第152話 爺ちゃん


見上げるとそこに爺ちゃんが立っていた。


「なんや? お前ら。ワシを置いていくってどういう了見なんや?」

 月明かりに照らされた爺ちゃんの顔はほんのりと赤かった。結構飲んていたからな。


「なんや、来る気あったんや」

オヤジが後ろ手に両手をついて爺ちゃんを見上げたまま、ぶっきら棒に言った。


「当たり前や。ここまで来てお嬢に会わんわけにいかんじゃろうが」

と爺ちゃんはオヤジを見下ろしてそう言うと、そのまま歩き出して僕達の前に立った。


 爺さんは軽く息を整えると

「久しぶりに会えたのぉ、お嬢」

と懐かしそうな声を上げてお嬢に近づいていった。


「お主もつつがなく息災か?」

相変わらず無表情のお嬢だった。


「お陰様でまだ元気じゃ。そっちの世界に行くにはまだ時間が掛かりそうじゃがのぉ」

と爺さんは笑った。


「慌ててくることはない」

お嬢は無表情まま言葉少なく返答した。


 いつも爺ちゃんの事を気にかけていた割にはあっさりしたもんだなと、僕はちょっと肩透かしを食らったような気がした。


「いつも本家の御守りを大変じゃのぉ」

爺ちゃんは一人お嬢の傍まで行くとその場に座りながら言った。

僕とオヤジは草の上に座ったまま二人の会話を聞いていた。


「これがワシの務めじゃ」

お嬢は相変わらず無表情だ。


「そうやったな」

爺ちゃんがお嬢と話をする姿をオヤジは黙って見ていた。


 爺ちゃんとお嬢の関係は、オヤジとはまた違った空気感があった。それはオヤジよりもお嬢との付き合いが長いからなのかどうか分からないが、僕にはそう感じられた。


「ところでなあ、お嬢……ワシはそろそろ一平に全てを引き継ごうかと思うんじゃがどうじゃろ?」

爺ちゃんは唐突に話題を変えた。


「うむ」

お嬢はそう答えてから黙って視線を爺ちゃんからオヤジに移した。


オヤジはキョトンとした表情で爺ちゃんとお嬢を見比べていた。何も聞かされていないようで、オヤジは爺ちゃんとお嬢の会話の意図が見えていないようだった。


――オヤジも聞いてなかったのか――


「今から言綾根ことあやねに行くんか? あそこは……」

オヤジは爺ちゃんの背中越しに話しかけた。

それを遮って爺ちゃんは


「いや、それはさっき済ませた……裏山の祠の掃除は終わった」

と言った。


「え? そうなんや……飲んどったんとちゃうんか?……」

オヤジは驚いたように聞き返した。


「まあ、ちょっと気になっておったからな……宴会前にちょこっと言って片付けた。しかしお嬢のこの状況を見ればな……先に行っておいて正解やったな」

と爺ちゃんは言った。


 お嬢は無表情に爺ちゃんを見ていた。

この状況って何なんだ? 僕にはいつもと変わらないお嬢にしか見えない……確かに昨年よりは威圧感を感じなかったが、それは僕がこの得体のしれないお嬢の存在に慣れたからだと思っていた。違うのか?


「……ご苦労であった。主もお喜びになっておるじゃろう。ただ、一平に譲るのはまだ早い。お主にはまだまだやってもらわねばならん事がある」

 お嬢は相変わらず全く表情を変えずに爺ちゃんにそう言った。ただ心なしか目に険しさが漂ったような気がした。


 同時に僕には『主っていったい誰の事を言うのだろう?』と疑問が湧いた。


「ただ、この度の件に関しては先に行って貰えて助かった。主に代わってワシが礼を言う」

とお嬢は目を伏せてから爺ちゃんに頭を下げた。


 爺ちゃんはそれを見ると

「それがワシの勤めじゃ。それに姫にはさっき会った」

とだけ言って笑った。


「それは重畳ちょうじょうじゃ」

お嬢はゆっくりと満足そうに頷いた。


 爺ちゃんはゆっくりと僕達に向かって振り向くと

「引退は許してもらえ無んだのぉ」

少し寂しそうに笑って呟いた。


「そりゃ許さんやろ……ジジイ、何考えてんねん」

オヤジの言葉には微かな怒気が含まれていた。


 爺ちゃんはそれを全く意に介さないように、

「なにも考えておらんよ」

というと立ち上がって僕達の元へ戻って来た。おもむろにオヤジが手にしていたスキットルを奪い取ると中身のウィスキーを一気に飲んだ。


「ふぅ。一平、ええ酒飲んどるな。贅沢なやっちゃ」

それだけ言うとスキットルを持ったままさっさと元来た道を戻って行った。


僕とオヤジは慌ててその後について行った。オヤジは「俺の酒が……」と泣きそうな声で叫んでいたが、お嬢は黙って僕達を見送ってくれていた。


 お嬢と爺ちゃんの関係はオヤジとの関係とはまた違った関係なんだろうか? 守人としてはオヤジがほとんどその役を務めている思っていたが、そうではなかったようだ。


後ろを振り返るとお嬢が僕たちの姿を黙って見つめていた。

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