第220話 吹部の意地
「ほぉ? 悔しいですか?」
谷端先生はそう応えながら、彼女に話を続けるようにと手のひらを向けた。
「今、副部長が言った通りだと私も思うからです」
彼女は立ち上がり芦名裕子と同じようにはっきりと言った。
「それは吹奏楽部が器楽部に技術的に負て悔しいという事ですか?」
と谷端先生は更に確認するように聞き直した。
「そうです。それに……今年の大会は市の地区予選でダメ金でした。私が入部してから一度も県まで行った事が無いです。仲良くみんなで演奏するのも楽しかったけど、上に行けなかった悔しさも味わいました。私は今回のこのオーケストラに参加を決めたのは違う環境で演奏できるかもしれないと思ったからです。勿論、弦と一緒に合奏できるのは楽しみでした。しかし、今日、器楽部のコンクールメンバーが復帰したらこんなにも音が違うのかとショックを受けました。全国に行く人間はこんなにも音が違うのかと思い知らされました。今まで私は何をしていたんだとさえ思いました」
幾人かの吹奏楽部員は彼女の話を聞いて頷いていた。同じような感想を抱いた部員が多かったようだ。
「飯田さん……確かに今年の吹奏楽部は頑張っていました。県大会まではあと一歩でした。本当に惜しかった。この悔しさは来年取り返しましょう……それはおいておいて、吹奏楽部の皆さんに聞きます。今回の合同演奏はクリスマスとニューイヤー演奏会に向けての練習です。分かっていますね? コンクールでも何でもないですよ」
谷端先生はここで一度言葉を切った。
吹奏楽部のメンバーは先生が何を言わんとしているのか分かっているようだった。器楽部員は事の成り行きを黙って見るしかなかった。
先生は軽く息を吸うと話を続けた。
「では、はっきり言いましょう。確かに今日の音だけを聞くと明らかに管の音は単調でばらけてました。弦は本当に弦らしい安心して聞ける音を奏でてました。何よりも弦の圧倒的な表現力。吹部の皆さんは『これは単なる練習曲だ』程度に思っていたんじゃないですか? そもそも演奏する姿勢から違います。そして何よりも驚いたのは器楽部の半分は半年前まで初心者だったという事です。この表現力はコンクールメンバーが戻ってきたからだというのもありますが、それにちゃんと合わせられた一年生が素晴らしいと僕は思いました。自分の役割をちゃんと意識して弾いていました。まず吹部の皆さんは、もう一度自分たちの演奏を見直すところからはじめなければならないでしょう」
そう言うと先生は部員たちを見渡してから話を続けた。
「でもここにいる吹部の皆さんは自ら望んで参加した人たちで、それなりの技術がある人を僕は選びました。僕自身はまだまだ間に合うと思っています」
今回の合同メンバーは器楽部はほぼ全員参加だが、吹奏楽部は参加希望者の中からそれなりに技術を持ったものが選ばれている。決して下手ではないが全国大会レベルではなかった。
それに比べて器楽部のメンバーは一年生以外は全員経験者だ。それなりの音は出せるし、ヴァイオリンのメンバーは全国クラスが何人かいる。冴子のヴァイオリンにしても相当なものだ。チェロにしても全国三位だ。考えてみればそうそうたるメンバーが揃っていたんだと改めて認識した。
昨日までは第一ヴァイオリンのメンバーは宏美と東雲小百合しかいなかった。だから千龍さんが臨時で第一ヴァイオリンのパートを弾いていたりしてたそうだ。そりゃあ音の厚みも薄かったことだろう。多分一年生もいつもの音には程遠いと思った居たのではないか?
で、今日は全国クラスが戻って来ての弦楽器だ。千龍さんもヴィオラに戻っている。もうこの時点で比べる事自体が間違っているとも言える。
『気持ちよく弾けたらそれで良い』と言うスタンスでやってきた吹奏楽部の連中とは根本的に取り組む姿勢から違う。差が出ても当然だ。ちなみに僕のヴァイオリンは『気持ちよく弾けたら良い』レベルよりは少しはマシだと思うが……。
「先生、良いですか?」
手を挙げたのは前吹奏楽部部長の富山さんだった。
「どうぞ」
先生の声に促されて富山さんはトランペットを椅子に置いて立ち上がった。そしてここにいるメンバーの顔を見渡してから
「器楽部の人も知っていると思うけど、今年の吹部は……と言うかここ数年の吹部は『楽しい部活』やった。決して『厳しい部活』ではなかった。今年の四月に顧問にも『今年はどうすんの?』と聞かれて全員で『例年通り』と答えたし、僕はそれでこの吹奏楽部は良かったと思っている。『今年は本気で全国目指してやるぞ』とはよう言えんかった。できれば県までは行きたかったけど……まあ、それはしゃあない。
しかしこのオケは今までとは違って真剣にやりたい。今まで手を抜いてやってきた訳ではないけど、今日のこの音を聞いてまだまだやらなあかん事があったってよう分かった……三年で参加したのは推薦で大学が決まった僕と志賀と小久保だけやけど、多分、他の三年も受験が無かったら参加したかった奴がおるやろ」
僕はこの富山さんの話を聞いて『だったら最初からもっと上を目指してやれば良かったのに』とも思ったが、それは今の僕だから言える話だ……という事に気が付いて少し自分自身に驚いていた。そう、僕もピアノは楽しみながら弾ければそれで良かったと思っていた人間だった。だから富山さんの話を聞いてこんな上から目線のような事を考えてしまった自分自身に今一番驚いていた。
今の僕は楽器を演奏する本当の楽しみを知ってしまった。そしてもっと上を目指してみたいという欲望に憑りつかれている。これは同じ経験をした事がある人は誰でもそう思うのではないだろうか? やるやらないは別として……。
先生は富山さんの話を受けて
「先生はね。皆さんに強制はしたくないんです。あくまでもこれは部活です。でも、ただね……本気で上を目指す、本気で限界を見てみるっていうのは若い君たちの特権でもあるとも思っています。正直に言うと今回、僕は君たちにそれを少しでも味わってもらいたいと思ってんねんけどどうやろか?」
と吹奏楽部員に対して語った。この先生は本当はもっと部員に指導したかったんだろうなとその時僕は感じた。
「宮田、どうや?」
と富山さんは聞いた。最後は現部長の宮田に意見を求めた。
宮田は
「僕個人としては今回はやるならとことんやってみたいです」
と答えた。
「他の連中はどうや?」
と富山さんは吹奏楽部のメンバーに聞いた。
「やりたいです!」
吹奏楽部のメンバーは全員で応えた。
「先生。これが吹部の総意です」
と富山さんはすっきりとしたような笑顔で言った。
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