第218話 オーケストラ
「さてと……全員揃ったようやな。んじゃぁ、今日からメンバーに加わる五名はその場に立って」
千龍さんは指揮台の上からそう言って僕、冴子、瑞穂、哲也そして彩音先輩を立たせた。
千龍さんは僕ら全員が立ったのを確認すると僕たちの紹介を始めた。
「この五名はコンクールメンバーでつい最近まで全国相手に
「さてと……全員揃ったようやな。んじゃぁ、今日からメンバーに加わる五名はその場に立って」
千龍さんは指揮台の上からそう言って僕、冴子、瑞穂、哲也そして彩音先輩を立たせた。
千龍さんは僕ら全員が立ったのを確認すると僕たちの紹介を始めた。
「この五名はコンクールメンバーでつい最近まで全国相手に戦っていました。すでに結果は皆さんご承知のように、ピアノの藤崎と鈴原が一位と二位。ヴァイオリンは小此木が二位で結城が特別賞。そして多くの部員に心配をかけた蚤の心臓、立花君はチェロで無事に三位入賞を果たしました。おめでとう」
そう言うと、僕たちに拍手をしてくれた。
それにつられるように全員が拍手をしてくれた。
「千龍、お前はどうやってん?」
と突然石橋さんが声を上げた。
「それをここで聞くかぁ? お前はほんまに血も涙もないんかぁ」
と千龍さんは苦笑いしながら答えた。
音楽室にいた全員が笑った。
この場でそれを千龍さんに聞けるのは石橋さんしかいない。
「まあ、俺の事は置いといて……今回、藤崎と鈴原にはヴァイオリンも担当してもらう。このユーティリティな二人には中プロで予定している協奏曲のピアノも弾いてもらう……という事で今日からこの五名が新たに加わるので特に吹部の皆さんはよろしく頼む」
と付け加えた。
この一連の千龍さんの紹介で僕達も何とかこのオケの仲間に溶け込めたような気がした。
「で、準備はもうええかなぁ?」
と千龍さんはメンバーの顔を見渡しながら聞いた。
「はい!」
全員が声を合わせて返事をした。
「じゃあ、オーボエ。早崎」
音楽室に静かにオーボエの音が流れる。それに合わせるように他の楽器の音が重なっていく。
ああ、オーケストラのチューニングだ。日頃孤独なピアニストはこういうのに憧れていたりする。
少なくとも僕にとっては新鮮な感覚だ。
第二ヴァイオリンから聞こえる音も思ったよりきれいな安定したボーイングだった。この半年足らずの間、一年生は鬼より怖い(自称)二年生の指導と*オタカール・シェフチークに気合と根性で耐えてきたようだ。
全体の音合わせが終わったその時に音楽室の扉が開いて、谷端先生と長沼先生が入ってきた。
音楽室に居た部員全員が立ち上がった。
谷端先生はそのまま千龍さんと入れ替わる様に指揮台に上った。長沼先生は僕たちの後ろに立った。
合同練習の指揮は吹奏楽部の顧問谷端先生のようだ。僕はそれが少し意外だった。合同練習と言っても器楽部が主体の合同練習だったはず。だから指揮はてっきり長沼先生だと思い込んでいた。
――こういうところでも年功序列というのは存在するのだろうか?――
そんなことをぼんやり考えながら僕は見ていた。
自分の席に戻った千龍さんが先生に
「よろしくお願いします」
と発声すると全員がそれに続いて同じように挨拶をした。
「はい。よろしゅうに」
と先生は挨拶を返すと指揮台の上から暫く黙って僕たちを見回した。
僕たちはそのまま椅子に腰を下ろした。
先生は
「今日から五人加わったんやね?」
とおもむろに千龍さんに確かめた。
「はい。今日から合流します」
と千龍さんは答えた。
「ふむ。今日からの五人は一通り楽譜には目を通してきたのかな?」
と聞いてきた。
僕たち五人は小さい声で「はい」と頷いた。
「ふむふむ」
そう言って先生は満足そうに何回か頷くと
「じゃ、とりあえず一回やってみようか?」
と言うと指揮台の楽譜をめくった。
「それではエチュードから」
と先生の指揮棒が胸の高さまで振り上がった。
僕の目の前には『アビニョンの橋の上で』の楽譜がある。この曲は元々はフランスの民謡だ。吹奏楽部でも割と演奏される曲だろう。二分程度の小品なので初心者も多い器楽部には丁度いいレベルだろう。
一応コンクール中に楽譜は貰っていたので一通り譜読みはしていたし昨日もそれなりに練習はしてきたが、全員と音を合わせて演奏するのは初めてだった。だからちゃんと音が合わせられるか少し不安だった。
そして今何よりの不安は谷端先生の指揮だ。この先生の指揮棒で音を合わせたことが僕は一度も無い。
――この先生の指揮を見るのは初めてだなぁ……打点が分からん――
とりあえず前の席に座っている彩音先輩を参考に音を出すことにした。
僕は弓を立てて次の指揮を待った。
ピアノを弾く時とは全く違う緊張感だ。
ピアノは全て自分で決めるが、オーケストラは指揮者の指示に従う。ヴァイオリンを習っている時に多少の経験はあるとはいえ、慣れ親しむほどの経験はしていない。
兎に角、今頼りになるのは彩音さんの弓だけだ。もっともこれは彩音さんも多分この指揮には慣れていないと思ったが、僕よりはマシだろうという安直な判断だった。
指揮棒が振り下ろされた。
心配した割には僕は先生の指揮に合わせて音を出すことができた。思った以上に分かり易い指揮だった。それでも僕は楽譜と指揮棒を確かめながら弾いていた。これからこの指揮にも慣れなくてはならない。
取りあえず上手く音を合わせる事が出来たお陰で、僕はそれほど緊張することもなく二分ほどのエチュードを弾き終える事が出来た。僕にとっても腕慣らしには丁度良かった。
直ぐに次の曲の演奏がはじまるのか、それとも今の演奏に対して何か評価らしきものがあるのかと思っていたが、何故か先生は楽譜に目を落としたまま動かなかった。何かを考えているようだった。
音楽室に静かな緊張感が広がっていった。
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