第219話吹奏楽部員


 先生は顔を上げると全体を見渡した。そして視線を止めるとおもむろに

「浅島さん。今の音はどうでしたか?」

とトランペットの浅島美幸に聞いた。どうやら彼女は先生と目が合ってしまったようだ。不幸な奴だ。


「え、あ、はい。弦が五人入るとこんなに音が変わるとは驚きました。特にヴァイオリンは全く違う音に聞こえました」

と浅島美幸は慌てて上ずった声で応えた。それを聞いて他の吹奏楽部員何人かは頷いていた。

先生も同じように頷くと

「他に何かありますか?……宮田君はどうでしたか? 君ならよく分かったでしょう?」

と現吹奏楽部の部長の宮田栄に聞いた。


 指名された宮田はコントラバスを抱えたまま

「弦の音が昨日までとは全く違ってました。弦に対して管の音が負けてました」

と、それだけ言って視線を自分の足元に落とした。


 実は演奏を始めてから暫くして僕も弦楽器の音に対して管楽器が少し弱いんじゃないかと思っていた。

管弦楽の場合は弦楽器が演奏の流れを作り、管楽器がそれに程よいアクセントを加えるという共同作業になるが、今の演奏は弦楽器に対して管楽器が弱く、色付けにもなっていないような気がしていた。そして何よりも音の粒が単調過ぎだった。


 しかし耳の傍で鳴っているヴァイオリンのおかげでそう聞こえるだけかもしれないとか、考え直していたのだがやはり間違いではなかったようだ。ちなみにヴァイオリンの音色は耳にも骨にも結構響くのだ。ピアノと違って強気になれない僕がいる。


「なるほど。では石橋君はどうでしたか?」

先生はまた同じくコントラバスの石橋さんに聞いた。


「僕も宮田と同じ意見です。オーボエとかフルートは持ち直している時もありますが、全体的に管は弱いような気がします。管が弱いというのか弦が急に強くなり過ぎたのかもしれませんが……そもそも管は単調で弱かったです」

と石橋さんは答えた。結構ずけずけと言ったように聞こえたが、コントラバスは唯一この楽団の中で全体を客観的に見る事ができるパートだ。

 それはコントラバスの奏者は自分の弾いている音にそれほど邪魔されずに、全体的に音を聞くことができるパートだからだ。なので客観的に演奏を俯瞰的に聞くことができやすい。それで先生はこのコントラバスの二人に聞いたのだろう。三人目の拓哉に聞いても同じようなことを言ったと思う。


 先生は

「流石コンバスです。よく聞いてますね。ヒマだったんですか?」

と笑いながらそう言うと教室の後ろで聞いていた長沼先生に視線を向けた。ちなみにコントラバスは音符の数も少ないが言うほどヒマではないと思う。


長沼先生は谷端先生と目が合うとニコッと意味深に笑った。


「ふむ」

と指揮台で谷端先生は顎に手を当て、また何かを考え始めた。考え込むのはこの先生の癖なのかもしれない。


「器楽部はいつもこんな演奏をしているのでしょうか?」

再び谷端先生は長沼先生に目をやって聞いた。よほど昨日までの演奏とは違っていたようだ。


「生徒たちがやりたいようにやっているだけですよ」

と長沼先生は笑顔で答えた。全くその通りの事を先生は言ったのだが、何か裏がありそうな笑顔だ。変な企みでも考えていなければ良いのだがと嫌な予感がした。


 谷端先生は更にまた考え込みだした。そんなに考え込むほど昨日までの演奏と違うのか? 一体今までどんな演奏をしていたのだろうか? 逆にそれを聞いてみたい気分になった。


「先生!」

その時、吹奏楽部の副部長の芦名裕子が手を挙げた。それはこの場の雰囲気に耐えきれずに衝動的に声を上げたように見えた。


「はい、どうぞ」

先生はやんわりと応えた。


「はい。私は弦と菅のバランスとかいう以前の問題だと思います」

と芦名裕子は、はっきりとした声で言った。


「ふむ。それはどういうことなんかな?」


 先生に促されて芦名裕子は答えた。

「昨日までの演奏では弦……特にヴァイオリンはとても弱かった。コンクールメンバーが帰ってきたら少しは変わるんだろうなと思っていたのは事実ですが、これほど変わるとは思いませんでした。ヴァイオリンが安定したら他の弦も……特にセカンド・ヴァイオリンは更に音が弱すぎるのではないかと思っていたのですが、今日聞くとその弱いのがとてもいい感じで音が溶けあって安心して聞いていられました。なので弦自体のバランスはとても良くなったと思います」

と答えた。

「全体的には弦の音作りは問題があるというより、菅の技術的な問題の方が大きいのではないかと感じました。今日のこの演奏だけに関していえば管楽器の音がバラバラなのが余計に目立ったような気がしました」

と、これはまさに吹奏楽部の方が下手だったと自ら認めたような厳しい意見だった。


副部長のこの言葉に吹奏楽部の部員たちは、お互いに顔を見合わせて無言だった。


「なるほど……そう感じましたか……他には?」

先生は頷くと、ここにいる全員を見渡して意見を求めた。今度は先生も考え込まなかった。


「私は悔しい」

そう言ったのはクラリネットの二年飯田冬美だった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る