」
と彩音さんは満足そうね笑顔を浮かべて言った。
「新人?」
「あれぇ? 藤崎君は知らんかったんかぁ……コンクールの結果が校内で発表されてから、入部希望者が結構来たのよ」
「え? ホンマですか?……ってそれって昨日の今日みたいな話ですよねぇ?」
「そうそう。そうなん……という事で後はよろしくね」
そう言うと彩音先輩は入ったばかりの一年生の面倒を見に行った。
その後姿を見送ってから僕は
「結構ってそんなに来たんかぁ?」
と水岩恵子に聞いた。
「はい。今日だけでなく、全国に五人が出場が決まってから見学者が増えてましたよ。私が知っているだけでも三人は入部してましたもん」
「へぇ……凄いなぁ……流石、彩音さんやなぁ」
僕が気付かずにいただけで二学期に入ってから何人か入部希望者が来ていたようだ。
全く部活の状況が見えていなかった。
案外、僕自身も思った以上にわき目もふらずにコンクールの練習に没頭していたのかもしれないと思い直してしまった。
「いやいや、藤崎先輩も凄いですよ」
と水岩恵子は笑いながら首を振った。
「そう? まあ、ピアノはね、あんまり関係ないじゃないかなぁ。器楽部としては……」
と僕が言うと
「いや、全国で一位は凄いですって。二位は鈴原先輩だし皆さん話題になってますよ。それに彩音先輩だけでなく結城さんも立花先輩も……」
と説明してくれた。
「へぇ、そうなんや。あんまり気にしてなかったから分からんかったわ」
と言われてみれば凄いかもと思い直してしまった。
「先輩ってそういうところあんまり興味ないみたいですね」
と水岩恵子は不思議そうな顔で僕の顔を見た。
彼女の言う通り自分の事はどうでも良かった。はっきり言ってコンクールの結果はもう興味も関心もなかった。
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