第202話 「ハンガリア狂詩曲 第2番」の想い出
僕がこの地区本選で演奏する曲はリストの『ハンガリア狂詩曲 第2番』。
この曲をあの高い天井のホールで弾けるのは楽しみだった。
――一気に噴き上げるような音の粒を出せるかだな――
僕の中では絞り出すような音の粒と弾ける音の粒の対比が、とても面白い曲だと理解している。
そもそもハンガリー狂詩曲とはフランツ・リストがピアノ独奏のために書いた作品集であり全十九曲存在する。その中でも最も有名なのがこの二番だ。
ステージのライトが少しまぶしく感じた。
前回と同じように僕はピアノの前に座った。ただ前回よりは観客の熱気がステージまで伝わってきているような気がしていた。これが予選と本選の違いなのかもしれない。
僕は両腕の力を抜いてだらんと下ろして鍵盤をじっと見つめた。
今日もこのピアノは機嫌が良いようだ。天井のライトが良い感じで反射している。
右腕を僕は肩から持ち上げるように上げた。手首で一度タイミングを計ってからそのまま鍵盤に指を沈めた。
最初の音の粒がホールの天井目掛けて舞った。大きな音の粒がホールに広がっていく。その粒は途中で小さな粉のような粒に砕け舞う。綺麗な粒が天井に吸い込まれていった。それを追いかけるように左腕から生まれた音の粒が同じように天井に吸い込まれていった。
今日の音の繋がりはとてもいい。トムの演奏に負けていない……と僕はピアノを弾きながら『トムとジェリー』というアニメを思い出していた。
そのアニメでトムがピアノコンサートを開くという話があるのだが、それを邪魔するのがジェリーという設定だった。
その話でトムが弾いていたのがこのリストの『ハンガリア狂詩曲 第2番』。僕はそれを幼い頃オフクロとDVDで見て以来もう何度も繰り返し見てきた。お気に入りのアニメだった。なのでこの曲を弾く度にこの猫とネズミのペアを思い出す。
そのおかげか僕の『ハンガリア狂詩曲 第2番』は重々しさに欠けるかもしれない。どうしてもアニメの場面が脳裏を横切って仕方がない。
重々しい雰囲気で始まるが、この曲は悲壮感だけが漂う曲ではない。序盤のゆっくりとしたラッサンから後半の畳みかけるようなフリスカ。後半に一気に駆け上がる。まさにこれこそライブという感じで一気に盛り上がる曲だ。
さっきの冴子の笑顔が浮かんだ。あの笑顔は満足感と達成感の両方に満ち溢れた笑顔だった。
なんだか昔感じた感覚が沸き上がる。甘酸っぱいとかそんなものではなく、空気とか味覚とかそんなものまで蘇るような感じの感覚。ひと言で言ってしまえば『懐かしい』なのだが、その一言では片づけられないような複雑な感覚……。
脳裏に昔の情景が浮かぶ。
『カデンツァ手前の右手の一気に上昇するパッセージのところで、右手と左手がうまく合わないんです』
冴子が先生に泣きそうな顔で直訴していた。
『3オクターブ上がるところね。そこは無理して一気に弾こうと思わなくても良いのよ』
伊能先生の優しい声が聞こえる。
『いや! 絶対に弾く! 亮ちゃんと同じように弾けるようになる!』
と冴子が首を激しく横に振る。
僕がこの曲を弾き出したのは冴子よりも半年も前だった。それを冴子に見つかって……というか誰も隠してはいなかったが……冴子も弾きだしたのだが、彼女は僕が弾ける曲は同じように弾かないと気が済まないようだった。
わめき散らす冴子を僕と宏美は後ろで黙って見ていた。
冴子は急に振り向くと僕の顔を睨んで
「なんであんたはここが弾けんのよ!!」
と怒鳴った。
「練習したからに決まっとるやん」
と僕は至極真っ当な答えを冴子に投げつけた。
冴子はまた僕を睨むと今度は無言でピアノに向かった。
そんな事もあったなぁ……この曲には思い出が多い。
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