第204話 そして予選は終わった

 全ての奏者の演奏が終わった。僕達はロビーで結果発表を待つことにした。

そこでやっと先生と宏美達を見つける事が出来た。


 僕達二人が先生の元に駆け寄ると

「二人ともいい演奏だったわ」

そう言って伊能先生は僕達を迎えてくれた。先生の隣で渚さんも大きく頷いていた。


「冴ちゃんは本当に一気に伸びたわ。今日は本当に艶のある良い音を出していたわよ」

と冴子の顔を覗き込むように先生は言った。本当に冴子の演奏は素晴らしかった。

「先生。我儘を言ってすいませんでした」

冴子は先生を見つめて謝った。褒められて何故謝る?


「ううん。良いのよ。最後のコンクールなんだから思いっきり自分のやりたいようにやりなさい」

と先生は軽く首を振ると優しく微笑んで冴子に言った。


――なんだ? 今回は先生の言う通りに弾かなかったのか?――


 珍しい事もあるもんだと僕は冴子を見ながら思った。彼女は演奏に関してはどん欲だが、先生に反抗してまで自我を通す事は無かった。

でも考えてみれはあの冴子が奏でた音の粒は、先生と作り上げた音のようにはどうしても思えなかった。


「はい。全国ではもっともっと自分の音を出して見せます」

と冴子は、はっきりと言った。発表はまだなのに自信に満ち溢れた表情で彼女は答えた。もう冴子の頭の中は全国に行くことしかないのがよく分かった。


 そんな二人のやり取りをなんだか頭の中で考えが纏まらないまま、僕はボーと見ていた。


「で、亮ちゃん。あれは何なのかなぁ……。『思い通り弾いてよい』とは言ったけど、誰も『コンクールを忘れて弾いて良い』とは言った覚えはないんだけど……」

と渚さんは腰に手をやり僕に顔を近づけて睨んだ。

 

 僕はその声で我に返った。

慌てて視線を渚さんに移すと彼女は笑って

「ホンマにあんたらしいわぁ」

と言って同意を求めるように先生の顔を見た。


 先生は

「もうコンクールでお利巧さんに弾くのは止めたね。でも良かったわ。先生は今日の演奏も好きですよ」

と許してくれた。中学生時代までの僕の演奏は今先生の言った通りお利巧さんの演奏だった。譜面通りミスなく弾くのが僕のスタイルだった。それがボスキャラをやっつける一番の近道だったから。


 でも、もうその演奏は出来ないと思う……いや、間違いなく出来ない。演奏しているとどうしても我慢が出来なくなる。


 今回は先生も渚さんも基本的には僕の演奏を認めてくれているようだ。二人の笑顔を見て僕は確信しそして安心した。


「後はあのカデンツァをどう評価してくれるかだね」

と渚さんは先生の言葉を継ぐように言った。


「うん」

と僕は頷いた。僕にははっきり言って自信は無かった。コンクールを意識して弾いた音ではなかったのは自覚していた。ただ単に楽しく弾いてしまっただけだったが、後悔は全然していなかった。


 宏美は冴子と話していた。その横には瑞穂と美乃梨もいた。彼女たちも来てくれていた様だ。

「今日の部活はええのかぁ?」

と彼女たちに僕が聞くと

「うん。冴ちゃんと亮ちゃんの応援に行くって言ったら千龍さんは許してくれたよ」

と宏美が笑って応えた。


「え? そうなんや。ホンマにユルイ部活やな」

と少し呆れつつも笑った。


 その時、ロビーがざわついた。どうやら結果発表が始まるらしい。


 ボードに模造紙に書かれた結果が張り出されようとしていた。

そこを中心に扇状に人垣ができて、さっきまで一緒に控室で顔を突き合わせていた演奏者達が不安げにボードに模造紙が張られていくのを見ていた。僕も少しドキドキする。


 ここから全国に行けるのは三人だけ。それ以外はこの会場でサヨナラだ。さっきまで何とも思っていなかったのに、この時僕は冴子と一緒に全国へ行きたいと強く思っていた。


 ロビーにはどよめきが走ったが、誰も歓声を上げない。

ほとんどの人が黙ってボードを食い入るように見ていた。


「よっしゃぁ!!」

と握りしめた右手を顔の前に持ってきて、冴子が僕達だけに聞こえるような小さい声で叫んだ。


 彼女の名前が張り出された模造紙に書かれていた。


 冴子が僕の顔を見て笑った。そして頷いた。

僕はもう一度ボードを見た。


 冴子の名前の下に僕の名前もあった。

そして地区本選は僕が1位通過だった。


宏美が僕と冴子に覆いかぶさるように抱きついてきた。


「良かったぁ!! おめでとう!!」


僕と冴子は宏美の両肩を支えるように抱きかかえて同時に

「ありがとう」

と言った。


 僕はファイナリストに僕の名前見つけた時より、宏美が僕達に抱きついてくれた今この瞬間の方が嬉しかった。

何故か分からないが、宏美が僕の彼女で良かったとそんな気持ちになっていた。


 そして宏美の肩を抱いたまま僕はロビーの天井を見上げた。


 ――僕と冴子はまだ弾ける――



 そうだ、もう一度冴子の演奏を聞くことができる。

それも全国の舞台で。


僕は自分の演奏よりも冴子の演奏が気になって仕方なかった。

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