第221話 いざこざ
吹奏楽部メンバーのやり取りが終わった後、この日の練習はこの全体練習だけで終わった。
そして昨日までの音との違いとこれからの大まかな方針を全員で確認した後は、パートごとに音作りをどうするか考えると言う宿題を与えられて練習は終わった。
昨日まで参加していなかった僕達コンクールメンバーには全く実感できなかったが、あまりにも昨日までと今日の音では違いがあり過ぎたようで、『今日の落としどころはこの辺り』みたいなちょっと物足りない感じで練習は終わった。
これからの方針は二人の顧問が相談して決めるという事になった。
「宏美さあ、昨日までの音ってそんなに酷かったん?」
僕はヴァイオリンを片付けながら宏美に聞いた」
「う~ん、そうやねぇ……酷いというほどではなかったけど、今日とは全く別の音やったね」
と宏美はヴァイオリンの手入れをしながら小声で答えてくれた。
「そっかぁ……」
この場でこれ以上聞くのも気が引けたので、続きは家に帰ってから改めて聞こうと思った。
――吹部の奴ら、なんか打つひしがれていたなぁ――
「それよりも久しぶりのヴァイオリンはどう?」
と宏美は僕の気持ちを察したように話題を変えて聞いてきた。
「こんなに弾くのは久しぶりやったから腕の高さを維持すんのしんどかったわぁ。やっぱり体がなまっているのかもしれんなぁ」
と僕は左肩を回しながら言った。
「そう? そんなこと無かったよ。ちゃんと音も出ていたし……」
「いやいや……結構厳し……」
そう僕が言いかけた時、宏美の瞳が不安げな色を見せて音楽室の一か所を凝視して止まった。それに気が付いた僕がその視線をたどって振り向くと、そこには吹奏楽部員に呼び止められた拓哉が居た。
呼び止めたのは二年生トロンボーンの北田建人だった。表情が明らかに険しい。
彼は
「だからぁ、なんでお前がここにおんねん? って聞いとるんや」
と拓哉に詰め寄っていた。
「器楽部に入ったからや。見て分からんのか?」
拓哉は面倒臭そうに応えた。拓哉のこんな不愛想な表情を見るのは初めてだった。
「お前、市民オーケストラに行くって言うとったんとちゃうんかえ?」
「ああ、行っとったで」
「ほな、そのままそこにおったらええやんけ。なんでここにおんねん」
「どこに行こうと、俺の勝手やろうが」
不穏な空気が二人の間に漂った。拓哉は明らかにイラついていた。
哲也も気が付いて、二人の間に割って入った。僕も席を立ってその後に続いた。
「ちょと待ってや。お前、もしかして拓哉に喧嘩売ってんのか?」
と哲也が北田の肩を押して言った。
音楽室が少しざわめいた。
「別にそうやない」
北田は感情を押し殺したような声で言った。
「あぁ? 今のはどう見ても、そうにしか見えへんど」
と哲也は更に詰め寄った。
――よく言った。俺もそう思う――
哲也は案外正義感が強い。それに友達思いなところがある。
それを無視するかのように北田は拓哉に言った。
「お前が吹部辞めてから新しく一年が入ってくるまでコンバスは
拓哉は黙ったままだった。
「お前がこの部を辞めたんはしゃあない。ぬるい部活やしな……けどなぁ……」
と北田が更に話を続けようとしたその時に
「ケント! もうええやろ」
と彼を制するように声がした。
「栄……」
拓哉が呟いた。北田建人の後ろに宮田栄が立っていた。
「悪かったな。拓哉」
と言うと北田の肩に手を置いて彼を庇うように僕らの前に立った。
「今日の演奏を聞いて吹部の奴らはちょっとショックやねん。拓哉なら分かるやろ」
拓哉は黙ったまま宮田の顔を見つめていた。
宮田は拓哉から視線を外して振り向くと
「でさぁ、ケント。お前もしょうもない話をすんな」
と今度は北田に向かって言った。
「分かっとる……けど……」
まだ何か言いたそうに北田は応えた。
宮田はそれを意に介する様子も見せずに
「ほな、もうええな。行くど……ホンマに悪かったな拓哉。こいつの言うた事は気にせんといてくれな」
そう言うと二人は僕たちに背を向けて音楽室から出て行った。
哲也もまだ何か言いたそうな顔をしていたが、僕が首を振るっと黙って見送った。
その後姿を見ながら僕は
「そうやな。俺らも戻ろか」
と哲也と拓哉に声を掛けた。
「ああ……」
哲也が僕の顔を見て頷いたが拓哉はまだ二人の後姿を見つめていた。
「たっくん……」
「あ、ごめん。戻ろか」
拓哉はそう言うとコントラバスを抱えて引き寄せた。
このもめごとはこれ以上大きなことにはならずに終わった。ただ僕にも哲也にも北田が何を拓哉に言いたかったのか詳しい事は分からなかった。
拓哉がこの件に関して何も語らないので、僕達もこれ以上は聞かなかった。
ただ哲也は
「なぁ、あいつの名前のケントって本名か?」
と、どうでも良いような事を聞いていた。実は僕も少し気になっていた。
拓哉は軽く笑いながら答えた。
「ああ、あれな。建人と書いてホンマは『たてと』と読むんやけど、誰もそんな風に読まんと『ケント』って呼んでんねん」
とどうでも良さげに教えてくれた。
「なぁるほどぉ」
と僕と哲也は声を合わせて納得したが、本当にどうでも良い話だった。
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