第203話 ボスキャラ攻略は終わった

 ゆっくりとしたラッサンでは色々な事を考えてしまう。もう少し無心で弾きたいが、これはこれで楽しい。

ピアノも心地よさげに僕の奏でる音の粒を、思い通りにホールの高い天井へと放ってくれている。


――ああ、なんて気持ちがいい音なんだろう――


 こんなホールでは無くてもっともっと高い蒼い空の下で弾けたら、どんなに気持ちが良いだろう。


いや、場末の酒場で弾いても面白いかも……なんて考えながら僕はピアノと戯れるような感覚で弾いていた。

そのまま僕は駆け上がる様に後半のフリスカを楽しんでいた。


 カデンツァはリストのそれをそのまま僕は弾いたが、全くそのままというのも味気ないのでちょっとJAZZ風味をまぶしてみた……とそのつもりだったが、弾いている内に図に乗ってしまったようだ。


 曲調から大きく乖離はしなかったと思うが、完全にコンクールである事を何度か忘れてしまっていた。ほとんど僕はピアノの意思に任せて弾いてしまっていた。でもそれはとても気持ちの良い楽しい時間だった。


 まあ、この頃の僕にとってはよくある事だが、これほどコンクールで演奏中である事を忘れた事は無かった。

いつも頭の片隅にはちゃんとそれを覚えていて、譜面通りに正確に弾こうと自分を抑え込んでいた。

なのに今は完全にピアノの良しに任せて僕も楽しんでいる。


 僕の第一の目的は『ラスボス攻略』にあるのだから……特に地方予選はオーソドックスに基本に忠実な攻略を心がけていたはずなのに……。今このピアノは弾けたかったようだ。僕はピアノに釣られたかもしれない。



 結局、僕はピアノに導かれるように気持ちよく弾いている。


――譜面に忠実に弾く。ラスボスは正攻法でやっつける――


 なんて思っていたことなんかは完全に忘れてしまっていた。

そう言えばこの曲は冴子みたいだな。コロコロと表情を変える。


――そうだ。機嫌が良いと思ったらそうでもなく、大人しいと思っていたら急に怒り出すし……でも情緒不安定なんかではないんだよなぁ……なんか、宏美とは違う天性の何かを感じてしまう――

そう思うとこの曲を弾いている今がとっても楽しくなってきてしまった。


――そうかぁ、冴子も天然かぁ――


僕は口元が緩むのが分かった。


――コンクールのステージでにやけている奏者なんか聞いた事無いぞぉ――


と、気が付いたらもう次に出す音の粒が無くなった。

そう、僕はこの曲を弾き終えてしまった。


 楽しい時間は終わった。

僕の両腕は最後の音の粒を叩き出すと、僕の目の前で跳ね上がってゆっくりと降りてきた。


――ああ、やってしまったなぁ――


僕は最後まで我を忘れて弾いてしまった。いや、正確には忘れた訳ではないが、最初に決めていた目的と目標は忘れてしまっていた。

でもとても気持ちが良かったので後悔はしていない。


 椅子から立ち上がる前に拍手が鳴り始めた。僕はそれでここがコンクールの舞台の上であるという事を再認識した。これは忘れてしまっていたと言ってもいいかもしれない。


慌てて立ち上がって僕は客席にお辞儀をしてから舞台から逃げるように下りた。


 控室に戻ると腕を組んで仁王立ちした冴子がいた。


「あんたぁ、コンクールっていうの忘れとったやろう?」

冴子にはばれてしまっていたようだ。流石長い付き合いだ。


「え? 何のこと?」


「何をとぼけとるんや! 分かるに決まっとるやろ!」


「そっかぁ」

僕の抵抗は無駄な足掻(あが)きだった。


「ホンマに気持ち良さそうに弾いとったなぁ」

と冴子は言ったが、それは決して褒めていないという事だけは分かった。


「え? それも分かってたんや?」


「当たり前や。どこぞの世界にコンクールで演奏中に思い出し笑いしながら弾いている奴がおるねん」


「え? 笑ってた……って顔に思い出し笑いって書いてあったんかい!!」


「うん。思いっくそ書いてあったわ」

と言って冴子は笑った。それは明らかに呆れ果てて笑うしかないという笑いだった。

やっぱり口元が緩んだと思ったのは勘違いではなかったようだ。


「どうせまたエロイ事考えとったんやろう?」


「ちゃうわ」


「じゃあ、何考えて笑ってたんや?」


「うん。何か冴子の事を思い出してた」


「なんやて、うちをネタにエロい事を考えていたんかぁ? コンクール中にピアノ弾きながら?」


「ちやうわ。なんでお前でエロい事を考えなあかんねん。あほかぁ」


「最低やな、このド変態。宏美に言うで」

と冴子は僕に軽蔑のまなざしを向けて吐き捨てるように言った。本当にこういう時の冴子は憎たらしい。


「言うな、アホ!! だからちゃうって。そんな事考えてたんとちゃうわ。昔の事を思い出していたんや。お前らと一緒にピアノを習っていた時の事をな」


「なんや、コンクールの最中にそんなくだらん事で思い出し笑いしてたんかぁ。やっぱりあんたは変態やな」

といつもの冴子だった。

そして今日も僕達は全く緊張感のない会話を控室で繰り広げてしまっていた。

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